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ルーティーン



2005年3月




2005年3月31日 (木) アンニョンハセヨ セイクンナ
この夏に、銀座での個展と、イギリスはエジンバラの展覧会が決まっていたが、今日あたらに韓国での展覧会の話が来た。思えば2004年は悲しいほどヒマにしていたが、今年は驚くほど忙しくなってきた。こういう事で忙しいのはいい事だ。ていうか、基本がヒマだけに、忙しくなるとワクワクしてくる。求められているって気がして、悪い気分じゃない。目が回るほどってのはチト辛いけど、それでもヒマよりはいい。セルフ・オーガナイズしっかりしてひとつひとつこなしていくのはオレ的には快感なのだ。今回のは渡航費も出るそうなので、ソウルに遊びに行けるってのが何より楽しそうだ。作品がオレを外国に連れてってくれるってヤツだ。しかも映像作品という事なので、シッピングもセッティングもラクチンで良い!

晴史郎が熱を出して、ちょっと辛そうだ。保育園で午後37.8℃まで熱が出たそうだが、迎えに行ったときは元気にしていたので、いつも通りにしていたら、寝る頃になって急に熱が出てきた。今はぐっすり眠っているので、このまま眠れれば明日の朝には元気が戻っている事だろう。もし熱が下がらなかったら、保育園休ませなくちゃならんし、そうなると大学に連れて行かんといかん。ま、明日は授業じゃなく打ち合わせだから、すぐに話し合いは終わると思うけど。

妻は勤めている会社から「勤務時間を増やしてもらえないか」との打診を受けたそうだ。信頼されているって事で、それは素晴らしい事だけど、彼女自身はキツキツに働く(その分稼げるけど)よりも、晴史郎と時間を持ちながらゆっくりする方を選択したい様だ。もう少し晴史郎が大きくなるまでは、仕事中心に回すのを望んでいないのかもしれない。

2005年3月30日 (水) ズドン!
母の検査結果を聞きに今日もまた病院へ。
で、結果。
「うん、問題ないですね。」とのこと。
それを聞いただけで充分母は元気になってしまう訳で、やはり病は気からでしょうか?
母は血液が凝固しやすい体質だそうで「遺伝しますよー」と脅しも付け加えられました。はっはっは(汗)マジかよ?

さて、今日のバーレーン戦(サッカーW杯最終予選)は、なんとも微妙でしたね。オウンゴールでしか点を取れないなんて。
以前よりずっと思っている事ですが、日本選手の弱点は、トラップ(もしくはトラップ後の球出し)にありと思います。パスを受けるとき一旦しっかり止めて、それからパスを出すから、目にも止まらぬ速さでパスが回り、そこから出来たスキからゴールにズドン!にどうしてもならないんでしょう。ちなみに前戦の福西のゴールは、自分に飛んで来たボールをダイレクトで蹴り込んでのゴール。相手が反応する前に次!これが気持ちのいいサッカーだとオレは思うのですが。
ブラジル、スウェーデン、イングランド、オランダ、、、etc に遠く及ばないのはそこがポイントだと思い続けてはや5年。ダイレクトで正確に球出し出来るのは、今日見る限り3人だけでした。さぞ監督もイライラしているんでしょうね。


ストイコビッチのプレーをまた見てみたくなります。

2005年3月29日 (火) 検査
母の検査で病院に行く。
CTスキャン、超音波エコー、MRIの3種。
待ち時間が少ないように設定してもらえたおかげで、次々と検査が進み、予想より早く終わった。
明日の午後、検査結果を聞きに、もう一度病院に行く。
それにしてもMRIというマシンはすごいものだ。体の内部をあらゆる角度で見ることが出来るんだから。

新しい作品の素材が届く。
明日の午前中はその制作に集中できる。

        □□■□□

ところで、今週の土曜日、名古屋文化振興事業団の芸術アドバイザーの仕事の第1回目があります。
相談窓口にて(間違いなく)ヒマにしていると思うので、お近く(栄周辺)にお立ち寄りの際は是非とも覗いて下さい。

 場所:ナディアパーク8F/名古屋市青少年文化センター(矢場町)
 日時:2005年4月2日(土)1:30pm〜5:00pm (次々回は4/17)

2005年3月28日 (月) 19時間
朝から深夜まで、コンピュータに向かって格闘の一日。
InDesignにも少しずつ慣れてきて、機能もつかめてきた。
やはり「Freiendship報告書」は今後困難を極める事必至じゃ。
それでも今日頑張った事でもう一つの論文集「環境と人間」の方はなんとか峠を越える事が出来た。
それにしても、いつ終わるのか、この生地獄よぉ。

エジンバラの展覧会のカタログ用の作品(Abacus)の撮影を行うも、僅かにブレて失敗。
明日、もう一度ていねいに撮影し直す事としよう。

2005年3月27日 (日) 演劇性
午後から、餃子を作った。
もちろん皮も手作りのマイレシピ
強力粉を捏ねて一枚一枚延ばすのが大変なので、きっかけがないとなかなか出来ないのだが、今回は母の誕生日会を手作り餃子で祝おうと思い、じっくり作る事にした。
途中買物に出た事もあるが、午後2時に始めて、出来上がったのは午後5時になってしまった。
その分美味しく出来、喜んでもらえたので、作り甲斐もあったってものだ。

夜は、太田くんのお誘いに便乗し、10時過ぎに吉本さん、幹永くん、中條くんに合流。今回一滴のアルコールも飲まなかった事もあり、じっくり話を聞く事ができた。いつもは酔ってベラベラ喋りまくってしまうところ、静かにじっくり話しを聞くというのもいいものだ。
クレメント・グリーンバーグマイケル・フリードロザリンド・クラウス
に関する話の中に出てきた「theatrical」という単語は、美術内美術の解剖学においては無力だろうが、現代の構造状況との関連で見ると非常に納得でき同時に考えさせられる事でもあった。いみじくもオレが吉本さんに答えた「美術ではないオレ」構造が鮮明になるものだった。

