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ルーティーン



2004年9月




2004年9月30日 (木) メルダ・デ・アルテスタ
名城大、後期第1回目。
去年と同じパターンだが、名城大の授業はキライではないのだ。
今年の学生は、ノリがいいぞ!

恒例の授業の合間の映画鑑賞、今日は「The One」という香港系アメリカ映画を見た。
「もし、世界が今あるこの世界ひとつだけではないとしたら・・・!」
「多次元宇宙の存在を知り、とてつもない野望を抱いた男がいた!
125のパラレルワールドに存在する自分をすべて抹殺し、たったひとりになることができれば、生き残った自分は『The One(全能の存在)』になれる!と、、、」
マルチバース(多次元宇宙)って言葉が面白かったけど、基本はマトリックス裏版ってかんじ。主演のジェット・リーは、マトリックス3の出演依頼を断ってこの映画にかけたそうな。全米ではすごくヒットしたとか。退屈は一切させない作りで、70点。

2004年9月29日 (水) 晴史郎の保育園
午前9時、妻が「ファミリーサポート(市が管理するベビーシッター)」の説明会に出かけている間、晴史郎を連れて、市役所の児童課へ。保育園の入園のための申請書を提出しに行く。折からの雨のせいで、市役所の中はむっとした高温多湿帯だった。書類が多く、混乱を極めるが、晴史郎がおとなしくしていてくれたおかげでスムースに事は進んだ。

その後、妻と3人で、来週から始まる晴史郎の一時保育(一時的にテンポラリーに契約するもの)をお願いする保育園に、入園に関しての説明を聞きに行く。タオルのひもの付け方、着替えを置く場所、エプロンの種類、食事の注意などなど、決まりがいっぱいあるのだ。そして一時保育の子は、一時保育の子だけの部屋で、専門の保育さんに預けられる。今日見た限りでは、馴染んでいけるように見えた。

そして11時半に、歯医者。(まずは右下完了。来週から左上の治療)

午後は、晴史郎の保育園のための準備品を買いに出かける。

帰宅すると、バッテリー復活シート(ノートパソコンのバッテリーを復活させるシート)が届いており、さっそく貼ってみる。効果が最大に出るのまで3週間ほどかかるとの事だが、2時間後にさっそく効果が見られ、いい感じ。ノートパソコンのバッテリーが死にかけている皆さん、お薦めですぜ。

夕食に、イシモチ(←魚)を食す。これがまた美味かった。なかなか近海魚って出会えないもんね、と思っているオレは間違ってる?

2004年9月28日 (火) ナロンエース
腰の痛みを散らすために、鎮痛剤を飲む。ひとつの腰の痛みが、それをかばう事によって、背中全体に広がる事が怖かった。薬はよく効き、夕方までほとんど気にならなくなった。
ここ数日の過ごし方で、今回の腰痛の行方が決まりそうな気がする。

coregaの無線LANルータが届いた。Appleの「AirMac BaseStation」とはもう縁を切る。つながったりつながらなかったり、、、その度にイライラするのはもうゴメンだ。
coregaの無線状況はすこぶる良好。
値段的には(中古及びオークション買という状況なので単に比較できないが、今回に限っては)1/7なのだよ、キミィ!!!
まったく、Appleって会社はなんともならんなぁ、、、。
というのも、いま使っているiBook(Dual USB)のバッテリー(M8403)はどうやら根本的な欠陥品らしく、頻繁に充電不良の苦情が出ているそうな。もちろんリコールなんて聞いてないしー、BaseStationにしても、あれだけ高価なのにぃー(Apple純正以外なら新品であったとしても半額程度)結局こうやって壊れる訳でぇー、、、。
でも本当に壊れてるんかなぁ?(いまだに疑っているオレって、いったい、、、)

2004年9月27日 (月) 誕生日おめでとう
朝から高校の仕事なのだが、連日の酒のせいか、再び腰が疼き始める。かなりヤバい兆候だ。つい数ヶ月前、かなり苦しんだのと全く同じ前兆アリ。腰にホッカイロを貼って出勤。午後の仕事のない日でよかった。
昼からは、腰の具合が少し軽くなったので、家族で買物に出る。そのあと、近所の公園に散歩もした。雨上がりで遊具が濡れていた事もあり、そこそこに引き上げる。
妻の誕生日というのに、気の利いたプレゼントもなく、少々気がとがめるが、妻は「炊飯器くれたじゃん」と。
来年のこの日は、どんな過ごし方になるんだろう?

