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ルーティーン



2005年2月




2005年2月28日 (月) MOTHER
晴史郎を保育園に送ってその足で実家に行く。足の悪い母を病院に連れて行くためだ。母は半月ほど前から左足がしびれて痛み始め、今では杖なしに歩けなくなってしまっている。講師の仕事もすべて休み、家から出ることができなくなってしまった。母のかかりつけの整形外科は超人気の病院で、診療が終わるのに半日かかるかも?ということだったが、幸運にもすぐに診察してもらえた(といえども1時間かかるのだが)。診察した院長が「これは緊急事態だ、紹介状書くからすぐに大病院に行きなさい」とのこと。氷のように冷たくなった足に脈がなく、血が通っていない可能性があると。顔面蒼白の母を連れて急いで大病院に行くと、まずは大病院特有の面倒な受付システムに困惑。それでも血管専門の医師への紹介状が功を奏し、すぐに超音波検査を受けることができた。どうやら血が通っていないということはないようだ。少なくとも壊死による切断という危機はなくなった。膠原病の疑いもありということで採血し、また、毛細血管の精密検査のために、明日CTスキャンを撮り、肝臓検査も受けることになった。病院の帰り道、元気そうに振る舞うも、動揺を隠せない母を見ているのは辛かった。
夜、元気に走り回る晴史郎の姿を見て、人間の道程を深く感じた。

2005年2月27日 (日) やおい
普段あまり見ない「新日曜美術館」だが、今日は面白いテーマだったのでついつい見てしまった。そのテーマとは「OTAKU」。今開催されているベネチア建築ビエンナーレの日本館でのテーマである。それを紹介したのが今回の番組プログラム。
そもそもオタクということばも面白い成り立ちだが、彼らの中でよく使われる言葉として「萌え」が最近一般社会にめっきり浮上してきた感がある。「萌え」という言葉の使われ方は知っていたが、「やおい」というのは知らなかった。「やおい」はもともとコミケ愛好家たちの間で使われる言葉である。コミケって言葉も、1年前までまるで知らなかった。コミケとは「コミックマーケット」の略で、有明ビッグサイトで年2回開かれるアニメ同人誌の祭典のことである。そこに集まる人々の間で使われだした言葉が「やおい」で、「やまなし、おちなし、いみなし」のそれぞれの頭をつなげて「やおい」というらしい。そのナンセンスぶりが、かえって評価の対象になるのだという。そしてその感覚こそ、まさにポストモダン気風そのものだ。
さすがに最近では、変態、ロリコン、猟奇的感覚者、などという排除的イメージで「オタク」を語ることこそ少なくなったが、彼らの時代感覚を歪めずに報道されることはいまだ稀であるため、まだまだ世間一般には奇妙な存在と映っているに違いない。しかし彼らのセンスは、これまでのこの国の問題点と、これからのあり方を逆照射的に映し出している訳で、キモイなどと言うのは、あたかも自分の影を見ずに自分の大地を語るようなものである。オタクが正統な日本文化として受け入れられる時代はすぐそこだ。

2005年2月26日 (土) Livedoor
今から500年ほど前の先の見えない泥沼の時代、ひとりの「うつけ者」と罵られた男がいた。その男は、時代の常識を次々の塗り替えた。戦に鉄砲を用い、地球儀を愛で、楽市楽座を開き、延暦寺まで焼き討ちにした。神をも恐れぬその所業に、民は震え上がり、多くの嫌悪の対象にもなった。しかし、彼の先を見る目は、今にして思えば確かだった訳だ。結局その男、求めていたものを手に入れる事はできなかったが、彼の築いた礎は(正逆合わせ見ても)今日のこの国のあり方に計り知れない功績を残したと言えよう。
この国の歴史には、時々そういう人物が出現する。犬猿の仲の薩長を結びつけたり、江戸城無血開城を敷いた男も、志半ばにて倒れてしまった。

世がそういう男の出現を求めているのかどうかは知らないが、現れるべくして現れている。つまり時代が閉塞してくると、そういう男が出てきて突破口を指し示す。
だから、どっちが勝つだの負けるだのってマスコミの論調なんか放っといて、オレたちの時代のオレたちの周りにはびこる閉塞感がどんな閉塞性なのかを考える時期なんじゃない?

漁父の利を得て出来上がった楽天イーグルス。巨人に勝ててよかったね。人気も出てよかったね。でもそんなの、ちっちぇーちっちぇー。

2005年2月25日 (金) 面白いCM その1(その2はあるのか?)
突然ですが、皆さんは知っておられるか?「カブドットコム証券」という会社のコマーシャルを。
証券会社のCMには考えられないテイストなのだ。まずは音楽。そして映像。クライアントがどういう指示を出したかは分からないが、ああいうものを発想して作り上げるセンス、ありゃある意味天才だな。ちなみに「バス篇」での登場人物は、日本代表にもなった浦和レッズの坪井選手。これがまたなんとも笑える。どうしても見たい方は、日曜朝7時30分「儲かりマンデー」のCMで放映されるチャンスを捉えるべし。 (音楽だけはカブドットコム証券のHPより聴く事ができます、音楽だけじゃ伝わらないんだけどね)

いまいちなCMもついでに。「みっなおそー、みっなおそー♪」でおなじみの自動車保険「そんぽ24」は、おどる3匹のコアラのアニメーションで巷の人気である。おどりはまぁいい、一匹だけちょっと遅れている所ナンザまぁまぁイイ感じ。そして突然ハナが電話になるってところもかなりイイ。しかしオレ的には、そのハナ電話をまたハナに戻さないで最後まで電話にしているところが、残念。
(アンケートをすると25%ほどが「そんぽ21」とワガツマ的間違いをするらしい、それって発毛の会社と間違えてんじゃ?)