2005年3月26日 (土) カキの話
カキを漢字で書くと『牡蛎』
これは当て字であり、ここに書かれる「牡」の字は「オス」という意味である。
と言うことは(まさかと思うが)牡蛎はオスだけなのか?
いえいえ、当然メスも存在しているのだ。

確かに牡蛎をちょっと見ただけではオスなのかメスなのか、性別はよく判らない。
カキの事を「牡蛎」と漢字で書くようになったのには、牡蛎の色が原因だったとも言われている。
牡蛎を裏返すと白い色をしている。昔の人は白い物と言えばすぐに白子、つまり精巣を連想した。
その為に牡蛎はすべてオスだと言う誤解が生まれ、漢字で書くときに「牡蛎」と言う文字になったのだという説である。

実は牡蛎にもちゃんとオスメスの違いがあるのだが、繁殖期を過ぎるあたりからなんとオス・メスがなくなって中性化してしまうのだ。
そして次の繁殖期が来る頃に再びオスとメスに分かれて生殖を行い、それが終わるとまた中性化してしまうという奇妙な習性をもっているのだ。

だから「牡蛎にはオスしかいない?」と思った人も、メスがいないのだからある意味正しいわけでもあり、、、。ちがうか。
このオスとメスに分化する要因だが、牡蛎は中性化している時に繁殖時のための栄養を摂取する。その時に大量に栄養を吸収できた牡蛎がメスになり、栄養が十分得られないボケはオスになると言われている。なんだかこの説、オスのオレとしては微妙な気分にさせられるのである。つまりメスの方がつねに優位ではないかと。「あったりまえじゃん、それがなにか?」と妻の声。
へいへい、そうでやんす、その通りでごじゃりまする。(所詮オレたちは、女性に威張ったりしちゃいけないのでしょうね)

追:牡蛎は「R」のつかない月に食べるな!というのを聞いた事がある。「R」のつかない月とは5月と8月の事。5月と8月は繁殖期にあたり、その頃の牡蛎には貝毒が出る事があるらしい。また、繁殖に夢中の牡蛎くんたちには、旨味がなくなっているという事でしょう。昔の人の言い伝えってまんざらウソでもないんだよな。それにしても、旨味がなくなるほど繁殖にいそしむ牡蛎って、、、。

2005年3月25日 (金) イラク
負けてしまいましたね。ジーコジャパン。
来週のバーレーン戦を楽しみにすることにします。

2005年3月24日 (木) 愛知万博「愛・地球博」について考えた事
午前中、宇納研でベータベース入力プログラムのメンテナンスおよび、編集データの確認。
帰り際、学生たちにアドバイスを求められる。それは彼らが参加する愛知万博の企画(刈谷市の日のプロジェクト)に関するもので、ある造形物についてであった。彼らは刈谷市の花であるカキツバタをモチーフにしたベンチを作るとの事だった。話しを聞いているとどうも不明瞭だ。どんな形がいいかを討議していたのだが、どんな形のベンチを作るのかではなく、どういうコンセプトでベンチを作ろうとしているのかを明解にすることで、形態は自ずと決まってくるのではないか。教育大学の学生だからこそ考えつくアイデアを盛り込む事で、有意義な関わりになるのではないかと。

愛知万博と言えば、いよいよ明日開幕である。前回の大阪万博と比較される点が多いが、そもそも大阪万博と比較すること自体無理があるだろう。大阪万博は延べ6,000万人の入場者数だったのに対し、今回の愛知万博の目標入場者数は1,600万人だという。数字だけ見るとずいぶんな差だ。しかし、状況が違う。大阪万博が開かれた1970年は、高度経済成長のピーク時でもあり、人々が科学技術の急速な発展を手に入れた時期、つまり洗濯機・冷蔵庫・テレビが各家庭に揃い、技術進歩を身を持って体験し、今後の可能性に大いに期待が膨らんだ時期であり、その頂点として万博の展示物を憧憬のまなざして眺めた訳である。それに対して、今回の「愛・地球博」は環境をテーマにして自然との関わりを考えようと言うもの。しかし蓋を開けてみると、ロボット展示やコンピュータ制御の巨大スクリーンなど、やはり科学技術の品評会の様相は否めない。根本的な発想が大阪万博を引きずっているのかもしれない。地球の自然や環境をテーマにするならば、視点がそもそも違っていたはずだろう。テロ対策・食中毒対策と称して、弁当・ペットボトルの持ち込みを禁止し、会場内の販売店(きわめて不当な特別価格)に金を落とさせようとする魂胆やら、入場行列を回避するための徹底的な予約システムの導入により、入場券だけを握りしめて来場した人は人気のパビリオンは見られないという現象など、俯瞰してみると非常に管理化された様相が浮かび上がってくる。他にも目に見えない管理化は会場で多く見られることだろう。裏・管理博とでも別名称を与えようか。

環境といえば、野口健(アルピニスト、エベレストや富士山の清掃登山を実施)がある番組で興味深いことを言っていた。
「環境問題ってのは、自然が相手だと思われがちですが、実は人間が相手なんです。」
彼が富士の樹海でボランティアとともに不法投棄物の清掃をする。近隣住民は良い事だとわかってはいるが止めるように諭す。その理由は、不法投棄する業者にとって不利益が生じ(不法投棄する様な会社だから、まともじゃない訳で)、その跳ねっ返りとして嫌がらせをさんざん喰らうとの事だ。現に野口は転々と住所を変えなくてはならないそうだ。あらゆるものが何かの利益に絡むというこの現実、これこそ、環境を考える最も身近なポイントではないか。かつて自然は共有のものであった。自然から与えられ、自然に返す、という発想がこの国にはあった。共有財産として維持持続させるためには、自然に対しつねに相対的かつ継続的なメンテナンスが必要である。自然の叡智に対する感謝と畏敬が、人々に共有項をもたらし共同体が潤滑に形成されてきた。しかしそれが個人の利益に吸引されるようになってから、自然観は根本的なところで揺らぎ始め、いまやいよいよ崩壊寸前のところにまで来てしまっているように見える。人々の中にある逆行的自然観の起動修正こそがいま求められている最優先事項だと思えるのだが、どうやら明日から始まるこの万博、その点にスポットライトを当てる気配がないように思えるのはオレだけか?