2004年9月26日 (日) クレイマー
昨日は飲み過ぎないようにセーブした事もあって、いつものような強烈な二日酔いにはなっていなかったが、やはり体のだるさは残留していた。
午前11時、妻はISEAメンバーとのお食事会に出かけるため名古屋へ。晴史郎とオレとのゆったりした時間が始まる。近所のスーパーで買物。レジのおばちゃんのバイバイに晴史郎が応え、大いに喜ばれる。帰宅後、キーボードで遊び、歌をうたい、晴史郎はずっとご機嫌だった。昼寝の時間が迫り眠気が襲って来たのだろう、急に母親のいない事に気づいたようで、部屋の中をあちこち探しまわりさんざん大泣き。すっかり泣き疲れた果てに、ぐっすりと眠りに落ちた。小1時間の昼寝の後、マルちゃんから電話があり。ちょうど時を同じくして妻が帰宅。
夕方、すーさん家がビールを持って来宅。
ヒナちゃんと晴史郎は、仲がいいんだか悪いんだか、モノの取り合いで泣きまくり。毎回ながら、端で見ているには面白い光景だ。
明日は、妻の誕生日。

2004年9月25日 (土) イッタリキタリ
 午前9時、昨日電話してお願いしてあった民生委員のところに出向く。オレは正直なところ、肩書きのある大人(○○委員とか○○役員とか)に会うのが苦手だ。自分が大人でない事を逆照射されるし、自分が小さなモノに思えてしまうからかも知れないが、、、。しかし、そんな事は言っていられないので、展覧会カタログや、非常勤講師の辞令を持参して、オレの日常について説明した。民生委員の方は、矍鑠とした応対で快く承諾してくれ、晴史郎の保育園に必要な書類をその場で書いてくれた。帰宅後、民生委員の方の人柄を妻に聞かせながら、多くの提出すべき書類に各事項を二人で注意深く記入した。
 午前10時過ぎ、となり町で開催されている愛教大ガラスコースの展覧会を見に行く。今年の春にガラスコースの資料集を作った縁でもあるからだ。会場に着くと、偶然にも宇納教授たちがエントランスで、プロムナード展の設置をやっていた。素通りする訳にもいかず、30分ほどお手伝い。教授は「幕の内弁当でいいかー?」と叫びながら出てしまったので、後輩たちに先に帰る旨を伝え逃避。会場では、久しぶりに永井さんにも会う事が出来た。
 昼食後、妻の洋服を買いに出る。店内を回っているときも、彼女の試着の間も、晴史郎は決してじっとしてはいない。これからこうした晴史郎との時間が圧倒的に多くなり事もあり、出来るだけオレがあやし続けた。妻は2件目のコムサで、気に入るものが手に入れられたようだ。
 夕方5時過ぎに、太田君が迎えに来てくれた。染谷さんの展覧会のオープニングパーティーに一緒に行くのだ。会場には6時過ぎに着く。すでに大勢の人で賑わう中を抜けて、じっくりと作品を見る。今回の新展開はポイントが明解だ。そして友人・知人と語らい、2次会へ。杉山くんの絶対的個性にハマって、大いに笑わせて頂いた。
 帰りは太田君と一緒に杉山くん宅にお邪魔する。何とも風情のあるハートウォーミングな家だ。浅田さんのセンスと杉山くんのセンスが、いい塩梅になじんでいる。新しく建て増した部屋もいい空気が流れていた。浅田さんのオープニングはもうすぐだ。

2004年9月24日 (金) 単位
某国立系教育大学での前期最終授業。
驚くほど多くの学生の欠席が見られた。これは例年では考えられない事だ。ボイコットの意思表明かも知れない。

学生に対し「単位(取得)」の条件は、いままで幾度も説明してきた。
成績は、半期通してのデベロップメント(成長・発展)によって判断するという事を。

その最終授業で欠席するという事がどういう意味を持つのか、それを理解しているのか、逆に心配になったほどだ。

いずれにせよ、今年度受講した一部の学生たちに感じられる不快は、「単位はあらかじめ自分の前に用意されていて、取り損ねなければ(悪くさえなければ)必ず取得できるものだ」と勝手に思い込んでいる風潮だ。「悪くさえなければ」という基準も非常に甘い上に、自分の作品や授業への取り組みに対して驚くほど査定が甘く、彼らのモラルハザードを強く感じざるを得ない。繰り返しておくが、あくまで一部の学生の話しである。

大学とは専門高等学問の場であるという事、かつ、近い将来に教育者になろうという学生(少なくともそれを主眼とした大学)であるという事、その両点から鑑みて、オレは決して甘い判断をして学生を救うつもりはない。また救う事によって、世の中そんなもんだなどと思って欲しくはない。教育の根本原則は「異文化理解」だ。そして、単位取得は自己責任だ。つまり自分が半期の間に(何度もチャンスがあったにもかかわらず)徹底的に前傾姿勢になって取り組まなかった事を悔むべきだ。そして、そうならないように、何度も単位の話しをしてきたのだ。

