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ルーティーン



2005年4月




2005年4月30日 (土) 安城→名古屋→犬山→名古屋→安城
午前中買物。晴史郎のサンダルと帽子。

午後からナディアでのアドバイザーの仕事。
5時に終わってから、Mac Store SAKAEでOSX Tigerのチュートリアルをチェックした後、突如思い立って犬山のアートドラッグセンターへ(犬山の遠さを実感した)。

電車内で加藤くんとメールで連絡をとり、会場で会える事に。
ほぼ同時に、井上さんからも連絡があり、今夜会う事に。
アートドラッグセンターを出た後、加藤くんと近くのファミレスで1時間ほど話をして別れる。

急いで名古屋駅にとんぼ返り、井上さんと合流。久しぶりだ。
名古屋での「アートセンター構想」を、過去の失敗例や、横浜での成功例を元に語り合う。
短い時間だったが、充実した会話だった。

終電で帰宅。

2005年54月29日 (金) パレスサイドホテル「マルチプルマーケット」での展示
朝8時半に三河安城から新幹線に乗り京都へ。
車内では、ひたすら学生45人分のエッセイ(小論文)の採点に集中。
10時に到着し、すぐさまセッティング。
新旧あわせて12点。
その後12時過ぎ、京都芸術センターに顔を出し、帰路。

帰りの車内でも、ひたすら採点。
午後2時、帰宅。

2005年4月28日 (木) 初回プレゼンデー
信じられないほど疲れた。
帰宅後ぐったりで、ビールもノーサンキュー。

明日は早朝より京都で、セッティング&初日。

ムチ打って、明日の準備。

2005年4月27日 (水) 将来と明後日のための「準備」の一日
午前中2時間かけて、保険屋さんとじっくり話し込み、いくつかの納得案を見つけたり!
しかし、保険ってのはなんとも面倒な仕組みで、、、。
この面倒さが、保険屋の儲かる仕組みそのものなんでしょうけど。

とにかく、死期と将来かかる病名が全て分かっていたら、保健選択は楽なんだが。
オイラはその上、人生設計までも宙ぶらりんなもんで、選択が容易ではないのだ。
結局は、12年も掛けて来た今までの保険を解約するのは有効ではないとの判断。
それに「追加保険をプラスする余裕」と「差し迫ったもの」とのバランスの問題な訳で、、、。

午後からは、編集の仕事を3時までこなす。
遅々として進まぬ作業、でも、着実に前には進んでいるのでガンバろっと。
その後スタジオに向かって、京都への発送のための梱包。
全ての作品を厳重に梱包し、箱にしっかり詰めたら意外とコンパクトになり、、、。
明後日、京都でのセッティング時にトラブルがない事を願うのみ。

妻の帰宅が7時頃になるという事だったので、風呂湧かして、ごはんの支度をして晴史郎と食べた。冷蔵庫にナーンもなく、仕方なく残り物の野菜でチャーハンを作った。これが晴史郎にビンゴだった様で、ペロリと3杯(こども茶碗)も食べ、もっともっと「おかわり」とせがむ。大人の大盛りくらい食べよったぞ。どーなっとるんかねヤツの胃袋。心配になりかけた頃、妻の帰宅。今度は妻のチャーハンまでも「くれくれ」攻撃。80センチにも満たないチビのどこに、そんな消化能力があるんだろうか???

2005年4月26日 (火) 不健康
一晩ぐっすり眠って、ほとんど風邪を追い出す事ができたようだ。
晴史郎にもいまのところ移っていなさそうだ。

代わりに腰が痛むのはなぜ?

明日、作品を梱包して発送。
その前に、保険屋が来るので、きっちりと商談。

金曜日、セッティング。
ゴールデンウイークが始まろうとしている。

2005年4月25日 (月) ダイエリア
朝起きるなり妻が下痢に襲われた。
下痢などほとんどしない妻だけに、心配になり目を覚ます。
大丈夫か?と聞き終えるや否やオイラも下痢に。
しかも2人とも半端な下痢ではなく、ほとんどO-157か?って疑った。
昨夜なに食べたっけ???特にヤバそうなもの何も食べてないし、、、晴史郎は大丈夫か?
ヤツはピンピンしていたが、大変な事になるやも。
正露丸飲んで、お粥を少しだけ食べてお互い出勤。

午後から、身体の芯から悪寒がしてきた。
間違いなくこれは胃腸風邪だ。
全身だるく、寒気がする。

妻も帰宅後、体調不良で苦しかった事を訴える。

晴史郎に移らないように、とにかく早く寝て回復するのみだ。
それにしても、どこで拾ったんかいな。
身体に内側から来る苦痛、う〜ん、たまらぬ。

2005年4月23日 (土) シラーズ
ピーロートジャパン(万博で購入)のワインが届いた。
オークションサイト・楽天系サイトなどの価格で1本¥5,000〜¥13,000のものと判明。
日本では、ホテルかレストランにしか卸されていないものだけあって、価格のバラツキは著しい。

我が家でも、かなりたいそうな記念日でもなければ開けられなかろう。
何かの受賞祝いとか(←応募せぬ事には始まらぬ)
正規採用祝いとか、(←先は見えぬぞ)
ロト6の1等当選祝いとか、(←コレ当たってりゃケチる事もなからう)
晴史郎に弟ができたとか、、、(←笑うしかねべ)

1年に1本ずつ開けて、6年かけて飲んで行くってのもいいかも。
毎年の感慨が積もって深まっていくってのもワインに似合ってるか。
ということは、今年何かしらの賞を受賞し、来年には仕事を得て、さ来年にはロト6で1等ゲットの2億円長者だ。
う〜ん、我が人生、見通しだけは「晴ればかり」ナリ。

夕方、実家に行って両親と食事した。
焼肉したのだが、老人は普段肉を食わないとの事で、たいそう喜んでもらえた。

2005年4月22日 (金) 愛・地球博3回目(UKナショナルデー)
3回目の万博。
天気予報では晴れマークだったのに、にわか雨や強風のすごく寒い一日だった。
薄いジャケットを着てきてよかった。