2005年3月23日 (水)
今日は一日雨だった。
3月後半にしては考えられないくらい、息が白くなるほど寒かった。

そんな中、スタジオにこもって制作。
熊がくわえるためのシャケの成形と螺旋していないカタツムリの着色。
何度も繰り返して色を作り、塗り重ねては磨ぎ出し、少しずつ色合いと艶の調整をした。

こういう地味な作業は、今日のように寒い日には向いている。

2005年3月22日 (火) 宝くじ当選!6,000万円ゲット
オレオレ詐欺ではないけど、来ましたよ面白いものが。
外国から(なのかも判明しないが)の「宝くじ当選おめでとうおめでとう」メール!
即刻ネットで検索するとアルアル、警告出てました。
オレに来たものはユーロ建てではなく、USドル建てという違いはあるが、内容はほぼ同じ。メールアドレスのシリアルナンバーが当選したというもの。なんなんじゃメールアドレスのシリアル番号って?
普段ロトで如何に当たらないかを身を持って知っているだけに、何もしてないのに金くれるって話は笑っちゃう以外にどう行為しろと???

そういえば、前回のロト6は強烈だった。最高賞金4億円ってのがウリのロト6なのに、当選者が161人もいたために1等が181万まで値崩れしたのだ。そんでもって驚くのが2等の方が高くなり940万なのだ。なんじゃそりゃ?今回1等を得てしまった人は、飛び上がって喜んだ後、訴えたいほど悔しがっただろうな。(言うまでもないが、オレは当たってすらおりません)

さて、当選メールに話を戻すと、まったくもってズボラな手口で思わず笑えるのだ。「当選金を受け取るためのTAXを先に送れ」ってところとか、「事務処理が完了し、送金が終わるまで当選した事実を口外するな。これは別の参加者による虚偽の当選申請を防ぐためのセキュリティ上の方針」ってのも見え見えじゃん。

妻はニヒヒと笑いながら「当選した!とマジで思ってたんじゃないの?」と一瞥するが、、、
おいおい、そこまでオレは馬鹿じゃないザンス。もおー。

2005年3月21日 (月) 途中下車して箱根
朝、起き抜けからド元気一杯の晴史郎。おきろーおきろー!あさだぞー!

←これは朝シャワーを終え「東京人よ!見よ!この肢体を!」と意気上がる晴史郎の姿でありまする。
(これとは別ショットで小便小僧ヨロシク「東京にピー」の図もありますが、これはまた何かの機会に)

天気がよく、朝から気持ちいいほどの日差しが降り注いでおります。早めのチェックアウト。
大量の荷物は、フロント電話で呼び出したホテルマンにすべて運んでもらっちゃいました。
ちょっとリッチな気分に浸ったのも束の間、玄関に横付けする車がライフぢゃぁ、やっぱバレバレでしたなぁ。てへへ。

□□□■□□□    

目黒から高速に乗り、そのまま帰路につく事も考えたのですが、あまりに天気がよいのでどこかで散歩でもしようじゃないかとちょっと寄り道する事にしました。いくつか候補を挙げた末、かつて修学旅行で、そして彫刻専攻した頃に研修で出かけた箱根の「彫刻の森美術館」へ行く事にしました。今回決めていた「No Art At All in TOKYO」の原則には反しますが、そこは箱根だし、彫刻の森にある作品はアートじゃねぇし、、、などという勝手な言い訳により決定しました。なにより晴史郎が気持ちよく芝生を走り回れればいいと。
ゴッテンバ下車でちょいと坂道登った先、ちとさびれた野外美術館が目的地です。会場のパンフレットで知りましたが、彫刻の森美術館は出来て30年以上経っているんですね。妻より古い訳で、そりゃさびれる訳だ(特に他意なし)。会場に足を踏み入れてみると、残念な事にまだこの時期の箱根では、芝の保護のため芝には入れず、、、。仕方なく、煤けたペイヴメントを歩きながら、いくつかの前時代彫刻をトボトボと眺めることに。いっぽう妻は、卒業すぐに勤務していた銀座のギャラリーから購入された作品がいくつもあり、懐かしがっておりました。

晴史郎はヘンリー・ムアの「家族像」の前で「これとーさん、これかーさん、これせいちゃん」の妻の解説を理解したのか、とくとくと眺めて「あーあー」と声を上げておりました。それともうひとつが、バリー・フラナガンの「ボクシングするウサギ」で、ちょこちょことボクシングの真似 (((c=(゚ロ゚;q をしてはしゃいでおりました。 
  園内のレストランで遅めの昼食をとった後、家路につきました。

2005年3月20日 (日) 結婚式&ホテル
連休中日という事もあり、高速がどこで渋滞するか懸念して、かなり早めに流山・義父宅を出発しました。向かうは妻の従姉妹の結婚式場、目黒の八芳園。目黒のド真中におおきな庭園のある古式ゆかしき結婚式場です。途中かなりの渋滞に見舞われましたが、無事時間どおりの到着。冠婚葬祭にしかなかなか会えない相澤ファミリーズが続々と集まってきます。晴史郎の従兄弟にあたるユーマ君(5ヶ月)もお粧しして登場です。陽気なファミリーズの面々に自ずとボルテージも上がってきます。極め付きは横浜軍団で「いよっマンヤちゃん」「なぁ〜にぃ〜ミキオちゃん」でな感じで。