そもそも、こういう事で気を揉まなくてはならないこと自体、煩わしい。

2004年9月23日 (木) キュン
宇納教授からの指示で、明日の授業時に、学生に対していくつかのアンケートをとる事になった。その電話で知ったのだが、ガラスコースのイベントが知立でいま開催されているらしい。何の案内もない事に、少々不快な思いをする。ま、そんなもんか、アカの他人だし。
明日の授業で使うラジカセ(ファッションショーのBGM装置)のチェックをしていたら、すごーく懐かしいテープが出てきた。それは、オレがまだイギリスに行く前の頃の、英語のリスニング練習テープだ。その頃の気持ちがよみがえり、胸がキュンとした。不安と期待に満ち満ちていた頃。そんなオレは、いま何才になったんだ???

2004年9月22日 (水) 現状の保育制度ってどうよ?
午前11時半、歯医者。驚くほど対応のキモチいい歯科医で、こちらが照れてしまうほどだ。

午後、妻の就職に伴う、晴史郎の保育所の申請のため、市役所に出向く。児童課の女性はとても親切に対応してくれたが、じっとしている事が何より嫌いな晴史郎をあやすのに骨を折り、オレは話しのほとんどを聞く事が出来なかった。ただ。制度上の手続きで、父親であるオレの就労時間(非常勤講師以外の日の時間)を証明するために、ご近所の民生委員にお伺いをたてねばならなくなった。妻の面接以降、正式採用が決まってからの事であるが、、、。いずれにせよ、オレたちのような変則的な家庭にとっては、一般論が当てはまるはずもなく、ただ杓子定規的に制度を盾に押し切られても、どうしても納得がいかない事はいっぱいあるし、まだまだ是正されるべき点は多いと感じた。分かってはいた事だが、あらためて現実を目の当たりにすると、この国の少子化の要因はまさにこういう後手の対応によって出来上がった制度にもあるのだと痛感する。

その後、妻の面接に着ていくジャケットを買いに行く。
極端に腹が減っていた事もあり、少しずつ無口になったオレに、妻はオレが保育所関係での面倒さに機嫌が悪くなったと勘違いしたようで、やけに気を遣ってくれていた。が、ゴメン、ただ腹減ってただけなんだ。

2004年9月21日 (火) やや人間的生活
午前中は高校の授業。Tシャツプリントの完成の日でバタバタだった。そんな状況下でも、眠かったぁ。まだ体調完全復調ではないです。

通常なら、高校の授業後、どこかで時間つぶしてそのまま午後の外語大の授業へ向かうところだが、今日は一旦部屋にもどりランチした。ほんの少しだけ仮眠して、すぐに出かけなおす。

外語大は、後期(2期)最初の授業という事もあって、定員いっぱい学生がおり、コンピュータルームは異様な熱気だった。

帰宅途中、コンプマートに立ち寄り、AirMac接続用のイーサケーブル購入。そこでニューiMac見た。コンピュータもここまで来たのね、家電じゃん、と思えた。

夜、恒例の「ガイアの夜明け」を見る。今週は、伝説の営業マンの話しだった。オレの予想に反して、天才営業マンは、ビシビシキビキビタイプではなく、なんとなくちょっと抜けている様に見える感じの人。威圧感を与えないところ、お客に「助けてやっか」と思わせるところがツボなのか。敏捷性、根回し、気配り、押しと引き、泣きに泣き、、、実際の現場での営業は本当に大変だと思う。オレなんかには到底出来ないと思った。

2004年9月20日 (月) SWING GIRLS AND A BOY ライブ
二日酔いで、終日死亡。

朝、布団から這い出し、Swing Girlsの生演奏とインタヴューを見る。吐くほどにギリギリだったので、樹里ちゃん可愛い、、、などと言ってられず、後になって悲しくなった。

午後からは、AirMac BaseStationの解体作業(また調子悪くなったんよ)と、その光景をHPにアップする事に集中。妻と晴史郎は、近所の公園へ散歩。すまんがオレは今日ヒキコモリだから。