午前8時半に家を出て、愛環とリニモで会場へ。予想したほどではないが、乗換駅で20分ほど行列する。会場に着いてみると、小学生・中学生・高校生の制服軍団がうじゃうじゃいる。どのパビリオンもガキで溢れかえっているばかりか、列は乱すし、会場内では走り回るし、うるさくてかなわん。

晴史郎は、お昼のお弁当後、ゲボ吐いた。寒くて体調壊したのかも。でもゲボ後はスッキリしたのかニコニコ元気で走り回っていたのでちょっとは安心したが。

今回のメインは、UKナショナルデー関連の特別公演「stomp」。
デッキブラシをガンガン叩き付けながら踊り、原初的なリズムを刻むパフォーマンス集団。凄まじかった。圧倒的で感動した。バリ島の民族音楽ケチャや現代音楽のリズミックギグを彷彿させるものがある。しかもそれをコンピュータなどを使うのではなく、シンプルでチープな「雑貨」で演奏(と言うべきだろうな)するところがいい。
その前に見た日本庭園のローリー・アンダーソンのサウンド・インスタレーションがあまりにありきたりで詰まらなかっただけに、いっそう響くものがあったのかも知れない。また、ネット予約による指定席(前から8列目)での鑑賞ができたので、パフォーマーの叩く音がスピーカーからではなく、ダイレクトに伝わってきた事もすごく感動した大きな要因だろうな。

話題のマンモスを見たぞ。これはこの万博のメイン展示物のひとつ。動く歩道による強制移動で観覧する。う〜ん。見終わった後オレ的には「そんなに大騒ぎするほどのものか?」と思ったが、妻は「マンモスなかなかいいじゃん」と言う。人の見解はわからんものだ。オレはマンモスの前に見たSONYの巨大スクリーンショーの方が面白かったんだけどな。

陽が沈むとますます寒くなり、そろそろ帰ろうかという事で北ゲートに向かう。しかしふと見ると普段行列できている企業パビリオンがガラガラではないか。みな寒さに負けて帰ってしまうせいだろうか?いずれにしろチャンスとばかりにワンダーサーカス館ってやつに入館。待ち時間10分程度だった。ラッキー!しかし、しかしだ。これがまた詰まらない。子どもだましと言うか、田舎のテーマパークというか、陳腐でしょぼいのだ。そうか、ガラガラの理由はそこにあったのか、、、納得。

一日ではとても回れない広さの会場で、しかも本日の入館者8万数千人の中、偶然も偶然、同じように休みを取って来ていた妻の上司を見つける。

2005年4月21日 (木) 空間認識の手段
午前中、スタジオにて制作に没頭。

午後、大学で授業。
2回目の今日は、先週の授業で各自が見つけ1週間見続けた運命の石を持参させ、まずそれをスケッチさせる。その後、石は回収。そして自分で描いたスケッチだけを見て、粘土で正確に石を再現させる。2次元スケッチが3次元での制作にいかに不正確かつ不自由なものかを体験させるとともに、平面記憶と空間記憶との記憶方法(手段)の違いを認識させるのが目的である。
最後の学生の提出が終わったのが、午後8時45分。最後まで出来なかった学生は自分に悔しくて涙をこぼしていたが、その徹底的な執着心こそが、いい作品を作り上げられるキーになるのだ。何となく出来上がってOKを得て浮かれていた学生たちより、重要な何かを得る事が出来たのではないだろうか、と思う。

2005年4月20日 (水) イブニングコース
午前9時、晴史郎を保育園に送った足で、スタジオに向かう。
作りかけで硬化待ちや乾燥待ちになっている作品の仕上げ段階だ。
午後2時まで制作し、帰宅。
フォレンドシップ報告書の編集を午後4時半まで。
そこから、名城大学へ今年度第1回目の出勤。
「建築意匠1」という名称のコマだ。
畔柳先生と確認事項などを話し合い、6時過ぎ、授業開始。
今年は20名以上の受講者で、昨年と雰囲気が少し違う。
昼間の仕事を終えてから大学に通う学生のために開講されている様なもの。
半数ほどが、昼間仕事を持っているということであった。
授業後雑談をし、今年度の学生の感触がつかめた。
その後、昨年のTAだった河合君と喫煙しながら進路相談。
帰宅は午後9時。
今後は帰宅がこれよりも1時間半も遅くなる訳だ。

2005年4月19日 (火) 愛知万博でポストモダンを考える
ポストモダンという言葉は、建築から発生したと言われている。せっかく名城大学の建築科で授業させてもらっているんだから、建築意匠の教授に聞いてみた事がある。「建築に於けるポストモダンの具体的な定義は?」と。すると意外にも一言に要約して返答してくれた。「ラスベガスです」と。あまりに唐突に思え、ほぉ、それは一体どうしてそういう……?と困惑していると「簡単に言えば、表面だけ。表面を、歴史も文化も無視してゴタマゼにして貼付けてあるでしょ、ラスベガス。それが、ある意味ポストモダンの構造でもあるんです。」というご意見を頂いた。もちろん「ある意味」という部分を欠く訳にはいかない事は分かっているものの、ストレートが胸元にビシッと来た様で、見逃し三振気分だった。つまり目から鱗が落ちた。ポストモダンが見えた気がした。これがほぼ1年前の話だ。

そして、いま愛知県で「愛・地球博」が開催され、いろいろなポストモダン(?)な建築を見ることが出来る。世界中の有名無名の建築家が競って建物を設計した。博覧会が終わると叩き壊されるそういう建物をこしらえること自体、環境的(という言葉があるかどうかは知らんが)ではない。表面だけ飾り立てて、しかもそのソースが歴史や文化を単純にシャッフルしたものだと言うことは容易に読み取れる。