さて、式は滞りなく進行し、、、その陰で(陰でもないか)じっとしていられない相澤ファミリーズは各々好き勝手な行動に出る訳で、まるで新年会か同窓会の様相です。ありゃ親睦を越えて、飲み屋のノリだぞミキオ君!て事はいいとして、横浜一族は相変わらず叔父さんも従兄弟たちもパワー炸裂しておりました。新郎紹介の「中学生の時、ママチャリで環七一周」に、すかさずミキオは「なんじゃそりゃ!」と絶叫、、、ま、そりゃ突っ込みどころですが。。。

式の後は、妻の妹がプレゼントしてくれた芝公園のホテルに、家族で移動しました。加藤家3名+義父義母+妹+妹家族3名の総勢9名で、ホテルの部屋でお茶談義。すっごく広いツインルーム(しかも角部屋)だったので、9人入っててもちーとも狭くは感じませんでした。もしかしたらうちのアパート全室と同じくらいあるんではなかろうかしらん。昼間の酒は概して体を怠くさせます。酔いが抜けてきて、少しずつグッタリ感がしみ出し始めた頃、お開きとなりました。

その晩は、壁全面ガラス窓から見える東京の夜景を堪能しつつ、疲れ果てて先に寝てしまった妻を尻目に、晴史郎をあやして寝かしつけるのに2時間。楽しみにしていたF1が始まる頃には、せっかく買った部屋バーボンもほとんど空かないまま、すっかりオレも眠りの森の住人になってしまっていたのでした。

2005年3月19日 (土) カッパとアキバ
二日酔い。頭痛はないが下痢気味。義母に晴史郎の子守りを頼み、妻とともに午前10時に流山の義父宅を出発。11時前に上野に着く。上野から歩いて目指すは合羽橋道具街。途中和紙の店にふらりと立ち寄り、義母の名刺に使えそうな紙を購入。上野から合羽橋までは歩いて15分ほど。風は冷たいが天気がよく気持ちがよい。合羽橋での目当ては食品サンプル。予想していたよりも食品サンプルの店は少なく少々がっかりではあるが、寿司やオムレツ、刺身や天ぷらなどウオォ!と声を上げる程よく出来ているものもある。ほぼ1時間かけて道具街を一周する。ちょうどその頃、ヌキオから電話が入り合流。お昼をそこらで食べようと言うことになり、北海道なんちゃらという看板が見える食堂に入る。¥680〜¥780のランチがある。オレはラーメン定食、妻とヌキオはシャケ丼定食。話をしているとすぐにラーメン定食が運ばれてきてびっくり。すごい量なのである。ラーメン(大どんぶり)に焼きシャケ、ミニイクラ丼がついて¥780だ。妻たちのシャケ親子丼も、焼きシャケ一品とシャケの味噌汁がついて¥680と驚きだ。しかも会計の時わかったが、ヌキオの頼んだ大盛りは「大盛り料金は取りません」だったのだ。3人とも超満腹になり大満足。

そこから妻はイギリス時代の友人に会いに明治神宮へ、オレとヌキオはアキバ(秋葉原)へ向かった。末広町から歩いて5分。連休という事もあり、驚くほどの人出である。そのうちの40%くらいがいわゆるAボーイ、そして10%くらいが外国人というアキバならではの世にも奇妙な構成だ。OTAKUのメッカ訪問くらいで、特にこれが見たいという目的があってアキバに来た訳ではないので、いくつかのフィギア系の店やパソコンパーツの店を覗いたのち、ヌキオとゆっくり話すためにカフェに行く。もちろんメイドカフェじゃねぇど。。。久しぶりのヌキオは外見こそ変わらないが、壮大な野望はきちんと保持し続けており、そのために着々とプラン通りコトを進めていたのだった。まったく大したヤツだよ。彼の話で痛快だったのは「半年勉強すれば、MAレベルの英語のスコアは手に入れられる」というのと、「取引先の社長にベクトラワゴンをタダ同然でもらった」というもの。彼はそういうことを自慢げだったり悪びれたりする事なくサラリと言ってのけるのだ。目標をつねに実現してきた人間は、気持ちのいい自信があるもんなんだな。

午後5時半、妻と末広町で待ち合わせ、義父宅に帰る。流山までほぼ1時間ほど。帰宅すると義父が手にヨリをかけた料理で出迎えてくれた。その晩のサイコー賞は巨大なカニしゃぶだった。蟹身を下からジュルっと吸い込む。あっちっちでハフハフハフ。そのあと甘みがトローリと口一杯に広がる。うんめぇー!うんめぇー!「なに?晴史郎クンはカニアレルギーか?そっかそっか、じゃぁしゃーないからトーチャンが食べたる」と勝手に息子をアレルギーに仕立て、じゃんじゃか食す悪徳父に変貌するも致し方ないほど美味なのだ。アルコールが体中にまんべんなくしみ渡り、義父が"ごくせん"に熱中していた頃、オレは昨夜の飲み疲れと翌朝の早起きを考え早めに床に着く事にした。