オークションで、IH炊飯器ゲット。妻への誕生日プレゼントとして考えてたんだけど、「妥当です」になりえるかなぁ?全然ありえん気もするんだが。あと1週間で誕生日。

2004年9月19日 (日) 飲み過ぎでしょ?
当然ながら、頭がボーーーーーッ。トコトン何もしないで、ゴロゴロと午前中を過ごす。
午後、餃子のレシピをアップした。これには思ったよりも時間がかかった。気がつくと午後4時だもんね。寝不足の体調不良から、それまで全く何も食べていなかったので、出かける前にナンカ腹に入れとけ!という事で、うどんを食べる。
午後5時半、電車でスーさん宅に向かう。今日はスーさんの友だち夫妻を交えた飲み会。予定が遅れたスーさんの帰宅を、岡崎駅前の広場で20分ほど待つ。その間、ワインのミニボトルとiPodで、気持ちのいい夕涼みになった。Feeling Like in England

スーさんの友だちの整形外科医(内海氏)夫妻は新婚ホヤホヤで、とても仲がよく見つめ合ったりしてさ、ま、なんちゅーか、いわゆる、アイタタタですな。でも、朗らかで愉快なダンナと、気取らなく可愛い奥さんだったドス。ホトバシる若さっていいね。

という事もあり(←どういう事?)、そりゃ飲んだ飲んだ。よーけ飲んだわ。
ベランダでたばこ吸っていると、もうフラフラしちゃって、、、。2回ほど、死ぬかと思った。
もちろん後半は覚えとりません(ということにしちゃえ)
コントロール不能で、誰かにのりうつられてしまったオレは、いつもの「帰りたい病」がまたも出て来てしまい、あろうことか、スーさんに送ってもらう事に。(恐縮)
何時だったのかさっぱり覚えていなかったけど、翌朝妻に聞くと、午前4時頃だったそうな。
なんだべ?

2004年9月18日 (土) Windows 導入
本日、わが家のコンピュータ環境に、Windows搭載機(SOTEC Afina AL7180A)が参入した。しかし、なにぶん今までMacintoshしか使った事がないので、操作・設定は混乱の極みである。初期設定に続いて、ワイヤレスLAN化に挑戦。近所の家電量販店へ。802.11bであれば、Apple AirMac BaseStationと通信できるはず(昨日までネットで猛勉強した)なので、「BUFFALOルータ専用カードだから」という店員を無視して、無線LANカード(BUFFALO WLI-CB-B11)購入。案の定、無線LAN設定は問題なく設定できた。これでMac & Winの環境が整った。
そもそも、Win機を欲したのは妻である。ウェブ一般ではMacは基本的に迫害されており、いくつかのサイトで「対応OS Windows XP、2000、Me のみ」という限定が平然とまかり通っているのが現状だ。一例だが、オレのマザーバンクのネットバンキングシステムはWindowsのみとなっており、数回抗議の電話をした事がある。Macユーザーはマイノリティーなので仕方がない事は分かってはいるが、、、。そして妻の就職関連についての必要性(派遣先の職場はまずWindowsだろうから)からも、今回導入する事となった。
それにしても、驚くほどダサイ。デスクトップデザイン、フォント、アイコン、、、etc
現在マジョリティーであるWindowsがこれなのだ。このダサさが一般的な世界基準なのだ。

夜、テニス後の太田君、吉本さん、中條くんと焼肉で合流。お誘いがあった時すでにオレは究極の満腹状態だったので(餃子を大量に作り、食したあとの合流→この件は他ページで近日公開)、リキッドオンリーの参加であった。焼肉の後、サイゼリアで閉店まで話し、それでも懲りずに太田君宅へ。今回は吉本さんの「儒教は宗教たる位置づけを持っているか?」の発問が引き金となり、多くの話題に転換しながらの痛快なトラベルトークとなった。午前4時、帰宅。

2004年9月17日 (金) ヤンチャ
夕方、晴史郎と妻とで、近所の運動公園に散歩に出た。
初秋の夕暮れ、オレンジ色の柔らかい日差しの中、3人でジョギングロードをゆっくりゆっくり歩いた。

遊具の場に行き、ロープで出来た巨大なジャングルジムに登ってみた。スルスルと高いところまで行くと、見晴らしがよく、とても気持ちいいではないか。もちろん晴史郎は登れないけど。

晴史郎は、運動公園にいる間、ハチ切れんばかりの迸るエナジーをビームにしていた。
かなわんなぁと思う時もあるほどのヤンチャ坊主だけど、今日のような元気あり余る姿を見ていると、こちらにもエネルギーが漲ってくる。嬉しい事です。

2004年9月16日 (木) 日比野クン
午前中、SWING GIRLSを観に行く。

午後、今日の愛教大の授業は、ほぼ2ヶ月ぶり。
課題のテーマは「錯覚」、サブテーマが「リアリティーを考えるための逆照射」というもの。

ほとんどの希薄学生が、単純に錯覚を用いた作品(錯覚の構造を見せなくてはいけないのに)を制作する中、天才少年日比野くん(以前、透明ケースの写ルンですを考案)だけが、まさに錯覚の構造を示す作品を制作してきた。いままで彼の作品には、何度も驚愕させられたが、今回のものはまさにあっぱれ!であった。