今まであった古い建築物を修復するよりも、ぶっ壊して新しく一から作る方が、コストも時間も安く抑えられるという現代資本主義の価値観がそこにある。そして表面的にであろうと歴史や文化を華飾したいと願い、それによって優越感を得られると信奉するというのも情報文化主義の副作用。そうした薄っぺらな要請からポストモダンは突き進んで来た。

そして現在、オーヴァーレイという考え方が顕著になりつつあるようだ。古いものを如何にうまく変容させて新しいものを作るか、という発想。重ねるって意味から分かるように、建築で言うところの「修復」に近いが根本的に異なるのが、古い部材を使うなどしてまったく新しいものに作り変えるところにそのポイントはあるという事だ。

さて、愛知万博のほとんどのパビリオンは、会期終了とともにぶっ壊されるのだろうが、それは何か考えさせられるものがある。
 使い捨て………悪
 リサイクル……善
そういった意見がしきりに唱えられるこの博覧会。果たして建築物の将来や如何に?

2005年4月18日 (月) 納豆
晴史郎は、赤ん坊のくせに「納豆」が大好き。
今日のごはん時など、絶叫悶絶して欲しがり、ほぼ2人前をぺろりとたいらげていた。
晴史郎の父は、成人するまで納豆というものを食す機会が持たなかったのだが、、、。

豆類が好きな上に、ネバネバが好きなのだ。
山芋なども、よろこんで食す。
オヤジギャルって言葉がその昔あったが、
晴史郎の場合、ジジーベベーていうところか。

2005年4月17日 (日) ナディアにて
芸術相談アドバイザーの日。
今日は相談者ナシ。
(告知がいき届いていないので、こんなもんです)

帰り際、館長の吉沢さんに、編集室とプロジェクションルーム、それに音楽スタジオを見せてもらった。
すごく立派な設備で、広く活用されない事にはもったいないくらいだ。
プロジェクションルームにて、数ヶ月後、オレの作品を公開する企画を館側が立ててくれる事になった。

2005年4月16日 (土) でかい風呂デビュー
マルちゃんから「お風呂のタダ券が手に入ったから、みんなで行こうよ」とのお誘いが。
晴史郎にとっては、はじめてのでかい風呂。
どんな反応になるか、、、いつものようにとーちゃんと入ろうな!

男湯の入口でさっそく大泣き。ママのとこいくぅ〜、、、。
晴史郎をつかまえて、服脱がせ、ほ〜れでっかいフロだよぉ!!!
超ビビリの晴史郎はずっと抱きついて離れない。
全面ガラスからは、海の見える雄大な景色が。
どぉ〜よ、海だどぉ。と話しかけようが狂気のビビリまくり。

    ● ◯ ●

少しずつ慣れてきはじめた頃には、もうほっぺが真っ赤っか。
でよっか!また今度でかい風呂に来ようね。

休憩室では、さっきまでのビビりがウソのようにすっかり元気になり、
廊下や階段を走り回って大騒ぎ。
やれやれ、いつもの晴史郎になってしまった、、、。

2005年4月15日 (金) 万博2回目!
今日も午後、妻の就業(3時)後、電車で待ち合わせて「愛・地球博」行ってきました。
今回はまず瀬戸会場を攻める事にしました。

愛知環状鉄道で「万博八草」に着いた後、みんながリニモに向かうのを尻目に、瀬戸会場行きのシャトルバスに乗り込みました。なんとバスはオレたちだけの完全貸し切り状態。わーいわーい。で、瀬戸会場までバスで10分程。到着したのが午後4時半。入口にいたアテンダントが「瀬戸会場は午後5時半で閉場でーす」と教えてくれた。なぬ?なぬ?そっか。それで誰も瀬戸会場には向かってなかったんだな。ようやくガッテン。ま、今回はさらっと瀬戸会場見てから、モリゾーゴンドラで長久手会場に行くってのもやってみたかった事だから、いっか。
瀬戸会場は、閉場1時間前って事もあり気持ちよいくらいガラガラ。ホントに山の中の展示会場って感じです。また電飾とかド派手色のない素朴な建築がいい雰囲気をだしてます。オレたちは限られた1時間、市民パビリオンを見ることにしました。コレがなかなかいいです。小さなブースの小さな展示ですが、人間の叡智としてとても伝わって来ます。中でも「ルワンダ大虐殺」関連の義足の展示紹介のブースは心に来ました。また「手で地球を回す」というデジタル展示も面白かったです。
市民パビリオンの屋上で、妻とビールで乾杯。外の風は気持ちよく涼しく、まさにビアガーデン気分。もしくはイングランド・ガーデン・パブな気分。晴史郎も木の床を走り回ってご機嫌です。そこから「モリゾーゴンドラ」(瀬戸会場と長久手会場を結ぶ無料ゴンドラ)に乗って移動しました。

やはり長久手会場はヒトヒトヒト。とは言っても、行列は人気館の前だけ。入場ゲートも手荷物検査もスーイスイ。夕方攻めるのはベターです。
今回は会場をぐるっと一周巡っている歩道「グローバル・ループ」を歩いて、グローバル・コモン3(地中海沿岸ヨーロッパゾーン)に向かいました。当然人気のドイツ&フランス館は40分待ちの行列です。それは無視して、まずはイタリア館に。デザインをメインにした展示で、イタリアンセンスを堪能できます。中でも面白かったのが、本物のチンクエチェント(FIAT 500)をホワイトチョコレートでコーティングした作品。チョコレートって事に気づかないとなんて事ないのですが、オレたちが「これチョコだぜ!」と騒いでいると見る見る人だかりになってしまいました。
ギリシャ館とトルコ館が向かい合わせに並んでいるのも万博ならではなのですが、トルコ館が意外と良い出来です。いわゆる幾何学形態モザイックを基調とした展示で、メディテーションを誘います。ギリシャ・トルコどっちもきれいユルい抽象的な展示ものですが、オレ的にはトルコに軍配。また、ブルガリア館のレストランはチャレンジの価値アリだと見ました。