2005年3月18日 (金) 流山へ
午前中、晴史郎をともない部屋の大掃除。普段なら片付けるそばから汚す晴史郎のはずが、オレの真剣な表情を悟ったか、そこそこ手伝ってくれるのであった。イイコイイコ。11時半に実家に行き、母の様子を見る。順調な様でひと安心。そのまま妻の会社に行き、12時半で早退の妻をひろって高速道路に侵入。
豊田東インターから、ロングドライブの始まり。晴史郎は昨夜作ったお気に入りの曲にご満悦だ。これは、いつも晴史郎が見ているNHKの子ども番組をビデオに撮り、その中の音楽をデジタル抽出したもの。それをiPodに入れて何度もかけた。聞き慣れた曲が車でかかる度に「あーあー」と声を出して喜んでいる。
遅めのお昼を浜名湖サービスエリアでとる。妻のごまうどん定食とオレのミックスフライ定食をそれぞれ1/3ほど晴史郎は食べ、満腹の様子だ。その後はきわめて順調に静岡県を走行。燃費表示も23km/Lを維持している。神奈川に入り、ジリジリと車の量が増え、ついに用賀手前で大渋滞になった。3連休前の夕刻、覚悟はしていたものの、激しい渋滞だ。首都高速も谷町あたりまでは自転車より遅いくらいの速度でストレスがつのる。今回は環状線の外回りを選択。池袋分岐あたりでようやく渋滞が少しずつ解消されていった。
江戸橋界隈をとろとろ走っていると、珍しくヌキオから電話がある。ちょうど今回久しぶりに会おうかと思っていた矢先だっただけに「東京に来ているのに連絡ないなんて水臭いジャン」には笑えた。翌日合羽橋で会う事に決める。
流山に着いたのは、午後8時をちょっと回った頃。義父はすでに帰宅しており、料理の用意をしていてくれた。さっそく酒宴に。乾いた喉に冷たいビールがしみる。そして焼きウニが美味かった。晴史郎もご機嫌だったが、長旅の疲れもあり、定刻を過ぎた10時頃、妻と床に入った。そこから勢いが増し、義父・義母と大いに話し大いに飲んだ。義父は仕事の疲れもあり12時頃沈没したが、その後、義母となんと2時まで話し込んだ。話し込んだというより、話に付合ってくれたというべきか。場が楽しく、分かってはいたがかなり飲み過ぎてしまった。

2005年3月17日 (木) びゅんびゅんビュビュびゅん
明日からのオノボリドライブに向けて、車(妻の愛車)の点検を午後4時に予約した。そのため、妻を会社に送ることになった。今日は目が回るほど忙しいのだ。速攻で帰宅し、メシも食わずに即「フレンドシップ報告書」の編集を始める。週末留守にするため、どうしても今日中にデータを完成させて送らなければならない。BGMすら集中の邪魔になり、コンピュータのファンの音だけが響く中、6時間ぶっ通しでようやく発送までこぎつく。途中、セーブ寸前にまたデータが消える事件もあったが、とにかく前進あるのみ。シンガポールを目指すマレー戦での山下中将よろしく、指揮官マンヤのムチはうなり続け、ガックリする暇を与えない。奴隷連合マンヤーズは(といってもオレ1人なんだけどね)ひたすらモニターに食らいつくように格闘を続けた。完全に外界と遮断されていた6時間。とにかくひとつ仕事を完了させ、すぐ次に。次は予約したディーラーに行って6ヶ月点検とオイル交換&タイヤローテーション。検査の間、代車を借りて妻を迎えに行き、そのまま、保育園にて晴史郎を捕獲する。3人でディーラーに向かい検査の済んだ車を受け渡され帰宅。帰宅後は、荷物の整理。スーツや着替え、晴史郎のおもちゃや音楽を詰め込み、、、、ふぅ。
こうやって書いていると、大して忙しくないじゃん?いえいえ、まだまだやる事はいっぱいあり、、、忙しすぎてコレ書いている時間ないのですよ。
今回のオノボリの目的は、親戚の結婚式。前々日に行って義父と飲むのだ。またせっかくなので、いくつかのポイントを攻めてくるつもり。ひとつは「萌え〜萌え〜」で話題沸騰?のアキバ。そして、もうひとつは合羽橋。合羽橋といえば道具街、厨房用品などあらゆるものがある中で、オレのねらいは食品サンプル。作品の素材収集ってわけだ。そして楽しみが、芝公園周辺でのホテル。晴史郎にとってもホテルデビューだじょ。さて、今回もまちがいなくドタバタ珍道中なんだろうが、今回はいったい何が起きるか、、、とっても楽しみぃじゃ。

2005年3月16日 (水) エコノミー症候群
午後、足の具合の悪い母を、新しく転送される病院に連れて行く。以前の病院では原因が解明できず紹介状を携えての転送となった。今回の病院は、血管の専門家(先にかかっていた病院も血管の専門家だと紹介状をもらって移転したのだが、、、)ということで、今度こそという思いで、母は一縷の望みにかけていた。少なくとも原因が分からないまま痛みが続くというのは、精神衛生上よくない。
診察前に待機する中待ち合い室まで聞こえてくる声から推測するに、ハキハキした感じの良さそうな先生だ。やがて順番がきて診察室に入る。白髪の乱れた、しかし褐色に日焼けした肌から元気さがにじみ出ている先生だ。しばらく無言でCTスキャンの血管写真と紹介状に添付されていたカルテのコピーを見た後、母のふくらはぎを触りながら「ここ、痛いでしょ?それから、ここもだよね?」と、まるで内部が見えているように、痛む部位を命中させていく。「ふむふむ、、、」と唸った後しばらくして、「聞いた事あるでしょ、エコノミー症候群、まずまちがいなくソレだね」とキッパリ。それから、エコノミー症候群について約30分かけて非常に丁寧に説明をしてもらえた。母はただ頷くだけなので、オレはどんどん質問し、そのつど的確に説明をしてくれた。それによって、今までいくつもあった矛盾が、ガラスが割れるように氷解していった。聞けば聞くほど、症状と経過について納得がいった。それは母も全く同じだった。10日後、MRIで静脈の精密検査を受ける事になり、ようやく事故箇所を解明することが出来そうだ。母は、診察室を出る時「先生にお会いできて本当によかった」と深々と頭を下げた。
母は、今回の病気で、すっかり弱くなってしまったかのように見えた。オレがたまたま時間に余裕がある(ありすぎるとも言える)生活をしているので、母に付き添いいろいろと知る事が出来ただけで、実際には当たり前の微々たる行為なのだけど、今日は親孝行という言葉が頭に浮かんでいた。そして母に育ててもらった事に対する感謝の気持ちがジワーッと起きたのには自分でも少々驚いた。

2005年3月15日 (火) どーするどーする?
午後からA大学でのミーティング&データベース入力指導にずっと時間を取られ、思ったように編集データ収集が出来ずじまいであった。展覧会が迫っている中、編集企画関係の仕事を3つも同時に抱え込まされるというのは過去に例のないほど苛酷な状況。しかも半月もすると新年度が始まり、授業資料作成等で一層多忙になる訳で、、、制作時間など割き様もなく、、、どーするどーする?
そして妻は妻で、通常業務がただでさえ忙しく帰宅が遅くなるなか、N大学から英訳(日→英)の依頼を受けて毎晩取り組んでいる。スローペースが基本の彼女にも少々疲れが見えてきている。ぶっ倒れる前に仕上げないと、、、どーするどーする?