2005年2月24日 (木) インフル冤罪
保育園を休んで、医者に行った。クスリを出さないことでオレたちが信用しているわたべ先生は「インフルエンザかも知れないという状況でクスリを出すのはいかがなものか」という立場によって、とにかく様子を見ろとの指示だけもらって帰る事にした。その後熱が下がったところから推測するに、晴史郎はどうやらインフルエンザではなく、一瞬熱が出ただけだったようだ。
それでもやはり何かの菌にやられているためか、とにかくよく眠った。昼寝を2回もした。ぐっすり眠ってくれる事で、どんどん元気も出てきた。

夜、ナディアパークにてこの4月から始める「芸術文化活動アドバイザー」のミーティングに出席。いろいろと考えると難しい事もあり得る任務だろうが、オレ流でやって行こうと思う。ミーティングの後、立松さんと飲みに行くことに。その前に、Macストアに立ち寄ったら南山時代の教え子H君に遭遇。春から大学を休学してアニメーションの学校に通うのだそうだ。iPod Shuffle購入していた。

立松さんと行った飲み屋は、上前津にある「やっちゃん」という果実酒名人のオヤジの店で、驚くほど美味い果実酒をいっぱい飲ませてもらった。いかにもこだわりのオヤジという風体。しかし、酒もアテも驚くほど美味いのだ。美味さに乗じてオレはスピードキングと化して喋りまくり、そしてかなり酔っぱらった。立松さんと話すと、勢いが出て、どんどんいろいろなアイデアが湧いてくる。引き出させるのが上手いのだろう。いやぁ、美味く楽しい酒だった。

2005年2月23日 (水) インフルエンザ?
スタジオでの制作が一段落した午後4時、ふと携帯電話を見ると、着信サインが点滅している。何だろうと思って見てみると、保育園から1件と妻から3件だった。着信履歴はどちらも午後2時半頃。ほぼ同時刻に妻からメールも届いていて、それを見て初めて晴史郎が熱を出した事を知った。取り急ぎ妻に電話してみると、もうすぐ保育園に到着だということだった。オレはずっと電動工具を使って作業していたので、呼び出し音に気づかなかった。なんでも39℃の熱が出ているらしい。オレも仕事を早急に切り上げ、帰宅する事にした。
晴史郎の熱はピーク時よりも少し下がって38℃程度になっており、元気はそこそこ食欲もある。グッタリしているのではなくひと安心。とにかく様子を見ようと思うが、保育園ではそこそこインフルエンザが流行り始めてきているようだし、明日になっても熱が下がらなかったらインフルエンザの可能性が濃厚だ。しかしながら、今年流行のインフルエンザはB型というもので、一度熱が出るが一旦下がり、インフルエンザではないなと思っていると再度高熱が出るという特徴があるらしい。明日一旦熱が下がっても、油断はできない。とにかくわたべクリニックに明日連れて行こうと思う。初期対処が重要だ。

ワクチンの接種受けたのに、、、(;д;)
B型にかかっちゃたとしたら、ジイジといっしょだね。

2005年2月22日 (火) Priceless
NHKの番組「クローズアップ現代」で、公立美術館の危機をスクープしていた。
成功可能性例として「金沢21世紀美術館」を、失敗可能性例として「川崎市民ミュージアム」を取り上げていた。開館初期という事もあり集客数で他を圧倒する金沢と、集客数が極端に減少する川崎の比較から、市民に根付いた美術館であるか否かという分岐点が成否の鍵だという結論が導きだされていた。しかし、オレはそういう視点で美術館という文化施設を語るべきではないと思う。

そもそも、美術館構想時に文化施設の存在意義や美術館の方向性の討議をスキップしたまま、バブル期に日本の各地方自治体は、こぞって美術館建設に挑んだ。そして、立派な箱(建築物)を莫大な費用を投入して建設し、その後の運営方針に対して多くの自治体が無頓着だった事は否めないだろう。つまり、美術館の市民に対する役割を熟慮しなかった事が、今日の美術館危機を生み出したのではいだろうか。美術館運営には年間数億円かかるものも多く、収益の増減は、実質的な美術館経営の最大の焦点といわれる。減収分すべてを自治体が負担していては、ただでさえ困窮に苦しむ各地方自治体経理にとってはお荷物と言わざるを得ない。しかし、美術館の本来的目的である「文化施設」としての意義を考えるとき、「文化は金で買えるものではない」という事を再認識する必要がある。莫大な費用をかけ美術館という箱を作り、そこに所蔵する美術品を揃えれば、美術館として機能するであろうという発想がいかに見当違いであったか証明された訳だ。サッカーが盛んな地域にスタジアムが求められるように、美術館がなにを求められて出来上がったのかを見落とすと、押し付けられた文化の一人歩きになりかねない。

そして同時に、市民に根付いた美術館である事と、文化施設の機能意義という両者が、必ずしも相容れるものではないという点を認識しなおす必要がある。市民の求めるものをそのまま展示する事が文化貢献とは思えないし、市民に対し一方的に啓蒙する事が美術館の任務とも考えられない。「市民に根付いた美術館」とは簡単な言い回しだが、非常に深く抽象的なものである。各地域にはその地域に似合った文化があるのだから、ひとつの成功例を一般的指標として描く事はできない。美術館の本来的な役割とは、市民の日常生活に「ある種の潤いを提供する事」だとオレは思う。それは美術愛好家だけに与えられるものではなく、多くの市民にとって、美術品や美術館の雰囲気によって自分の日常をシフトする機能があればいいのだと思う。美術によって、ルーティーンな日常が浄化されたり俯瞰できたりトリップできれば、その時「芸術力」を体験できるのではないだろうか。そのために自治体には、いま(もしくは今後)何が市民にとって有意義かを正確に捉え、それをひろく市民に伝播する体勢を整備する姿勢が求められる。

文化とは元々「Priceless」なものなのである。だから自治体こそが(公金で)文化環境の整備をするのであり、民間企業の様な採算収支のみで美術館を捉えること自体、文化の不毛性を露呈してしまっているのだと言えやしまいか?