喫煙コーナーで一服していると、妻が「ねぇねぇ、ワインの試飲やってるよ」と目をキランキランに輝かせて飛んできました。鵜も巣もありません。即突撃です。民間の小さな臨時出展ブースで、「気に入ったものがあれば自宅に送ります」という販売もの。試飲試食王のオレは、そんな誘導販売は必ず振り払えるので、しめて10種類くらいの高級ワインを試飲させてもらいました。赤のフルボディー中心で攻めました。うまい商売だなって思ったのが、最小注文単位が12本で1セットでの販売って事です。周りのテーブルではお金持ちそうなご夫人たちが契約書にサインなんぞをしております。1本¥5,000としても¥60,000ですよ!むりむり!ウチではアリエン。でもその中のSHIRZを妻が超気に入り、なんとか頼み込んで半分の6本で購入契約しちゃいました。自分でもビックリなんですが、妻のおねだりに屈して、、、もうこれは妻への愛というより勢い以外の何ものでもありません。でもオレもそのSHIRZはすっごく美味いと思ったのでアリにしちゃいましょう。イギリスで飲んだあのSHIRZを彷彿させるものがあったのです。ただ、値段は全然違います、、、(泣)

ワインですっかり気分よくなったところで、クロアチア館に行きました。ネタバレになってしまうので詳細は書きませんが、オレ的現時点での万博の中でbestの★★★★☆です。時間のある人はぜひ足を運んでみて下さい。ま、あまり期待して行くと「え?これだけ?」ってウラ入っちゃうかも知れませんが。

そんなこんなの万博2回目、9時半過ぎにリニモに乗って帰りました。

2005年4月14日 (木) 時間を追っかけて
イッソがしい一日だった。
午前中 :よそ事に目もくれずに編集の仕事に没頭
正午  :X線写真を撮るため講師高校へ
午後1時:宇納研にて、データ出力
午後2時:チリフ関係のミーティング(のようなもの)
午後4時:教育大第1回目授業
     (オリエンテーション+スライドにて作品説明+石による演習)
午後6時:フレンドシップの詳細ミーティング(約3時間半)
午後9時:宇納教授と食事

帰宅したのは、夜の10時半だった。ふぅ。

今年の教育大の学生は、昨年よりは盛り上がるか。
驚き困ったのが、ただでさえ定員オーバーなところ、受講対象外の学生が5人も受講申請して来た事。それから、ワクワクしているのが、先天性聴覚障害の学生が来てくれた事。彼との出会いはオレに新しい扉を開けてくれる事になりそうな予感がする。彼からたくさんの勇気とエネルギーをもらえる気がする。がんばろうね。

2005年4月13日 (水) オレンジジュース
京都に出品する作品選定とリスト作成とコメント作成にじっくり時間をかけすぎて、気がつくと昼過ぎだ。ふぅ疲れちまった。
それから京都芸センから案内が。おいおい、いつの間にかオレの知らない所で展覧会タイトルが変わってっぢゃん。
ご一報なしって事にムカッ。

煮詰まったらバンパクへ逃避行。気合いを入れずにいつでもGO!(気合いを入れずにってとこがミソ)
さすが全期間入場券だね。気分的にスッゲェ余裕だもんね。(まだ1回しか行ってないけど)

午後、ペルー人ミリちゃんの相談(アドバイザーの仕事)解決のためN大に電話して「私費外国人留学生学費減免規定」の説明を受ける。意外とけっこうユルイ様で、いい報告ができるかも。その後は本人の頑張り次第だけど。

夕方からスタジオへ。出品作品の台座作成にとりかかる。作品と直接関係ないパーツなんだけど、設置の方法ってどう見せたいかがハッキリ出る所だから、地味事だけど真剣に取り組む。コツコツコツと。ふぅ疲れちまった。

ムラムラムラァ〜!なんか気分が悪いぞー!
いやいや、本当は何が気分悪いモトか十分わかっておるのだぞお。
E加減なんとかならんか?
スモデナランハ?

2005年4月12日 (火) 外語大パニック
午前中の講師を終えて、午後から外語大に向かう。
外語大の新年度第1回目の授業。
例年と同じ教室、同じ環境。。。違うのは学生の顔ぶれだけ。。。のつもりが、、、、、

まず、愛・地球博のあおりで、今年度だけ授業時間が10分繰り上がる事になっていた。
通学時間が万博入場と重なるため、授業を早く始める措置が取られていたのだった。
万博会場周辺の大学はどこも大変である。

MALL教室(コンピュータ設備の教室)に入ってみると、コンピュータの配置が今までと異なっている。新しく、学生用にiBookG4が導入されていたのだった。当然OSはOSXにグレードアップ。
これは画期的な事なのだが、オレの授業ではティーチャーズコンピュータと連動したモニターしか使わないためこの点は関係ない。
で、ティーチャーズコンピュータから画像を学生用モニターに写し出そうとすると、今までのやり方ではモニタリングできなくなっている。見たこともない機械がハブしてあるぞ。こりゃ困った。

今日は第1回目という事でオリエンテーションだけで終わったので事無きをえたが、次回からのためにメディア情報センター事務局に連絡を取って設定など熟知しておく必要がある。いつまでもOS9で授業するんではなくオレもOSXに移行したいものだが、アプリケーションがインストールされていない事にはダメな訳で、、、(PowerPoint入れておくんなまし!)。

2005年4月11日 (月) 暴動報道
中国で、反日暴動が吹き荒れているとの報道。
「ありゃ、宣戦布告だ」などと白痴的コメントをほざくアホタレントや、
「今こそ日本政府のしっかりした態度を、云々」と耳タコの台詞しか言わないコメンテーターなど、
ちょっとうんざりである。