錯覚が起きる構造とは、、、
まず予備前提があり、それを基準として認識した”観念のリアリティー”と”現実”とのギャップこそが、錯覚を生み出す要因なのである。そこのツボ、そう、まさに「基準となるもの」を壊す作品を提出。オレ自身、プレゼン見ていてグラングランしたのだ。

彼は本当によく考え、悩み抜いた果てに、それを導きだしたのだ。センスとか閃きで作品を作るのではなく、テーマに対する地道な探求こそ、オレの授業で体験して欲しい事なのだ。

2004年9月15日 (水) 分解したったわ
 AirMac BaseStation(わが家の無線LAN)がどうにもおかしい。電波が出たり出なかったりの頻発。Appleのサイトでいろいろ調べてみると、不思議だけど、BaseStation(以下BS)の内蔵AirMacカードを抜き差しするだけで修復できるそうな。早速と思っていたものの、特別な器具がないと開けられない。ちょっと遠くの工具専門店にまで出向き、スターレンチを購入。
 歯医者に行った。とくに痛む訳ではないけど、歯肉の腫れが気になるので。とくに問題はないとの事。その歯医者、驚くほど懇切丁寧に説明してくれるし、ちょっとした素朴な質問にも逐一解説してくれる。そんないい先生が、なんと男前で、しかも小児歯科やってるとくりゃ、近所の奥様方は、オシャレして子供を歯医者に連れて行くんじゃないの?
 歯医者から帰って、再度BSのチェック。細心の注意を払いながら、ゆっくりゆっくり解体した。一度はよくなるも、しばらくするとまた不通になる。クラゲケースはずして、金属丸出しで設定もした。何度も何度も設定しなおし(カード抜き差し、ソフトリセット、ハードリセット)、「もう、わけわからん!」と諦めかけた頃、オークションで落とした有線LANルーターが届く。ああ、これでわが家は有線LANかよ、、、悔しさのため、最後の挑戦とばかりに気合いを入れてBSを接続しなおすと、これまた困った事に、理由なく、ズバッと接続できてしまった。

ということで、無線LAN継続中。
どーしよー、coregaのルーター、、、。

2004年9月14日 (火) パラリンピック
今週の土曜日、18日から、いよいよアテネパラリンピックが始まる。
今回はNHKが多くの競技を放送する予定で、とても楽しみだ。

■パラリンピック関連番組表■
http://homepage3.nifty.com/little-wave/paralympic/2004nhktv.html
■日本障害者スポーツ協会■
http://www.jsad.or.jp/2004athen/athen_top.htm#nittei

18日は開会式。

多くの日本人選手が、メダルをかけ現地入りしている。
メダル候補でない選手も、頑張って欲しいと思う。
彼らを支える多くの人々の事も報道してくれるといいのだが。

個人的には「ゴールボール」を是非見てみたいと思う。

■ゴールボールのルールなどの詳細■
http://members.at.infoseek.co.jp/happy_clover/gb.html(ゴールボールチーム「Victory・Thunder」のHPより)

2004年9月13日 (月) 肝硬変
朝起きると、腰回りが締め付けられるように痛む。
きついコルセットが巻き付いて、ギュウギュウ締め付けるようだ。
こりゃたまらん、、、。

  病院に行ってみると、面倒な検査の果て、肝硬変だと診断された。
  ガガーン!

と、そんなくだらない妄想ごっこをしながら、眠い眼をこすって出勤。

妄想が現実にならないように、今週1週間、酒やめとこ。
デッキ、ルッカナ?
デッキ、ルッカナ?

2004年9月12日 (日) Pod
スーさん宅で、彼らのご近所さん夫婦と一緒に食事をする機会があった。

とても真面目な夫婦だと聞いていたが、オレには一概にそうは見えなかった。もちろん不真面目だというのではない。ま、真面目って言葉のディフニシャンの相違かも知れないが、人生に対して(社会に対してかも知れぬ)、某かの「予備タンク」をレギュラー装備しているタイプの人たちなんだろうとオレは思う。マルちゃんが「真面目な人たち」と形容したあと、ナニヲカイワンヤな顔をしていたのは、きっとそういうことなんだろうな。この国のこの時代のマジョリティーは、そういう人たちなんだし。