2005年2月21日 (月) 教訓:イソガバマワレ
朝、出勤前の慌ただしい中、大急ぎで晴史郎を保育園に送って行く時の出来事。
ガッチャーン!!!ギャッ!やっちゃいました。
事故りました。正確には、事故を引き起こしてしまいました。

保育園の駐車場が少しだけ遠い事を理由に、園の近くの路上にクルマ止めてダッシュで晴史郎を連れて行こうとしてドアを開けた途端、隣りをすり抜けようとしたスバルインプレッサWRXの影が見えたかと思う間もなく、オレが開けかけたドアでインプレッサのドアミラーが
ガッシャーン!(体感的にはドッヴディギュアーン!)
ブルーメタリックのカバーごとコッパ微塵の大粉砕。
後方確認なしでいきなりドアを開けたオレがほぼ全面的に悪い事故である。
ただでさえ時間のない中、事故相手と入念な情報交換をし、取りいそぎ話をつけた後、保育園に晴史郎を送り届け、猛ダッシュで職場へ。思わぬハプニングで約20分をも要してしまった。ギリギリ間に合うには間に合ったが、車内では「その瞬間」の反芻地獄。急がば回れ!という小学校低学年御用達のことわざが頭の中で駆け巡り、すっかり落ち込んだ。
職場でのあき時間に、保険会社へ電話して必要事項の確認。修理見積もり次第では保険を使わない方が有利な可能性もアリ。とにかく早急に警察へ「事故届け」が必要との事。
気持ちを切り替え、仕事に精出す。
今日は、成績提出までの最終授業日。残業して、全クラスの成績をつけ、他の事務書類をこなし、すべて提出して帰宅する。
帰宅後すぐに警察と保険会社に連絡し、どのような処理が必要かをチェック。事故相手にも電話を入れ、午後6時に安城警察署で相手と待ち合わせる事にした。
5時40分に警察署に到着し、お詫びの菓子折りを持参で待つ。すっかり暗くなった午後6時、ミラーがぶっ壊れたままのクルマで登場。せめてもの救いは、相手が紳士的な態度でいてくれる事だ。意外とあっけなく事故届けは終了し、相手といくつかの確認事項を話したのち別れた。あとは保険屋と修理工場との交渉である。一応はこれで一件落着。
やれやれ〜。
やれやれ〜。
やれやれ〜。
やれやれ〜っ。

2005年2月20日 (日) のみのみ のみのみ のみのみ のみのみ
飲んだ飲んだ、またまたヨーケ飲んだ。まったく懲りずに2日連続でヨーケ飲んだ。
HALが来たのが昼の2時(土曜)で、さすがに朝5時(日曜)まで15時間ブッ通しで飲んでりゃ翌日は死にそうだわい。
しかしである。学生の頃のように、もしくは独身の頃のように、ていうか、子供ができる前の頃のように、「飲み過ぎた日の翌日は昼まで寝てる」って常識が通用しない訳で。当然ながら、晴史郎は朝から「あそぼーよー」だし、あっちこちでどっかに頭ぶつけて泣き出すし、お腹もすくし、子守唄も必要だし。。。もうあんな無茶はできませんね。
そんでもって、狭い我が家をご存知の方には想像に易いと思うが、あの部屋に総勢8名(晴史郎含む)での鍋(豆乳をベースにした白だし豚鍋)宴会というのは、まさにハチの巣というか、岩場のタニシというか、
茹でたてスイートコーンの様相であった。(意味不明) 
でも楽しかった。来てくれた後輩諸君、あんなに遅くならない程度で、また遊びにおいで。

   PS:アイコ&ヨークン持参のワイン(チリ赤メルローフルボディー)は絶品であった。
    「コルチャグア・ヴァレイ・メルロー・グラン・レゼルヴァ・フルボディー」 (画像参照)

2005年2月19日 (土) のみのみ のみのみ
飲んだ飲んだ、昨夜はヨーケ飲んだ。
調子の芳しくない晴史郎を午後9時にピッシリ寝かしつけてから、世間一般においても妻にとっても週末ということで、チョビットだけ飲もうと妻と2人でキッチンへ。梅酒お湯割で乾杯。話が弾んでもう一杯。美味しくなってきてまた一杯。話しがいつの間にか盛り上がってきてさらに一杯。今度はウイスキーでどうだ!ともう一杯。お互い「ちょっと聞いてよ!」と「さっきの続きだけどさぁ」の連発でさらに深酒に、、、。
まるで新婚の頃のように、2人でとめどなく話しをシまくった。あんな事こんな事、ひとつの話題が次の話題を触発し、連鎖しながら次々に翼を持って飛んで行くサマは、オレたち夫婦にとっての至福のゾーンなのだ。こんなふうな時間を持てたのは何ヶ月ぶりだろうな。

でも、午前3時まで、そしてベロベロになるまで2人で飲むのは、あまりに大人げなし。
ただ、そういう大人げなしこそが日常における最高の潤滑油。
日々のルーティーンな生活につやと張りを与えてくれる。

またやろうね、ダーリン。

2005年2月17日 (木) ワガツマ語録
今日はずっとスタジオにこもって新作に取り組む。3点同時進行なので、それぞれの制作行程での待ち時間(接着剤硬化待ち、塗装乾燥待ち、溶接冷却待ちなど)をコントロールしながらいいペースでこなす事ができた。かなり面倒な金属加工も手順を丁寧に追う事で予想よりうまくいき、気分はまずまず上々だ。♪(゚▽^*)ノ⌒☆



話は変わって、家人は、卒論を英語で書かされるような大学の出身の上、たいへんな読書家でありますが
帰国子女のため(ウソ)、ちょっとだけ宇宙人(ある意味ホント)なので、時々奇妙な日本語を使います。→

□今日はその一例を。

「ここんとこ忙しくて、指に筆まめができちゃった」
  へぇ〜「筆まめ」ですか?言おうとしてる事はわかるんですけど、、、。

「炊事・洗濯・家事・オヤジ」
  おっとっと、途中から転移してません?
ま、こんなもん共同生活者から見れば氷山の一角でして、まだまだ抱腹絶倒な語録が多数ございます。、これ以上は本人の名誉のためにあえて控えさせて頂きます。彼女のこうした(先天的)センス(=天然?)、オレは大好きな訳で、とくに苛ついている時など、爽やかな一陣の風が吹いてきた様な錯覚すら覚えます。人生にこうしたヒーリングは要所要所で必要ですね。

2005年2月16日 (水) 8時間
朝、晴史郎を保育園に送って、そのままフレンドシップ報告書の編集作業に突入。ガンガンに集中して気がつきゃ午後5時。あわてて晴史郎を迎えに行く。昼飯も忘れて没頭。途中2度ほど「腹ヘッタァ」と声を出しただけで、8時間声帯を震わせておらんかった。集中しすぎて血が濃くなった気がする。そんな時は水分補給である。んだからってワイン飲んでちゃ逆効果?案の定、しばらくすると微偏頭痛発生。
今日のロングランによって、ほんの少しずつではあるが、編集方向が見えてきた。わかっちゃいたけど、労働の割に収入の見合わん仕事だな。わかっちゃいたけどさ。

話し変わって、京都議定書!今日発行。すごいね、人間は偉いね。頑張って未来を作る(守る)ってのは素晴らしい事だね。愛と犠牲の美しき構造を見るようだね。すごいリスクを受け入れるヨーロッパ各国はホント偉いね。
ん〜?おいおい、そこのデカイの!みんなが明日のために我慢してるとき、なにひとりだけハンバーガーむさぼり喰ってんだ!