そんなこんなで、友人からの宴のお誘いも断り、深い海底に沈み込むべく、、、のはずであったが、宴の刺激が発火点となり、 お互いのstressとdiscommunicationによるズレをイッパツ解消するため、今夜は(ユーストア火曜特売で仕入れた)新鮮魚介類で、妻とキッチン宴会に突入。
しかしながら、度重なる晴史郎氏の破壊行為によって、宴は早々にお開きとなるのであった。

2005年3月14日 (月) ブンブンブン
 丸一日(約9時間ぶっとーし)パソコンに向かい仕事の準備に追われる。

 熊は何をくわえるか?
 これが今日のそもそもの始まりだったが、、、。
 いくつかの細々の処理は出来たものの、気がつくと鬱々とした一日になっていた。

オレの愛機PowerMac G4 (1Giga Dual) QuickSilver 2002 には、サウンド入力ポートがない。そのため、オークションでPCIサウンドカードを落札した。これを使って、古いアナログ録音の素材をデジタルにおこそう。かなりの品質ということで、いやが上にも期待が高まる。

ところでここのところ、G4のブ〜ンというノイズが非常に耳につくようになってきて、ファン交換を真剣に検討したくなってきたぞ。G4のボディースタイルは好きなのだが、G3時代のボディーデザインをそのまま受け継いでいるために、G4特有の高熱に対処できる構造になっていない訳だ。放熱機構がまるでなっとらんので、致し方なくファンをブンブン回すしかないわけだ。それも、流体軸受けなどの静音ファンを使っていないので、そりゃまぁうるさいうるさい。
かつて一世風靡した初代iMac、あれは自然対流放熱構造だったため、ひとつのファンすらなかった。名機だ。

2005年3月13日 (日) おとしどころ
午前中見ていたテレビで、クリストのNYセントラルパークのプロジェクトを見た。       画像参照→
高層ビルを背景にしたオレンジ色のゲートは、予想をはるかに超えて美しかった。

昼に実家へ妻と晴史郎とともに母の見舞い。妻の料理で一緒に食事。

折り込みチラシで見つけたバーゲン。妻のメガネを作りにいく。フレーム+レンズセットで¥2,980なり。激安! フレームの壊れたメガネを差し出し「これと同じタイプのレンズを」と言うと、店員はニヤリとして言った。「その子にやられました?」

帰宅後、ホームセンターで購入した極小ボルトを使ってパソコンの修理。晴史郎が落下させて壊れたヒンジ折れを、裏からボルト通して修復完了。完全とは言えぬが、取りあえず使いにくい状況は回避できた。

夕食は、大エビを使って妻がエビチリを作ってくれた、口からはみ出すサイズのエビチリ、So Rich !

2005年3月12日 (土) 旧友
学生時代の友人2人と飲んだ。
3人揃うのは8年くらいぶりだ。
よく飲み、よく喋った。
それぞれの状況がそれぞれの分野で確立されており、話しを聞いていて面白かった。
それにしてもよく飲んだ。

2005年3月10日 (木) ルール
2週間以上前からずっと痛みを訴える母の足の検査結果を聞きに、例の大病院へ行く。再三の精密検査にも関わらず、正確な原因が見つからない。担当医も正直お手上げなようで、より専門的な検査が受けられる病院に紹介状を書いてもらって、来週の水曜日から転院する事になった。いまだにちゃんとした治療が始められない事に、母はかなり落胆していた。

ウォーミングアップながら「ルール」をテーマにした作品の制作を開始した。これでついに5種(5作品)同時進行となってしまったが、そういう状況はオレは嫌いではない。あっちの塗装を進めながらこっちの接着剤硬化を待ち、そっちの成形をしながらこっちのパーツを作成する。頭をフル回転させないといけないが、一ヵ所に思考が固まって貼付いてしまう現象を回避できる。

フレンドシップ報告書の編集データも少しずつだが集まり始めてきた。さぁ、いよいよ本格的に忙しくなるぞ。

2005年3月9日 (水) 調子、上向き
FileMakerでの入力マニュアルを午前中作成。全く初めてMacintoshをさわる人間でも、これさえ見れば入力作業が出来るというスタンスで作った。画像を取り込み、テキストを配置し、、、。最終的にMicrosoft Wordフォーマットにして完成。ところでWordのお節介ぶりに今回もかなり苦しめられる。箇条書きの場面で、番号をふって文字を入れて「改行」した時、勝手に文章先頭に次の番号をふるのはやめてくれ!改行する度に、勝手なお節介を焼くのは やめれー!
みんながみんな、そういう手法で文章を作っている訳ではねーだぞ。まったく、ヒトをなんだと思ってやがる。

午後、スタジオで制作。作業工程上、久しぶりに「木彫」をすることに。彫刻刀はしばしば使う事があったが、ノミを手にしたのは何年ぶりだろう。木槌でコーンコーンと叩く感触が気持ちよかった。少しずつ制作の調子を上げていかねばならぬ。これからは、昼間はスタジオで制作、夜はコンピュータで編集&デザインという状態になるであろう。特に編集の方、今月中にメドを立てねば、オソロシイ事になってしまうというのに、データが集まらない事にはどうしようもないんすけどっ!