で、彼らから見ると、オレたち(誰たち?)のような部類の人間は、ヒッピーとは言わないまでも、自由だから目、結構プライドあり科、珈琲屋のマスター属あたりに位置するのだろう。とにかく、住んでいる世界はいっしょでも、見ている景色のスペクトラム配列がちょっとだけ違っているのだろうな。

でもでも、翻って考えるに、オレなんかは社会に対して不真面目であるがゆえ、人生に対しては真面目だと思ってるところ、結構あったりするんだが。

一般的に言われる「社会に対しての真面目さレベル」は、与えられた環境(状況)からの懐柔に対する許容と言うか、そういう寛大さがなければ、キープできないんだろうな。みんな立派な大人じゃん。

て・こ・と・は、オレって小物なんだな。(プッ)

2004年9月11日 (土) 遠路遥々
笑える事があるうちはいいよね。
とってもいいよね。
笑えない事でも、笑っていられるうちもいいよね。
とってもいいよね。

、、、、、

、、、、、

、、、、、

でも、オレは”いまだに”こうやって笑っていられる訳だから、
それはそれは、おおいに感謝だぁ。
えっ?なににって?
そんなこと、大人のオレが言えるかい!!!
(おっと、毒付き吹き矢が飛んできやがった)

2004年9月10日 (金) 奥田をきっかけに
サラリーマン、そしてオレの年頃の多くがそうである中間管理職。
そういう人間がどんなことを思って生きているのか、考えたこともなかったし、考えるきっかけすらなかった。もちろん、今まで経験したいくつかのバイトの中で見たことはあるし、劇画で描かれたりしてきたことも知らないではない。しかしそれらは皆、部分的で、そして、瞬間的で表層的なものにすぎなかったのだと知らされたのが、今回読んでいる奥田英朗の短編小説集だ。
オレと同じ時間を違う世界で生きている人間が確かにいて、それは決して少数派ではないということ。オレはいったい何をやってきたのだ?という方向に向くのではなく、世の中の民の構造が実直に体感できた気がする。もちろん小説である以上、でれもフィクションではあるのだが。
オレの生きてきた世界は、塵を集めた集積によって測られるようなところがあり、ダイレクトでない構造にイライラしてきたのだが(ロックスターを見て、瞬時にエネルギーを爆発できて羨ましく思ったこと幾ばくか)、このごろ少し、集めてきた塵に少しではあるが価値があるように思えてき始めた。これからもそうやって集塵しながら生きていくのだろうけど、それに価値があると認めるのは、他人の評価ではなく、自分自身が気づく事なのだとようやく思えるようになってきた。
だからここのところ、周囲に優しくなれる様になってきたのかも知れない。他人が言うのでなく、自分でそう思う。そして、負の連鎖にまとわりつかれず、そういう自分を嫌いにならないでいてあげようと思う。

2004年9月9日 (木) ビシャス・サークル
前の晩より本を読み始めたら、ついついハマって読んでしまった。そして、ふと思い立ったことがあった。本の内容とは全く関係ないが、iBookをいよいよOS9からOSXにするというものだ。それを強く決意した。まだ夜が開けない早朝のことだ。
OSバージョンアップのために、まずiBookの全データをバックアップとって、新規にiBookのHDを初期化&フルインストールしようと試みた。しかし、とてつもない難題が次々と襲ってくることになろうとは、当然ながら、その時点では気づいていなかった。

まず、バックアップのためのデバイスがないのだ。外付けのHDとか、大容量のメモリカードとか、、、一時はiPodをデバイスにと考えたが、OS9環境では認識しない。こうなりゃファイル共有だ!と決意し、AirMac経由での、ワイヤレス共有を試みる。しかしこれがまた複雑すぎて簡単に挫折。(後で冷静に考えてみれば、特に複雑な訳ではなかったのだが)
次に試みた作戦が、イーサケーブルでダイレクトにつなぎ、G4のHDにバックアップとってやろうというもの。AirMacベースステーションに繋がっているケーブルをはずし、iBookにつなぐ。しかしこれまたクロスケーブルでないため、アクセス不可。いそいでかつて所有していたクロスケーブルを探すも、、、、。
そこで仕方なく、データを分解してデジカメをデバイスとしてバックアップとろうと考えた。でもどう考えても、気が狂うほどの輸送を繰り返さなくてはならない。
何かいい方法ないかと、いろいろなサイトをチェックするが、今ひとつピンと来る答えは見つけられず。そんなこんなで、おろおろしているうちに、昼近くなっていた。しかし専門家のカキコを見る限り、AirMac使ってネットワーク維持してつなぐことが最もこの環境にはいいというものだった。
さあ、どうしたもんか、、、と思ってiBookを眺めていると、AirMacがおかしい。電波が飛んでいないのだ。とりあえずバックアップそっちのけで、AirMac修復に奔る。カードを外したり挿したりは当然で、ソフトウエアをインストールし直す。そうすると電波が正常に飛ぶもんだからひと安心。しかしまたしばらくすると、接続が切れてしまっている。なんでだ?と思いながらまたAirMacソフトウエアを削除してから、再度インストールのしなおし。不思議なことにそうするたびに一瞬電波が飛ぶのだが、ややもするとまた断線。いったい何度インストールしなおしたろう。
いい加減気が滅入ってきた頃、ふとAirMacも何故か正常になり、調整しながらワイヤレスでのネットワーク方法も見つけ、奇跡的に上手くつながった。やれやれ、これでようやく先に進めるなぁ!と思っていると、ピンポーン!と鳴り、スーさん一家が遊びに来た。