たしかに目を覆いたくなる様な暴動だし、
日本人だというだけで殴られて怪我をした日本人留学生には同情する。

しかし、反日反日と騒ぐ暴徒をうかれて記録しているその機材、
何を隠そう、ソニーでありパナソニックですからー。
ザンネーン。

2005年4月10日 (日) 肉の人
夕方、ポーランド館の氷が先々週溶けたというニュースを見つけ、この事をすーさんにメールすると、すぐに返事があり「いま、万也さんちの近くの焼肉屋にいるんすけど…」とのこと。無条件合流する事に。これで連続3日間すー家と一緒です。これぞまさに蜜月です。

焼肉屋に着くとすでにイイ感じで肉が焼かれており、いやが上にも食欲をそそる臭いがプンプン、胃液がジュワジュワ、よだれダーダー。さっそく一口パクリ「うめぇ」と悶絶するオレを軽く一瞥するマルちゃん。「長野の肉はこんなもんじゃないよ」と玉座の声。「こんなくらいはフ・ツ・ウ」
……そっか、長野には海がないから魚介類ではなく、肉が先鋭化してるんだなぁ。……
なんだか長野県人すべてのデコにキン肉マンよろしく「肉」の文字があるように思えて来た。

新蕎麦の季節にもなる事だし、、、いざ信州へ!だな。

2005年4月9日 (土) お花見!
午後2時、桜の名所「洲原公園」を避けて、すぐ隣りの某大学内で、すー家と花見を敢行す。洲原公園が強烈に混んでいる事は分かっていたが、大学が市民に駐車場を開放しているとは思わなかった。学内のできるだけ人の少ないエリア、、、ということで、教職員官舎エリアで花見する事にした。しかしいたる所に「大学内での花見は禁止」という立看板。ま、いいかって事で、強引に官舎エリアの1本の桜の下にシートを敷いて陣取る。しばらくすると官舎の住人が帰って来た。これは怒られるか?と思いきや「私は見てない事にしてあげるから・・・」と言い残し去って行った。これであえて許可をもらった様なもの、という無茶な理由で心置きなく宴会を楽しんだ。

その後2次会を我が家でトリ行なう事に。どこで嗅ぎ付けたか、ヤマちゃんも合流し、賑やかなる酒宴は深夜まで続くのであった。ヤマちゃんんが釣って来た「アイナメ」の刺身と、すー家のお土産の湯葉とミミガー、美味かったぁ。

2005年4月8日 (金) 愛・地球博、行ってきました!(その1)
すごく天気が良くなるというニュースを聞いて、朝突然思い立ったのが、妻の終業後「万博」に行くという企画。(万博会場は夜10時までやっているのだ。)
バンパクイクゾー!っと以前より気合はあるものの、兎にも角にも、まずは入場券を手に入れないといけない。オレたちが狙っているのは「全期間入場券」というもので、そのためにすでに先行予約で手に入れた一日券を売り払ってしまってある。「全期間入場券」は、ネットでも旅行会社でも売り切れで買う事ができなくて、当日会場に行くというのが、現在の唯一の入手方法なのだ。最悪イヤになるくらい混んでても「入場券ゲット」だけで今日の目的は達成だ。
さて、万博会場に行くには、やはり公共交通機関を使うに限る。パーク&ライドは便利だけど高いし、それに、何よりもリニモにも乗りたいしね。そのために、妻を車で送って出勤。終業後、駅で合流という作戦だ。

昼過ぎに、すー家に「万博行くけどチケット購入してこようか?」と電話すると、「折角だし、一緒に行こうよ」という事に発展。
妻と合流する電車の時刻を伝え、途中駅で彼らも合流という事になった。
それから大急ぎで「手作り弁当」をこしらえる。万博は当初「弁当持ち込み禁止」だったが、反対の声や首相の鶴の一声などで手作り弁当に限り解禁になった。会場内でちょっとお腹がすいた時にすぐにパクッとできるように、ツナサンド、エッグサンド、エビマヨサンドの3種のサンドイッチを作る。晴史郎の着替えなどをリュックに積め、午後2時40分に晴史郎を迎えに保育園に行く。昼寝あけのおやつ前の時間だった。
そこから最寄り駅(愛知環状鉄道)まで車で行き、駅に車を停めて電車に乗り込む。妻から退社したとのメール。時間ピッタシ。でも、すー家から電車に乗り遅れたので1本後ので行くとの連絡が、、、。

会場に着くと、驚く事にガラガラに近い状態。全く行列なく、すぐに入場券も購入できた。入場口のセキュリティーゲートでも全く行列なし。笑えるほどスムーズ。ゲートを抜け、どこに行こうかインフォメーションでもらった地図を見ながら、とりあえず外国館を見ようよと相談していると、すー家も遅れて到着。大人4人+子ども2人でまずはグローバル・コモン1(アジア・中近東)を攻める。サウジアラビア、カタールなどと同じ棟にあるイエメン館が印象的だった。とにかくやる気なくユルユルなのだ。パビリオンというよりは露店そのもの。こてこてのアラブ人がアクセサリーをガンガン売りつけてくる。面白くなってしつこく値切る。¥2,200が¥1,500にまでなったところで「ノーサンキュー」。買う気ないのにゴメンね。2階には、イエメンの代表的な居間ってのが作ってあり、そこでアラブの男とともにくつろぐ。

とにかくこのエリアは全体的にユルユル。韓国や中国だってユルいけど、この環境の中だと頑張っているように見るのだからね。どんなユルユルさかと言うと、例えば、張り紙が手書きだったり、しかもそれがセロテープで貼ってあったり、、、。極め付きは、パビリオンの入口の柱にトラ柵がしてある。なんでだ?と思いよく見ると、開幕3週間ですでにひび割れて壊れているのだ。まさに笑止。

日も沈みだんだん薄暗くなって来て、お腹も空いたので、パキスタンのフードエリアでカレーなどを食す。ココナッツミルクが効いたなかなか美味なカレーだ。もちろんパキスタンビールも試す。