2005年3月8日 (火) 村上隆
高校。今年度最後の授業。2年ほど前にNHKで放映された「村上隆」を追ったドキュメンタリーのビデオを見せる。工房での彼の厳しさに子どもたちは圧倒され、しーんとして見ていた。普段いつも寝ているヤツまでもが。授業後数人に聞いてみたら「おもしろかった」とか「わたしムラカミ好きだし、、、」とのこと。おどろく事に、いまや村上は田舎の落ちこぼれ高校生にまで知れ渡る存在だったのだ。現代アートがここまで来るとは、20年前、誰が想像したであろう。

今秋の大学企画の展覧会のためのデータベース格納用プログラムをFileMakerで作成。フォーマッティングを家人に手伝ってもらい、非常に使いやすいものが出来た。

2005年3月7日 (月) おかあさんといっしょ
知らんかった。

NHKの人気番組「おかあさんといっしょ」には、体操のおにいさん(佐藤弘道さん)と一緒に子どもが体操するコーナーがあります。そこで流れる体操のうた「あ・い・うー」は、使われ始めてそろそろ10年になるんですが、その中に出てくる歌詞に
「♪ねこのよーに、じゅーわ」そして「♪りすのように、びーしゃ」というところ、ヘンな擬音だな?ナンダろな?と思っとったんですが、そーんな事もすっかり忘れて数年経ち、今日たまたまネットサーフしていて見つけました。まさに目から鱗です。
なんと「猫のように柔軟」そして「リスのように敏捷」と言っとるとです。子ども向け番組にしてはえらく難しい言葉使っとるとです。(皆さん知ってた?) だいたい「ビンショー」って書けない漢字です!

ついでに、その歌詞に出てくる「ラッコになりたいライオン、、、」のあと「女の子になりたい男の子」というのが出てきます。「男の子になりたい女の子」って歌詞もあるならともかく(経験上そういう子の方が多いと思うのに)なんで「女の子になりたい男の子」って歌詞が唐突に?そのまんまの意味で見たらヤバくない?子ども向けって、童謡にしても童話にしても、時々不思議で、意味深で、驚く様な内容だったり、残酷だったりしますよね。何が狙い?って邪心もつ事自体オレが「幼稚」なんでしょうか。

もいっちょついでに。いま出演中の体操のおにいさんは、この3月一杯で"卒業"なのだそうです。最近は「イチジョウマン」っていうブッ飛びキャラなんかやったりして、デビュー当初の頃の初々しさを打ち捨てて、オレ的にはかなり目がテンで、デラ素敵だったのに残念です。

2005年3月6日 (日) SJP(Ski Jump Pair)
今日、CGアーティスト「真島理一郎(ましま りいちろう)」を取り上げるNHKの番組があった。
以前よりチェックして楽しみにしていたプログラムだ。CGアート作品のDVDとしては異例の10万枚の売り上げを誇る大人気のその作品は「競技スキージャンプ・ペア」というもの。何しろその奇想天外な発想で、デジタルアートやCGの世界のみならず、プロジャンパーやスキーヤー、そして一般に広くファンが生まれ、口コミながら、あれよあれよという間に超売れっ子になってしまった。海外でもその評価は高く、多方面で注目されている期待の日本人クリエイターだ。屁理屈をコネコネこねながらゲイジュツと格闘しているアマ芸術家たちをせせら笑う様な素っ頓狂な作品は、過去の芸術の保守的な壁を簡単にぶち破るだけのパワーがある。それでいて、徹底的に細部までこだわり、あらゆる細部で辻褄が合うようにした徹底的なこだわりぶりがユニークであり、ユーモアを誘う。大学で工業意匠を学んだだけあって、作品の「完成度」の充実ぶりには脱帽だ。どこをみても妥協が全く伺えないのは、自己のコンセプトの強度を徹底的に信頼しているからに違いない。
番組でオレ的に一番面白かったのは、映像の中で競技の実況を担当している茂木淳一という人物。スタジオで生実況をしたのだが、真島以上にユニークだ。いったい何者なんだっ!面白すぎるぞ。

2005年3月5日 (土) 京都・大阪
京都芸術センターの林さんとの待ち合わせは、会場でもある京都パレスサイドホテル。午前10時に間に合わせるために、午前8時に家を出て、新幹線で京都に向かった。車内ではiPodを聞きながら、河合隼雄の「ファンタジーを読む」に集中した。あっという間に京都につき、地下鉄に乗換えパレスサイドホテルに向かうと、10時ジャストに到着。早速ホテルの担当者と副支配人および芸術センターの林さんとで打ち合わせ。30分ほど話した後、芸術センターに林さんと移動。センター内のカフェで詳細確認して別れた。京都のいくつかのギャラリーを回った後、大阪に移動。
昨年秋、万博跡地から移転したばかりの国立国際美術館の「オノデラユキ」を見る。予想以上に、非常によかった。作品を見ながらいろいろ考える事が出来た上、自然に元気が出てきた。こういう事を与える事の出来るアーティストは、世の中にそうそういまい。
夕方、マコッチのオープニングに行く。今回は「本」をテーマにした作品群だが、驚くほど質が高く、オレは正直感動してしまった。本当に硬質で思慮深くありながら、ど根性とユーモアに満ちた作品だ。しかし本当はマコッチによるアーティストトークを聞きに行ったのだが、確認してみると驚く事にそれは来週の話で、1週間まるっと勘違いしてしまっていた訳だ。結局マコッチと大阪駅地下の焼き鳥屋でビールに舌鼓を打つ。それにしてもマコッチがベジタリアンになるとは超意外!