この日は徹夜明けということと、朝から全く何も食べていなかったせいもあって、一気に酔いが回り、さっさとオレ一人盛り上がってしまった。でも印象的だった会話は、子供の頃の遊びの話。カンケリやコッペジライタイショウ、ゴム跳びなど、「そうそう、それやったよ」と思わず声がでかくなることしきり。

すっかり酔っぱらって気持ちよくなって呂律が回らなくなった頃、スーさんたちはンデワと言い残し帰って行った。

さて、酔った頭を振りながら、移植の続きをやろうかなと思ったら、むむむ、またAirMacが死んでいる。なんだっていうんだよ、あとちょっとデータ送れれば完成なのに、、、。もう知らん。さすがにもう疲れた。今夜はもう寝る。明日また、やーろおっと。むひひ。

2004年9月8日 (水) ACアダプタ
MIDI打ち込み用のキーボードとして、YAMAHA CBX-K3 を使ってきたんだけど、どうも大きくて場所とってかなわん。そこでサクッとオークションで売りさばき、その代替キーボードとしてKAWAI HYPERCAT(現行品)をこれまたオークションで破格(定価の1/4)で手に入れる事が出来た。

ところが、さすがに破格ものだからなのか、ACアダプターが付属されていない。電源が入らなきゃ(いくら小さいと言え)YAMAHA以上に意味がなく邪魔だ。しかし、ま、そこらへんは慣れたもの。わかって購入してたのよ。そんなもの規格(9V 500mA)さえ合えばいい訳で、じっくり探してHARD OFFでゲット。しかし、ムムム、ここでまた壁が。ジャックの差し込み口のサイズが違うではないか。くっそー。でもいいもん。実家に帰って、オレが貯めに貯めた電気系ジャンク箱をさばくって、ちょうど合うサイズのジャックを発見。さっそくコードをチン切ってつなぎ替え。もちろん(+、ー)が逆になっている事を見逃さない。

てな行程を経て、今日ついに音が出た。
よーし、GaregeBandで遊びまくるぞー!
と思ったら、もう夏休み終わってたんだ、、、(しょぼん)

(夕方、新しいムービーを晴史郎サイトにアップ→第13弾なのだ)

2004年9月7日 (火) 自動販売機
自動販売機が売り切れのランプを表示している時、実は、その商品は自動販売機の中に1本だけ残っているのです。売り切れランプがついている時には、最後の1本は出てきません。補充作業後の最初の1本が、この1本なのです。これは、補充後すぐに客が、冷えていない(もしくは、温ったまっていない)商品を取ることのないように、という配慮からなのです。なので、補充作業を見ても、1本は(温度が)大丈夫というわけ、そして、数本買ってはいけない、、、云々、という話がしたかったのではなく、、、。

終了してしまう寸前にも、次を準備しておくことと言うか、消耗し切ってしまう前に、最後のための余力を残しておくことと言うか、その重要性、今回の地震を通して感じた。そして、子供の未来について、教育の現場の不安定性について考えた時、痛切にその必要性を感じた。