                         (その2に続く)

2005年4月8日 (金) 愛・地球博、行ってきました!(その2)
(その1の続き)

今度はどこに行こうという事になり「旬であるポーランド館(ヨハネ・パウロ2世の出身国)に行こう」というマルちゃんのアイデアが「せっかく空いてんだから、普段混んでる人気館に行こうよ」というすーさんの意見を押し切り、ゴンドラに乗ってグローバル・コモン4(ヨーロッパ)に移動。

ポーランド館は予想どおり、先日崩御した法王のための追悼イベントを臨時に行っていた。と言ってもスクリーンに法王の映像を映してただけなんだけどね。普段ここではショパンのエチュードを映像化したものを流しているらしい。それも興味あるので次回また来ようと思う。
ポーランド館の地階にはちょっとしたレストラン(テーブルが3つ程しかないところが素敵)があり、そのカウンターでハニーウォッカを頂く。すごく飲み口まろやかで、50度もあるようには思えない。あまりに美味しいので覚えておこうと2回程その酒の名前を聞いたが覚えられなかった。

隣りのイギリス館(正式には、グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国という)は、アートと科学の融合をうたってあるだけあって、けっこう楽しめた。
グリーンの空間といい、環境に対する考え方といい、トータルコンセプトも明解で、スッキリした、いわゆる万博って感じだ。(まさにイエメンとは大違い)

あちこちで閉館の支度がそそくさと始まって、何となくソワソワした雰囲気になってくる。外に出てふと振り返るとベルギー館が見えた。ベルギーといえばビール。きっと館内にバーがあって地ビールを飲ませるに違いない、と読んだオレは、一目散にベルギー館裏口のバーカウンターへ。閉店時間を聞くと、閉めるまでまだしばらく時間があるという事で、妻+すー家と一緒にビールでくつろぐ事にした。修道院のビールやサクランボのビール、ヒューガルテンなどを飲み大人はまったり。しばらくして子どもたちが退屈しかけて来た頃、店を出ることにした。そこからはIMTSという無人操縦バスで万博会場入口まで向かう。ちょうど閉場時間と重なり、一斉に観客が出るため、リニモの乗り場で一瞬行列ができたが、それもほんの一瞬の事だった。

うんうん、非常に面白いではないか愛・地球博。今日見たエリアは、リトルワールドを派手にしたって感じだな。
全期間入場券を手に入れたのだから、これから何度でも来ようと思う。
長久手会場の祭っぽい雰囲気もいいけど、地味ながら中身の濃そうな「瀬戸会場」を次回はじっくり攻めたいと思う。

(次回の万博行きは2週間後のUKの日。STOMPの特別公演はすでに予約しちゃったもんね。)

2005年4月7日 (木) Sugakiya
友だちにす〜さんという人がおるんですが、彼とは別の「す〜ちゃん」の話。
名古屋人なら誰でも知っとる「寿がきや」のキャラクター「スーちゃん」の知られざる名前の由来の話。

オレも含めて多くの人は「スーちゃん」は「寿がきや」の「スー」だと、
何の疑いもなく思っておったのではないでせうか?

しかしそうではにゃぁだす!

スーちゃんのスーは「スープ」のスーから来とるんだす。
知っとったぁ?(名古屋以外の人、無視して結構)

ちゅーことは、もしや、、、モいっちょ調べてみたら、
おったがや「プーちゃん」も。(なんか屁こいとるみてゃぁでやだなぁ)
その子はスーちゃんの弟という設定。
2人あわせて「スープ」ちゅーことだと。(笑)

スガキヤの社長さんは菅木さんちゅーひとで、ほんだもんで菅木屋。仮名で書くとほのまんま「すがきや」だわなぁ、それをおめでたい寿の文字に替え「寿がきや」になりました。なお現在は「寿がきや」じゃなく、スガキコシステムズっていいます。
「なんだん?ほのへんてこな名前、聞いたことにゃーがね」
ちなみに現社名「スガキコシステムズ」の「スガキコ」って名前は、ドメイン名のsugaki.co.jpの「sugaki.co」から来とるとか、来とらんとか、、、。

また、寿がきやのラーメンは一杯がオドロキの¥280。なんと21世紀にインスタントでもにゃーのに¥300を切っとるだよ。この安さがいろいろな噂の元になってまう訳で、蛇でダシをとっとるとか、犬の骨のダシだわとか、、、etc
子どもの頃よく聞いたもんです。
(マクドナルドは「食用ミミズ」ってのもまことしやかに噂されたフォークロアでしたね) 餃子の王将か、ミミズは ←うそうそ

安さの秘密っていう訳ではにゃーですが、社訓に「美味さよりも安さ」という一節があるんだそうで。飲食産業にしてはどえりゃぁ強烈なご意見じゃにゃーですか?。徹底的に安さにこだわるのは、デフレチャンピオンのオレにはなんとも嬉しい社訓です。
オレが中学生の頃は、ラーメン一杯¥140だった記憶が、、、。
イガグリ君らのお財布には非常に優しかったんです。

書いてたら、寿がきやラーメン食べたくなって来ちゃったさ。<お郷どこ?