    アメリカはマジで「京都議定書はアメリカにだけ不利になる様な設定で不公平だ」といっているらしい。ちっちぇー。
    だれが得でだれが損とかそういう事じゃネェだろ!

2005年2月15日 (火) DEATH BEAMーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
久しぶりにやらかしたぁ。
データがブッ飛んだんデス。さぁ今まさに「セーブしよっかな」と思った瞬間

「予期せずアプリケーションが終了しました」

「うをぃ!ウソだろ!」とキーボードをブッ叩くが悲しくも無反応デス。一瞬、黒目が小さくなり、その0.5秒後から瞳孔がジワジワ開いたこと間違いないデス。そして「うわっっやっっちゃっっったぁぁぁ!」と、声にならない悶絶・絶叫の果て、次第に冷静になっていくマイ認識能力。
うそうそうそ!うそうそうそうそうそうそ!うそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそー!
と口の中で約108回連呼した後、現実に耐え切れず、キッチンで逃避煙草一服デス。ふぅ〜。3時間の作業が水の泡ブクブク。わかっちゃぁいるけど、マイ脳みそは、なかなかそう簡単に現実を受け入れる事ができないのデス。何で途中セーブしとかんかったぁぁぁぁぁぁ。
しゃぁねぇ、頭が少しでも覚えているうちに、再度作成するしかないよなぁ、、、ともう一度コンピュータに向かうも、先ほどまでの完璧な仕上がり内容(なにせセーブ直前でしたから)が鮮明には出て来るはずはない訳なんデス。特に長文に関しては、もう一度先ほどの内容そのまま書くのは至難の業な訳で、、、。てか、無理。
くそ!くそくそ!くそくそくそ!そくそくそくそ!くそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそー!
と心の中で約108回連呼した後、嗚咽をこらえながらもう一度同じ作業を始めるのデス。ある意味これは拷問デス。人間にとって最もつらい拷問とは「自分が入れる深さの穴を地面に掘らせ、できた瞬間自分で土を戻させ、また再度穴を掘る、というのを繰り返す事」だというフレーズが頭を駆け巡る訳デス。ただ、3時間かけて作ったデータを再制作するのに、同じ時間だけはかからないのはせめてもの救いデス。イチオー人間デスから。
あ〜あ、なんて日だ。←呪いの声デス!

いまだにこんな初歩的ミスをやってるなんて、、、とほほ。皆さん、マメなセーブを心がけましょう。 デスデス←同意の方々
それにしても、「予期なく…」って、そりゃ「お前はすでに死んでいる」ってことじゃん! デスデス←同意の方々

2005年2月14日 (月) ちよこれいと
イギリスでポピュラーなほとんどのチョコレートは、味が微妙だ。それしか食べていないと気づかないのだが、ベルギーに出向いた際、駅で買った普通の安いチョコレートを食べて気がついた。これがチョコレートの味だ。これこそがチョコレートの味だ。ということは、イギリスのそれはいったい何なんだ?パッケージを見比べてみる。するとどうだ、カカオの量が全然違うのだ。そう、イギリスのチョコレートにはカカオ含有量がきわめて少ないのだ。それでなんか砂糖っぽい味がするのだ。まるで氷砂糖を舐めている様な味なのだ。
イギリス人諸君、君たちは大いにダマされておるぞよ。

そしてもうひとつ。イギリスの卵でスクランブルエッグを作ると黄色くならない。なんか白っぽい。そう、イギリスの卵は黄身の色が極端に薄いのだ。ということは、イギリスの卵はいったい何なんだ?調べてみると、鶏の品種の違いらしいが、フランスのホテルの朝食で出たスクランブルエッグを見て驚いた。まっきっきーなのだ。そう、卵ってこういう色なのだ。
イギリス人諸君、君たちは大いに大いにダマされておるぞよ。

さらにもうひとつ、イギリスのとあるチェーン展開レストランで日本料理フェアがあって、高いこと承知で出かけた。中で一番安かった「ヤキソバ」を注文した。出てきたものを見て驚いた。蕎麦を焼いているではないか!確かに焼きそばだわな。しかもカツオ節がユラユラしているではないか!う〜ん、焼うどんと思えば…と自分をダマしながら、耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び食すが、どうしてもその歯ごたえを許すことができずリタイア。生涯もう二度と食べる事も見ることもないシロモノだ。
イギリス人諸君、君たちは大いに大いに大いにダマされておるぞよ。

話し変わって、
今日の頑張り屋さん大賞!初めてのデカイ注射(麻しん予防接種)を受けた晴史郎クン。
ジャジャーン!おめでとうございます。賞品はイギリス風味のチョコレートです。

2005年2月13日 (日) 所得税の確定申告書
そろそろと思っていた確定申告の記入を始める。今年はコンピュータソフト「おたすけ!確定申告2」なんてのを使って記入しており、数字が他ページとリンクする事で一気に片付く部分もある。しかしこの手の書類、やはり分かりにくい事といったらこの上ない。もっと分かりやすい言葉にならんかね?「ゲンカショーキャク」とか「◯◯コージョ」とか「テイリツゲンゼイ」とか、意味不明な税務専門用語を上げだしたら枚挙のいとまがない。そもそも「源泉徴収」って言い方しないで「あらかじめ金」とか「先取り金」とかでいいじゃん。なんだ?「ゲンセン」ってよお。←ここらへんから、いかに苛ついているかの推測が立つでしょ?