2005年3月4日 (金) 気がついた
家人が録画しておいてくれた「トリビアの泉」を見ていて、悲しき事実を知るに至った。

番組の中で『新紙幣には「ニ」「ホ」「ン」という文字が、隠されている』というトリビアが紹介されていた。文字の大きさは0.5ミリ程で、かなり小さそうだが、肉眼で見えないサイズではないはずだ。隠れている場所も紹介されていたので、さっそく財布から千円札を取り出して目を凝らして探してみた。んん?どこだどこだ? するとどうだ、、、、じっと一点を見つめていると目がシバシバしてくる。いくら目を凝らしても、目をこすっても、小さすぎて焦点を合わせる事が出来ないのだ。むむむっ、これってロ・ウ・ガ・ン??? 
でもそれはまだいい。文字がホントに小さいのだから。
そんなことよりも自分の無意識の行動に驚いてしまった。気がつくと眼鏡をデコ上にあげていたのだ。そう、ご老人が新聞読む時や領収書を確認するときよくやる「眼鏡あげ」である。げっ!なにしてるんだ!ああ、情けない。そして間違いない。これは老眼だあ。

いよいよ自覚せねばならない地点に差しかかってしまったようだ。自分はもうかつての自分ではないと。
それを思っていたら、なんだか虫が脱皮する様な気分になってきた(虫になった事ないけど)。
自分の体が自分のものでなく、乖離していく様な気がしてきた。これは間違いなく自意識と現実とのズレから起きる目眩だ。今後もこういう体験の度に、ズレ修正に苛まされる事であろう。それがイヤなら、選択は2つ。ひとつは自分の加齢に順応する事。つまり諦める事。そしてもうひとつは加齢に交戦する事。つまり鍛え直す事。
80才で大車輪が出来るようになりたいとは思わないが、ここで気を緩めたら後はナシ崩し的に一気に加速して老ける気がする。
老いを醜悪の対象と見なさず、美しく受け入れようではないか、、、などと永六輔の本には書かれていたりするが、具体的にはどうしたら良いのだろう?皆目見当がつかないまま悶々としていると、ジワジワと眠くなってくる。まさにこれ。この集中力低下こそ、以前から始まっていた老いだったんだな。気づいとらんかったぁ。
くそぉ、オレはあくまで抵抗してやるもんね。若さこそが美だとは全くもって思わないが、そう簡単に老いのヴェールに取り込まれてたまるか。そうだ、もっと脳に刺激を与えて、ピリピリした緊張感を楽しんでやる。そうだ、旅に出よう。
ということで、明日から京都に行ってきます。

2005年3月3日 (木) yuyo
昨日もらった名刺に書かれてあったユヨウ君のブログを訪問する。かなりじっくり見た。彼の事をそんなによく知っている訳ではないが、今回彼のブログを見て、彼の人柄がすこしだけ見えた気がする。とても繊細で、優しい人なんだろうな。なにより淡々とした彼の生き方、そして、自分の力だけをもって世の中と静かに対峙している姿に好感を持つ。そして読書が好きなんだろうなという事も伝わってきた。とにかく人間が面白そうだ。今度機会があったら、じっくり話してみたいと思った。

2005年3月2日 (水) 風流ならざるも また風流なり
織部亭20周年記念パーティーに作品を持って出向く。午後6時からのパーティー1時間以上前には到着できる見積もりで家を出たのだが、高速道路の事故による大渋滞に巻き込まれ、約8kmを歩く様な速度でジリジリ。事故案内は出ていたので、他ルートを選択するチャンスは名古屋IC手前にあったが、あえて渋滞に突っ込んでみたくて直進した。しかしここまでの大渋滞とは思わなかった。アクシデントを楽しもうではないかと気を取り直すも、退屈の果てに眠気が襲ってき、さすがにうんざり。大型トラックが横倒しになる事故だったらしく、ちょうどクレーンでの車両撤去作業時と重なったため、ピークゾーンにハマった訳だ。
織部亭到着は1時間遅れ。パーティー準備で忙しくする大島さん+チエコさん。作品をポンと設置し、友人の到着を待つ間、置いてあった婦人雑誌を丁寧に読んでみる。オレが普段見ない角度からの世間がすこしだけ見えた気がした。
しばらくすると続々と人がやってきて、宴は一気に賑々しくなる。いつものメンバーと集いながら懐かしい面々の登場に盛り上がる。シングルモルトで叩き起こされた胃袋に、ビール&BBQチキンが絶妙!それと、出原くん手製のたいやきパイには脱帽。さすがだね、巨匠!

ひょんな事からユヨウ君のバイクを見せてもらった。なんと懐かしのKawasaki Z-200じゃねぇか。どノーマルにあえてしているのもツボを心得ているね。シングルシリンダー特有の粘っこいトルクを今でも体が覚えてる。ギーュル、ギュルギュル……って感触なんだよね。

NY帰りの怡土くんとアルコバを交え、おしゃべりは深夜まで続く。織部亭を出てからファミレスにてコーヒー。午前4時、出原くんらを残し帰路に着く。帰りの高速は眠気との戦いになった。睡魔勢の攻勢に数回破れ、瞬間的に記憶が消えるも命カラガラ帰宅。酒のせいではなく、風邪が一段と悪化した様な気配だ。

2005年3月1日 (火) 編集会議
フレンドシップ事業報告書の編集会議が大学教官室で午後2時からあり、勇んで出かけるも(驚くことに)肝心な2人からは全く原稿を受け取ることが出来なかった。本日の会議の目的は、最終原稿の受け渡し及び個別の確認事項調整だったはずではないか?何のためのスケジュールなんだ?忙しいからと言って原稿が1か月遅れるのであれば、その分オレが1ヶ月後4月の超忙しい時期に重なり「泣く」ことになる訳だ。お互い痛み分けということで、せめて今月中旬までには何とかして欲しいものだ。というか、この1ヶ月の猶予は何だったのかと問いたい!