2005年4月6日 (水) 米のイラク空爆を聞いたローマ法王は「私がバグダッドに入れば空爆は収まるかも知れぬから連れて行け」と申されたそうだ
ヨハネパウロ2世の葬儀では、相当な数の弔問者がローマを訪れるであろうことは前にも書いた。今回は一般弔問者ではなく、国家としての弔問者について考えてみようと思う。キリスト教は言うまでもなく世界最大の宗教で、その中でもカソリックは多くの団体を世界中に構成している。先進国は言うに及ばず、途上国にもカソリックの国家は多い。身近なアジアで見てみると、フォリピン。フォリピンはアジア最大のカソリック国だ。葬儀に参列するのは当然ながらアヨロ大統領。アメリカは(最大のテロの標的の場であるにも関わらず)ブッシュが参列するとアナウンスされているし、イギリスはチャールズ皇太子とブレア首相。ヨーロッパ諸国も元首もしくはそれに準ずる人が弔問する。そういった各国元首が一同に集合する場では、過去の歴史上そうであったように、非公開の首脳外交があるものだ。それを不謹慎と言うなかれ。外交とはつねにそういうものだから。外交もさることながら、カソリックの大黒柱であるとともに世界平和に多々貢献したローマ法王への表敬という意味でも相当な巨星が弔問する訳だ。

■参列を予定している主な要人は各報道機関によると、次の通り。
ブッシュ米大統領、クリントン前米大統領、ブッシュ(父)元米大統領、チャールズ英皇太子、ブレア英首相、シラク仏大統領、チャンピ・イタリア大統領、ベルルスコーニ・イタリア首相、マーティン・カナダ首相、バローゾ欧州連合(EU)委員長、ケーラー独大統領、シュレーダー独首相、フラトコフ・ロシア首相、サパテロ・スペイン首相、サンパイオ・ポルトガル大統領、アルベール2世ベルギー国王、ワレサ前ポーランド大統領、ルラ・ブラジル大統領、フォックス・メキシコ大統領、アサド・シリア大統領、イ・ヘチャン韓国首相、アロヨ・フィリピン大統領、etc

それでは日本は誰が出向くのであろうか?
当然のこと小泉首相が出向くのでは!と思うだろうが、さにあらず。
う〜む、それならば天皇皇太子?、残念ながらそれもない。
100歩ゆずって町村外相?、ですらないのだ。
こうなるとオレもそうだったように「じゃ誰?」と思うであろう。実は、実は、日本政府から正式に弔問するのは、驚くことに前外務大臣の川口順子(かわぐちよりこ)氏だ。川口氏はもともと議員外登用の閣僚だった訳で、引退した今はまさに一般人。現職は首相補佐官という首相官邸に雇用されている身分とはいえ、一般人に変わりない。電車だって料金払わなくてはならぬ民なのだ。川口氏個人をふさわしくないと攻める気は毛頭ないが、どうしてそういうことになってしまうのか、そのカラクリと日本政府の世界情勢に対する疎さに呆れるばかりだ。

え?国会会期中だから閣僚級は無理って?そんなケツの穴ちっちゃいこといってる場合か。ていうか、町村外務大臣は来週、通商協議でパキスタンを訪問するでねぇか。バチカンまでの航空チケットが高すぎっぺか???嗚呼、世界11億人のカソリック信者の軽蔑の声が聞こえるようだ。そして日本のカソリック信者の落胆と羞恥に対してに同情する。

万博の弁当持込可のように、首相の一声で情勢が変わるか?「ワシが行く、馬を用意せよ」とでも。

2005年4月5日 (火) アートとデザインの乖離と融合について
SIT? A Show of Contemporary Seating」というタイトルの展覧会がロンドンのジェフリー・ミュージアムで開かれている。その展覧会にはアーティストだけでなく、デザイナーも様々な形態の椅子を出品している。その中に「ジョン・アンジェロ・ベンソン(John Angelo Benson)」というロンドン在住のインダストリアル・デザイナーが作品発表しているのだが、工業デザインというカテゴリーを越え、アートとしての価値を見いだす事が十分出来る。

彼は以前、ロールスロイスの先端にマクドナルドのマークをあしらった「マック・ロイス」なる作品を発表しており、解説によると「世界で最も高価なロールス・ロイス」だという事。したたかなアイロニーがピリリと効いている。

他にも、オレ的ツボなのが、使い捨てMP3プレーヤ「iTrush」というもの。資料がないのでどんな形態しているのかわからないが、そのネーミングで十分面白さが伝わってくる。



かれこれ15年前あたりからデザインとアートの垣根が曖昧になっていったように思うが、いまさらカテゴリー分けする必要もなく現在両者はかなりの部分で融合していると言える。かつて三頭谷さんが「アートがデザインに傾いていく」と予言していたが、まさにその通りになった。もちろんそうでないタイプのファイン・アートも健在だが、こと立体作品に関してはデザイン的意識が前面に表出された作品が顕著になっている。もちろんオレもその一派な訳だが、オレの場合はデザインに傾けているのではなく、日常をトレースする事によって発生する表面がデザインに傾いているように見受けられるのだろう。しかしそれは同時に、我々の日常が無意識のうちにデザイナー的発想の支配に覆われ、ある意味画一化しているという構造が逆照射させられている様に思える。

2005年4月4日 (月) あさ萌えぇ〜(OTAKUスレスレ篇)
今クールのNHK朝の連続テレビ小説「ファイト」のお話。

朝ドラを習慣にすると、朝7:30のBSのために早起き(?)できるんだけど、前回、前々回と朝ドラを見る気になれずだった。ストーリーが(竜之介がエグくて)、、、ヒロインが(顔でかくて)、、、。でも今回のヒロイン「本仮屋ユイカ(もとかりやゆいか)」ちゃんはベリカワイイので、OKなのじゃ。どこにでもいそうな娘なところがまたイイのね。

彼女は映画「SWING GIRLS」で初めて見た。その映画の中では、ガリ勉真面目なシャイな女子高生を好演しており、メガネを取るときっとカワイイだろうなぁと思っていたもんだから、今は毎朝ニンマリなのだ。ふっふっふ。(メガネもいいのだけどね)
NHK朝ドラからビッグになった代表例が沢口靖子、山口智子、鈴木京香、松嶋菜々子、最近では竹内結子。
本仮屋ユイカちゃんも、そのうちビッグになるんかな?
オーディションで1154人から選ばれた、NHK朝ドラ史上初の平成生まれのヒロイン。ちなみに「本仮屋ユイカ」は本名。

放送が始まってのビックリは、ヒロインの父親が緒形直人だって事。そして極めつけは母がノリピーだっ。おいおいって感じ。どっちもオレより若いし(酒井法子に至ってはワガ妻とほぼ一緒だし)、それが高校生の娘って、、、。ま、そういう役なんだから、別にいいんですけどっ!緒形直人はオレにとっては痔になって蛍ちゃんとデートしてる印象なんですけどっ!