ま、話しは戻って、去年記入した時に詳細を逐一メモして残してあって、それを見ながら進めている訳だが、もしそれがなかったら1年経ってすっかり忘れてしまってきっと今頃投げ出して、ギリギリの時期になって大慌てしながら大変な格闘になる所だ。今日の午後の頑張りで、とりあえず数字だけは入力する事ができた(まだ調整をしないといけないんだよね)。しかし、去年はクルマやパソコン手に入れるなどいろいろ事態の変化もあり、去年と同じ様に記入という訳にもいかない所がいくつかあるのだ。その辺の詳細を詰めて行かなくてはならない。ああ、めんど。

   関係ないけど、車の耐用年数ってなんで4年なんだ?誰が何を基準に決めたんだ?
   それに「償却方法」ってなんでそういう言い方を、、、(しつこい)

2005年2月12日 (土) うらくさいきなくさいうさんくさい
今日昼過ぎ、NHKを見ていると、突然ちょっと奇妙な番組変更のお知らせがあった。「多くの方のご要望により、本日2時より開催される『ラグビー日本選手権(トヨタ自動車×早稲田大学)』を生放送する事になりました。つきましては、企業名を過度に露出させない様に配慮して放送致します。」という内容のもの。

新聞のテレビ欄を見るとその時間帯は「ふるさとあったか湯けむり紀行 」と「ロビンフットの娘(再放送)」となっている。どうやらそれを急に変更して、ラグビーの試合を生放送するという事だ。「湯けむり」や「娘」を楽しみにしていた視聴者には残念な事だろうが、このような番組変更も稀にあるのかもしれない。とはいえ、実は、もともと生放送の予定だったものを、深夜の録画放送に変更し、その後ふたたび生放送に戻しているのだ。このように、スポンサーのないNHKとはいえ、二転三転するのもかなり珍しい。しかしそうした再々変更よりも気にかかるのは「企業宣伝に配慮して、、、」という文言だ。いったいそれは何なんだ?NHKの方針での企業宣伝配慮であるならば、それはNHKの以前からの方針として大方先刻承知の事で、何をあらためてアナウンスしなくてはならないのか?なにかあるんじゃないの???NHKが中継するどのスポーツも、会場は企業広告だらけではないか。どういうことなのか気になったらすぐに電話して確認だ。NHKお客様窓口に電話してその件を聞いてみた。

「日本ラグビー協会との放送折衝が難航しまして、急遽、、、」と、視点がはっきりしない。電話窓口の人がすべてを知っている訳ではないだろうから、完全な理解を得ようとするのは無理な話だとも思うが、応対した人の意見を要約すると「NHKではなく、ラグビー協会側の失態が原因」という説明だった。しかしそれではどうにも腑に落ちない。何かキナ臭いものを感じるのはオレだけか?ネットでいろいろ調べてみると、ようやく少し見えてきた。

ラグビー日本選手権大会は、日本ラグビー協会が主催しNHKが共催になっている。各種取り決めは両者の協議と承認によって決定するという協定が結ばれている。その点における問題発生が今回の奇妙な番組変更を生み出した。つまり、日本ラグビー協会がNHKの承諾なしに変更事項を認めた事が問題となったのである。その新変更とは、なにか。審判の黄色ジャージに大会スポンサーの名前が入る事。どうしてそれが問題なのか?それはズバリ、そのスポンサーが「朝日新聞」なのである。NHKが普段報道するサッカーにしても相撲にしても、企業広告ととれる看板や懸賞札はいっぱい見ることができる。今回たかだか審判のジャージの広告ごときを特別視したのは、ズバリ!朝日新聞の広告だったからではないか?

新橋あたりの屋台で酒すするオヤジネタとしては、NHKの朝日新聞に対する嫌がらせに違いない、と言うこともできそうだが、果たして本当はどうなのか?確かについ先日までしきりに報道されていたNHKと朝日新聞の泥試合はいろいろな波紋を呼んだ。しかしだからといって、朝日新聞のロゴを一切ウチのテレビで出さなーい!という駄々っ子みたいな大人げない事をするのだろうか?一旦録画放送に切り替えたのも「あとで修正がきくように」という理由だ。それはいったいどういう修正をすると言うのか?モザイクでもかけるのか?(笑)たぶん、審判なアップのシーンをすべてカットするんだろうけど。

各紙ニュースの流れとしては(電話窓口のおっさんが説明してくれた通り)、「日本ラグビー協会がNHKの承諾なしにスポンサー名を審判のジャージに入れる事を決定したミス」という報道だ。しかし、どうだろう。オレは今回の様な珍変更状態の裏には、必ずや幹部の命令があるに違いないと推測する。そして、その幹部を脅かしている奴がまた裏にいて、そいつはかなり朝日新聞に恨みを持っている人物なわけだ。いま、朝日新聞に恨みを持ち、NHKに圧力をかけられる人物といったら、、、、彼しかいないでしょう。ってことは、駄々っ子の様な大人げない事をホントにしちゃったんだね、NHKは。ていうよりも、NHKを駄々っ子に仕立て上げて、もっとタチの悪い駄々こねているのが黒幕なんだろう。あーヤダヤダ。

ははは、結局オレも屋台のオヤジと同じだったわけだ。

2005年2月11日 (金) タカユキロボ
カオリちゃんと山ちゃんが到着したのは、約束の時間ジャストの午後3時。妻の帰宅は5時頃だろうからということで、とりあえず3人(+チビ)で始める。ワイン1本空いた頃、予定より1時間ほど早く妻が帰宅。オレたち3人はちょうどイイ感じになってきている。みんな調子が出てきた頃、山ちゃんのロボット披露会が始まった。気がつくと、アートの話は片隅に追いやられてた。

オレはガンダム世代ではないので、ガンダム見てもさしてなんとも思わない。世代的にはマジンガーZなのだが、子供のときマジンガーZ超合金を手にしても、子供の想像力を凌駕するほどの迫力は全然ないと思った。ロボットはビルよりも大きいものであり、手にして遊ぶモノではなかった。だからロボットで遊んだ記憶がない。

ところで、昨今ブームのヒューマノイドロボットを見ていると、開発者の世代が見える。どうしても顔を描いてしまいたくなる世代があるんだよな。ついつい人間の顔のようにしたくなるんだよな。宇宙人の顔はどうして目が二つなのか?というステレオタイプな疑問と同じだ。そういえば、オレが子供の頃は、宇宙人は「ウラゲ」みたいなヤツだったぞ。いつの間に人間みたいに手足があって目が2つになっちゃたんだろう?たぶん映画「未知との遭遇」のヒットあたりからかと思うんだけど。いずれにせよ、そういうのって、しみ込むんだよね。今の子供に宇宙人をイメージさせたら、同類典型がきっとあるはず。それは、オレの知ってるのとは違う宇宙人なんだろうな。

2005年2月10日 (木) Hot Rod
今日は妻の提案で、実家で夕食にした。珍しく母がポトフなんぞを作ってくれていた。なかなか美味しかったが、もう少しハーブを効かせるともっと風味が出ただろう。父の秘蔵の酒も登場し、気がつけば父と二人で1本空けていた。つまり楽しい食事となったのだ。晴史郎はすっかりジイちゃんに懐いてきたようで、ひざに座って絵本を呼んでもらっていた。なかなか微笑ましい光景である。

話は変わるが、新しいGarageBand環境(GarageBand2 & Jam Pack 4)でシンフォニアな曲をいくつか作っている。楽器の音が前面に出て誤摩化しが効かないだけに、ミキシング・バランスが肝心だしちょっとしたピッチの乱れや和音のズレが耳障りになりけっこう骨が折れるが、その分出来上がりの満足度は高く、やってて非常に楽しい。まずはシンプルなピアノ連弾練習曲の様なものから手始めにして、現在フルオーケストラ・バージョンへと進行中。そんなこんなの中、どっぷり古典音楽方面にのめり込みすぎた反動で、バリバリテクチンでレイヴィーな曲を即興で作ってみたくなり、鍵盤とループでビュビュッと組み上げたのがコレ。ま、ある意味、最新作ダス。(笑)

  ※試聴には、QuickTimeがインストールされてる必要があります。無料ダウンロードはこちらから。

2005年2月9日 (水) 学んで思わざれば則ち罔し。思うて学ばざれば則ち殆し。
人間は霊長類193種類の中で、ただ一種の体毛がないサルにすぎない。人類を生物界の中で至上孤高のものとみなしてきた前提こそ人間の思いあがりだ。

上述は「裸のサル」という本の書き出し部分の抜粋である。デズモンド・モリスという動物学者が、人間の愚かさや傲慢さを抽出し書き表したものだ。数年前、霊長類研究室にいた友人からもらい、その時は楽しく読んだ。驚く様な見解や奇想天外な視点から人間をとらえる事で、人間がこしらえた歴史上のご都合主義が暴かれている。しかし今読み返してみると、なんでこんなに悲観的なんだろうとつくづく頭が痛くなってくるのは、オレが変わったのだろうか。

解説:学而不思則罔 思而不學則殆(まなんでおもわざればすなわちくらし。おもうてまなばざればすなわちあやうし。)
学んでおもわざればの「学ぶ」とは「読書」を意味し「思う」とは「思索」を意味する。むやみに読みあさるだけで思索しなければ、すなわちくらし(混乱を来たすばかり)なのである。逆にまた空虚な思索をするばかりで読書をしなければ、すなわちあやうし(生活は独断に陥り不安定)なのである。 (from「論語」朝日選書 吉川幸次郎 著)

2005年2月8日 (火) とっつぁんボーヤ?
夕方晴史郎を迎えに行ったついでに、スーパーで買物をし、夕食は豚キムチ鍋にする事にした。
晴史郎を抱っこしながら、大根と人参を小さめの鍋でコトコト煮て、その間に白菜・豆腐・椎茸・ネギ・糸コンニャク・豚肉を切り分ける。ゴソゴソ動く晴史郎を抱きながらの調理は骨が折れる。
ちょうど出来上がった頃、妻が帰宅。すぐに夕食にした。晴史郎にはカレーライスを作った。豚キムチ鍋は予想より美味くでき、3人前を2人でフーフー言いながらペロリと食してしまった。大満腹にて大満足。
晴史郎と風呂に入り、そのまま温かいうちに寝かしつけた後、妻に髪を切ってもらう。ちょっと切りすぎたが、これもまたヨシという事にしておこう。

エジンバラのMerzギャラリーから作品画像とアーティスト・ステートメント受け取りを確認する連絡はまだない。できれば早いうちにキューレーターと直接会って打ち合わせたい所だが、、、。

今週末の京都行きについて、妻と打ち合わせ。 新幹線 or 高速道路。

2005年2月7日 (月) 勝ち組と、勝ち組になりたい連中によって出来上がったこの社会の意識こそが、、、
氏家は、その境遇がかなり追いつめられていた。この寒空のもと、捨ててあった車で何日も寝る事など理由もなく簡単にできるものではない。犯行以前、現場周辺となる安城や豊田のあちこちで何度となく就職活動をするもすべからく断られている。三河には身寄りもなく友だちもいず、誰にも頼る事ができない状況。そのうえ前科者ということで、行政や警察に保護を懇願する事もできない身の上だ。今回逮捕時の所持金は20円だったという。とはいえ、たとえどんな状況であろうと、殺人犯には変わりない。その罪の重さはどんな状況が背後にあろうと変わらない。亡くなった子供の母親の痛ましさを推し量るにあまりに忍びない。
しかしだからといって、何でもかんでも極刑というのは、あまりに表面的過ぎではないか?被害者がかわいそうだから死刑でも許せないというのはあまりにステレオタイプではないか?どうしようもない野郎のどうしようもない犯行と言い捨てることに人間としての偏りはないか?犯罪者にすべての罪をなすりつけて、それで誰の何が解決するというのか?罪の重さの問題ではなく、こうした罪が生まれる社会的背景、そしてそれを黙認ないし容認してきた連中も、過大な罪ではないか?被害者でもない者が軽々と「死刑にすべき」と言うのを聞いて、他人の死を求める意味で殺人者と同様の構造ではないかとムカついた。お前は裁判官でもなければ判事でもない。ましてや神でもない。そういうお前は他人を裁く資格も権利も持ち合わせていない。
今回の様な犯罪によって人々は無意識に、警戒心を肥大させ、猜疑心を膨張させ、ヒエラルキーの分別化を加速させ、より内向的社会へと向かう気がしてならない。くだらないインタビューをなんの洞察もなく流すメディアと、無意味な微笑を浮かべながら「めちゃくちゃ恐い」とインタビューに答える中流意識婦人。どちらも不愉快だ。オレは思う。殺された赤ちゃんは実は被害者ではなく犠牲者であり、本当の犯人は彼を追いつめたこの社会ではないかと。オレも含めた、この排他的な社会構造ではないかと。事態の深刻さを自分の事として噛み締めろ。自分たちの住むこの幻想の安全地帯は、すでに津波に襲われているのだと自覚しろ。敷地ごと漂流している事を地図で読み取れ。