2005年4月3日 (日) 帰路
ヤマちゃんのスタジオで、朝6時半に目が覚めた。結局2時間くらいうたた寝しただけだ。目が覚めたのは、カオリちゃんが起きてきたからだ。彼女としばらく話すが、オレはまだ寝たりない事と畳の上で寝たため身体がひどくきしみ、何もない部屋にいるのがしんどくなってきたので、眠ったヤマちゃんを起こさず、部屋を出てバスで帰る事にした。時刻表を見ると20分ほどの待ちだ。近くのコンビニまで歩き新聞を購入。しばらくしてバスがやってきて、鳴海駅まで乗車。そこから電車で帰り、家に着いたのが午前9時半だった。
友人宅に晴史郎と泊まっていた妻から連絡があり、1・2時間後くらいに帰るとの事だった。

ケ怠さが一日中身体にまとわりついた。
血がドロドロしている様な気がする。
今夜は早く寝る事にしよう。

ついさきほどローマ法王が亡くなった。どこかの機会で報道されるであろうヨハネパウロ二世についての詳細なドキュメンタリー番組を見てみたい。なんでもローマでは、追悼訪問者の宿泊施設が足りなくなる事必至で、バチカン周辺にテント村をこしらえるそうだ。すごい。

2005年4月2日 (土) アドバイザーの仕事+ヤマちゃんのスタジオ
午後から、アドバイザーの仕事に出る。事務所で辞令を受け取り、窓口で待機。受付の女性と世間話をして時間が過ぎる。芸術相談アドバイスの広報体勢が整備されていないため、予想どおり相談者など表れるはずもなく、、、と思っていると、たまたま通りかかった女性が声をかけてきた。「ココ、演劇ノ教室トカ、アリマスカ」流暢だが外国人特有の語りだ。受付の女性が丁寧に説明し、オレも「明日ここに演劇のアドバイザーが来るので、いろいろ聞いたらいいですよ」と補足した。「ちなみに僕は美術のアドバイザーです」と言うと、目がキラリと光った。「オォ!美術ノ!ワタシ見テ欲シイモノガアルカラ、後デマタキテイイデスカ?」と言い残し去って行った。

小1時間後、彼女はやってきた。聞いてみるとペルーからの留学生で、昨春専門学校を出た後、美術大学に行きたかったがお金が足りなく諦めている。いい方法はないか?とのことだった。専門学校ではジュエリーデザインをメインに勉強したということで、過去に制作したファイルとともに、実際にいくつものアクセサリー(インカを感じさせる素朴な手づくりのもの)を見せてくれた。とても熱心に制作した事が伺える丁寧な出来だった。次回のアドバイス日までに、美術大学のいくつかに「授業料免除」や「奨学金」の制度がないか問い合わせておく事を約束する。その後も、彼女が作ったポスターデザインの手直しのアドバイスをしたり、ウェブサイトの作り方を説明したり、日本の学校制度や世界の文化について話したりと、おしゃべりに花が咲いて約2時間近く話した後、手を振って帰って行った。結局相談者は彼女1人だったが、とても楽しい時間だった。

アドバイザーの仕事を終えた後、ギャラリーHAMに行き、若いアーティストの作品を見る。神野さんに簡単な説明をしてもらい、何をしようとしているアーティストなのか何となくわかった。コーヒーを頂き、神野さんとしばし歓談しているところに、待ち合わせしていたヤマちゃんが来た。

今夜はヤマちゃんのスタジオでパーティーだ。と言ってもカオリちゃんと3人だけど。風来坊の手羽先をしこたま買い込み、ベルギービール・ワイン・焼酎、刺身やサラダなどのつまみ類も仕入れ、いざヤマモトスタジオへ。ストーブで部屋が暖まりきった頃にはすっかり話が盛り上がり、勢いでヤマちゃんの新作ビデオ作品(編集前)を見せてもらう。いくつか手を加えればすごく面白くなる素材だった。

その後は、作品として成立させるにはどこをどこまで突くべきか?解釈のための妥協は妥当か?などなど話は白熱。カオリちゃんは11時頃眠り、ヤマちゃんも1時には眠った。オレはその後ヤマちゃんのコンピュータでDVDのドラマ(4話分)を見続けた。4時前、電気とストーブを消して眠った。外はしとしと雨が降り続いていた。

2005年4月1日 (金) ヘボ+クラッシュボンバー3連発
かつてよく口にしていた言葉に「芸術は失われた楽園を取り戻すものでなくてはならない」というものがある。楽園というものが誰に対しての何であるかは、その時々の解釈によって変わってきたが、この頃、また新しい解釈を持つ事が出来るようになった。コンスタントに作品を作り続けてきたからこそ見つけられた境地だ。

■今日のビックリ■
その1:保育園に晴史郎を送って行ったら、晴史郎が最初に1ヶ月ほど通った一時保育の時のお気に入り先生が、人事異動であけぼの保育園にいた事。そして「あれま、せいちゃん、ひさしぶり」って晴史郎の名前を覚えていた事。

その2:マイノリ磯部くんが大学の廊下でいきなり背後から「わぁお、万也先生!」と大きな声で呼び止めた事。何もそんなに大きな声で驚かさなくても、、、。

その3:0対0の緊迫した投手戦。9回裏2アウト満塁で、アレックスがよもやのサヨナラ満塁ホームランをぶっ放した事。今年もドラゴンズの開幕戦はドラマティックだぜい。

さて、いよいよ明日、芸術アドバイザーの仕事の初日だ。どんな相談者がやってくる事やら。ワクワク。