2005年2月6日 (日) 「老馬 夜道を知る」、、、中年の星?
今週の水曜日、ワールドカップ最終予選の初戦(北朝鮮戦)がある。サッカーファンのみならず日本中が大騒ぎすることだろう。そんな中、もうすっかり忘れ去られたあるひとりの男の事を考えてみようと思う。

中年の星といえば、アテネオリンピック、アーチェリーで銀メダルを獲得した山本博選手(42)が思い浮かぶが、彼とはある意味対極の世界にいるひとりの男「カズ」について考えた。オレは今までずっとカズに対して特別な感情は持っていなかった。そういう派手好きなプレーヤーがいるなって事くらいだった。そう、カズとは、三浦知良というサッカープレーヤーで、Jリーグ発足時のスーパースターだった男だ。その彼が、間もなく38歳になろうとしている。それなのに、いまだに現役で頑張っている。もちろんJリーグ最年長(中山雅史”ゴン”は半年若い)だ。サッカーという運動量の膨大なスポーツにおいて、38才という年齢は一般的には限界だと言われる。彼の同期はもちろんのこと後輩たちの多くもすでに現役を退き、コメンテーターや評論家、もしくは指導者になっているが、彼はひたすらプレーヤーとしての自分にこだわり続けている。「体力的限界」とか「気力の衰え」とかは、スポーツ選手が引退する時の常套句であり、もちろんカズにもそういうものが迫っている事は確かだろう。しかしなぜ彼はあれほどまでに、現役にこだわるのだろうか?

脱線するが、98年フランスワールドカップの時、なぜカズが最終合宿の地で突然メンバーから外されたのか、オレは当時イギリスにいたので詳細を知らない。しかし、イギリスの本屋に平積みになっていたワールドカップの選手図鑑には、日本人はたった二人。ディフェンダーの井原ともうひとりがカズだけが取り上げられていた。しかもカズは、カラーのかなりいいページに掲載されていた。そのように名の通った選手なら、対戦相手は当然カズを徹底的にマークしただろうし、ある意味カズをおとりにして、何かできたかも知れない。しかし結局彼は出場選手に選ばれなかった。その次のワールドカップ(日韓)では、ピークを過ぎ精彩に欠けた選手扱いだった。運のない男。。。ま、それもこれも過ぎ去った歴史だ。今カズが、全く日本代表に召還されないのは、カズのプレーがすでに一線級のものでなくなっているからなのかも知れない。それとも若手がどんどん育ってきて、いいプレーヤーが出てきた事ではじき出されているのか。単に年齢的な事だけなのか、、、?

日本に今日の様な国民的サッカーの盛り上がりが根付く時期(Jリーグ発足時)の貢献人の一人として、彼の存在がいかに大きかったかを忘れる訳にはいかない。相撲に大鵬あり、野球に王・長島あり、F1に中嶋あり、メジャーリーグに野茂あり、、、。
Jリーグ発足時、カズは日本人のスター選手の代表格だった。少年たちはこぞってカズのドリブルを真似た。ファッションにも気を使い、メディアにも進んで出向き、サッカー選手はカッコいいというイメージを作る事にも貢献した。そんな彼が、今、埋もれた存在として現役選手を続けている。今でも「夢はワールドカップ」だと公言している彼にとって、候補選手にすら選ばれない境遇に対する悔しさは幾ばくなるものか、想像に易い。それでも彼は、現役でプレーし続けている。もう見向きもされなくなっても、自分の夢を信じて、毎試合のプレーでアピールして代表選考を望んでいるのだろうか。

かつてのカズは、個人技に対する美意識が前面に出過ぎて、その自意識過剰ぶりがオレは好きになれなかった。しかしここ数年のカズは、見苦しいほど貪欲にプレーをしている。老体にムチ打っているのも伝わってくる。カズが少年の頃から本当に目指していたものは、今ある様な貪欲なプレーだったのではなかったか?若きブラジル滞在時代に経験し獲得した「フットボール魂」とは、そういうものではなかったか?カズが自意識の殻を脱ぎ捨てて、彼なりのサッカー哲学(これは人生哲学でもある)を掴んだとしたら、それこそが彼の人生にとっての「真理」につながるのではないだろうか。過去と比較して、たとえスピード感に衰えがあろうとも、精彩を欠いたボールさばきになろうとも、自分の経験によって導きだされた魂の哲学は、誰にも曲げる事はできないし、誰よりも自分の中で芯が通った正直なものになるはずだ。そしてそれはスポーツというジャンルを超えて、人々の心に響くはずだ。ワールドカップに浮かれているサッカーファンの陰で、現実にひとりの男が、心の灯火だけを胸に、今日もキャンプ地のグラウンドを駆けている。倒れるまで頑張れ!カズ!

2005年2月5日 (土) soso
午後から本格的に風邪がひどくなってくるのが分かった。悪寒と頭痛と関節痛。少し寝てちょっとだけ復活。それにしても、なんでこうも抵抗力が落ちているんだろう。家人も息子もこの家の中は風邪ひきさんだらけ。塩でも蒔くか、、、。
夕方、ギャラリーセラーでの吉本さんのオープニングに出向く。いつものみんなが集まっており、賑々しい雰囲気。吉本さんも好調のようで、ご機嫌な顔に見える。
今回、石崎さんおよび三井君とじっくり話せたのが良かった。それぞれの立場でのいろいろな思いを聞かせてもらえた。
二次会を遠慮して、早々に帰宅。
10時の帰宅に、家人は少々驚いていた。どうせ酔っぱらって終電ギリギリで帰ってくるんでしょ、との予想はくつがえされた。

2005年2月4日 (金) ヘリ大群、安城上空ニ飛来セリ!
今日も保育園を休ませて、晴史郎と過ごす事に。向井さんの助言を受けて、部屋を暗くし、晴史郎を寝かしつけたのが、通常よりかなり早い午前9時45分。部屋が静かになった午前11時頃、なんだかやけに上空が騒々しい。なんだか知らんが、いつまでもヘリコプターがうるさいなぁと苛ついた頃、ようやくその真相が分かった。


午前10時40分頃、近所のよく行くスーパーマーケットで殺人事件があった。晴史郎も遊んだ事のある「ちびっこひろば」に、刃物を持った男が現れ、幼い子供2人に切りかかった。3才の女児に怪我を負わせ、1才の男の子の頭に刃物を刺したまま、犯人は逃走。子供を抱えながら「はやく救急車呼んでぇ!子供が死んじゃう!」と、母親は絶叫していたと言う。犯人が逃走したという事で、近くの保育園・小学校はすべて校門にカギをかけ、職員全員で監視したそうだ。犯人は12時過ぎ、現場から1kmほど離れた路上で逮捕された。その後、午後1時過ぎ、頭を刺された赤ちゃんは、安城更生病院で息を引き取った。そのニュースを聞き、晴史郎の顔を見ながら、狂気の母親の目の前で初めての誕生日の6日前の息子が息を引き取った様子を想像したら、痛ましく悲しく悔しくて、オレも涙がどばーっと出てきた。
東京のヌッキーが事件を知ってメールしてきた。ただ一言「大丈夫?」と。「1才の男の子、30才のお母さん、、、まさか」と思ったそうだ。他にもあちこちから「テレビ見たよ!大丈夫?」と電話がしきり。皆さんご心配ありがとう。

その事件のあった時刻、晴史郎は暗くした部屋ですやすや眠っていた。いつもなら絶対眠らない時間にだ。

2005年2月3日 (木) 愛こそ何よりの良薬
昨日、向井さんから丁寧なメールを頂いた。晴史郎の中耳炎や体調不良を気にして、自己治癒力増強のための具体的アドバイスをくれたものだ。そして今日、向井さんにお礼の電話をするも不在で、留守電にメッセージを残したら、その後すぐに、向井さんから電話を頂けた。
電話ということもあり話が弾み、食品の陽性・陰性、内蔵の造血力、小腸の未発達と食事など、より具体的な自然療法を教えてもらう事ができた。なにより彼女の驚くべき知識量と、それらをあまねく実践してきた経験量に強く圧倒された。そして親のオレが話を聞いているだけで晴史郎に効果が出そうなものばかりで、ちょっと興奮気味。メモを取りとり話を聞かせてもらった。
そうした具体的事象もさることながら、電話をしながらジワジワと感じたのは、向井さんのセレスティアルという言葉がふさわしい聖なるパワーだ。吉本さんが向井さんを聖母マリアになぞらえて描くのがよく分かる気がした。電話の後に、何か弾けた様な力がオレの体にみなぎり、途端に元気が出てきたのには本当に自分でも驚いた。

      向井さん、教えてもらった事すべてを実践する事はできないけど、
      いくつかをさっそく試してみます。
      事の始めにまず玄米(発芽玄米)買いましたよ。

2005年2月2日 (水) 色速度
色には時間経過の意識をコントロールする力があると言われている。
赤・オレンジなどの暖色系は実際の時間よりもゆっくりと感じる効果があり、逆に、青・青緑などの寒色系は時間経過を実際よりも早く感じる効果があるのだ。

実際、ファーストフード店などでよく内装に暖色系が使われているのは、賑やかなイメージを表現しているだけではなく、実は回転率を高めるために、時間をゆっくり感じさせる暖色系を使い、利用する人にゆっくりさせる気分にしておいて、本当はそんなに時間がたっていないという効果を狙っているのに違いない。テーマパークが暖色系なのも同じ狙いだろうな。

その効果を逆手に取れば、会社の会議室は寒色系の内装にしたらいいのではないだろうか。時間経過が早く感じられるので、サクサクと会議を進めようとする心理的な強迫観念が生まれるのと思うのだが。

また、こんな事も言えそうだ。行列のできるラーメン店は、客が並ぶ店先を寒色系にして、店の中を暖色系にすれば、待ち時間が短くラーメンはゆっくり食べられた感じになる。病院もそうで、待合室を寒色系、診察室を暖色系にすれば、「2時間も待ったのに診察はたったの10分」というクレームを回避できるかも知れない。

しかし忘れちゃいけないのが、暖色系には血圧を高くする効果もあるということ。患者ばかりか、医師の血圧も上がり(いわゆる興奮状態になるため)そういう状況下で適切な診察がなされるかどうか多少の疑問は残る、、、。

2005年2月1日 (火) 眠いわ
午前、吉本さんから「火曜日にしては珍しく日進にいるんだけど、外大の後でも、、、」と電話をもらったが、すでに今年度の外大の講義は終了しており、残念ながら今夜は諦める事になってしまった。向井さんは晴史郎の中耳炎などの体調不良を心配してくれており、今後も相談に乗ってくれるとの朗報を頂く。

午後1時過ぎ帰宅。午前中、お義母さんに面倒を見てもらった晴史郎はご機嫌。その後、宅配便で届いたシーリングライトの交換をし、買物に出て、夕食のタラ鍋の支度をする。

午後6時、妻帰宅。すぐに夕食にした。ちょっとビールも飲んだ。

  昨夜の寝不足(3時間半)によって、火曜恒例の「開発&戦略系」の
  2番組(プロジェクトXとガイアの夜明け)は、睡魔との戦いで集中
  できないまま時間が去ってしまった。残念。