台風で、西日本は大荒れだ。愛知県も暴風雨警報が発令され、高校は午前中で終了だった。

2004年9月6日 (月) ややこしや、三菱東京/東京三菱
ちょっと前に大騒ぎ(一部で?)になり、オリンピックの影ですっかり時の話題から消え去ったようにうまく逃げ込んだ「日本金融大革命」の影の仕掛人は、、、竹中平蔵?経団連奥田?いやいや、外資?米政府?、、、この手のド推測はドシロウトには面白いのだが、結局のところ真実はずっと闇の中のまま。「UFJのドタキャン」と「根性の座ったひとつのリーク」は小説「非情銀行」よろしく、強者の論理とそれへの抵抗勢力な訳で、どうやらストることになった野球界のような脆弱さではなく、マジマジで、日本のすぐ先がとんでもない方向へ流れて行く気がするよね。見方によっては、どんどん右に(と思うのはオレだけではあるまい)。
で表題だけど、新聞の見出しに出る「三菱東京」と「東京三菱」には違いがあって、単体銀行名は東京三菱銀行で、金融体としてのグループ名は三菱東京フィナンシャルグループというわけ。
ややこしや、ややこしや。
ややこしついでに、三井住友も住友三井だったりするんだな、これが。(なんか流行だったわけ)
ちなみに、三井住友銀行と話題だった住友信託銀行は、グループも違うそうな。
これまた、ややこしや、ややこしや。

関係ないけど、以前、参議院議員に当選した竹中平蔵に対して「代議士」と呼称して馬鹿呼ばわりされたキャスターがいたなぁ。代議士は衆議院議員のことですよね。ところで、参議院議員には代議士に相当する名称ってあるんだろうか?聞いたことない気がするんだけど。

2004年9月5日 (日) グリとグラ
午後、姪っ子を連れて豊田の画塾(研究所)に向かう。受験デッサンを本格的に勉強するためだ。その研究所は知合いの夫妻が経営しており、豊田では有名なところだ。ご主人は所用で不在のため、奥さん(日本画家)に面接をしてもらう。典型的なチャキチャキタイプの女性で、今から始めるのは無謀ね!とグリグリと責められ(とはいえ現実だが)姪はかなり圧倒されるも、とにかくお願いすることにしたようだ。本来は定員一杯で受け付けられないところだが、オレの紹介ということで特別に受け入れてもらえたことは、阿部家に少しは貢献できたかも知れない。驚いたのは、お父さんの職業は?と聞かれ、姪が「小説家です」と答えるや否や、「えっ、夏丸さんの娘さん?」とびっくりした様子。世間の狭さを痛感する。とにかく、今からほぼ一年、彼女の努力が試される。そう、いわゆる大学受験だ。

夜、地震が2度あった。1度目はスーさん宅での食事中に。マンションの5階だということもあり、実震以上の揺れだったように思う。そして揺れ時間が約30秒と長かったのが恐怖心をあおった。どこもそうなのだろうけど、地震が収まるや、TVのスイッチを入れる。当然NHK。きっと地震のあった東海・近畿地方で、瞬間的にはすごい視聴率であったに違いない。
2度目は深夜。妻の「ジシンッ!」の声と、グラグラっと来た揺れにうたた寝から飛び起きた。こちらはほぼ1分ほど続く揺れだった。ピーク時にミシッミシッとアパートの壁が軋んだ。あんなに長いグラグラは生まれて初めての体験だ。晴史郎を抱きかかえる妻を背中から抱きかかえ、揺れが止まるまで「これ以上大きくなるなよ」と何度も心の中で念じた。地震が収まってから、非常持出し袋と靴を枕元に置いた。
阪神淡路大震災の様に、爆発的に破壊されるのもかなわないが、こうやってジリジリと責め立てられるのもイヤなものだ。台風と違って、あらかじめの準備もできなければ、待てば去るというものでもないから。

今回の地震で最も大きく揺れた和歌山の新宮(震度5弱)に住むレベッカは、さぞや驚いたことだろう。ただ無事を祈る。

2004年9月4日 (土) ニヤリ ペコリ
iPodの車載用のホルダーを自作した。
iPodに傷がつかないような構造、操作性の良さ、および、邪魔にならない取り付け場所を考えながら、しかも見た目に悪くないものを作るのは、作品作りとは違った楽しさがある。

市販されているホルダーではオレの車にフィットするものはないだろうから、自作するという判断は、実は選択の余地なしと言う状況でもあったのだが。

制作費、500円(ニヤリ)

夜、吉本さん、太田くん、中條くん、幹永くんと、焼き鳥→サイゼリア→太田くんち、という宴会に参加。ワイのワイのさんざ騒ぎ、ふと気がつきゃ朝5時。外もシラジラ明るくなってきたので、ホンジャネと帰宅すると、妻はカンカンに怒っていた。
もうっ連絡の一本も入れないで!と。
遅くなるというメールを入れたのが、深夜2時だもの、そりゃ遅すぎだな。
ごめんなちゃい(ペコリ)

2004年9月3日 (金) 晴史郎と
晴史郎はつい数日前まで、いつも母親にベッタリで、一瞬でも視界から消えればすぐ泣いてしまうどうしようもない甘えん坊だった。それがどうしたことか、ここ数日、すっかりオレになついている。特に何かいつもと変わった訳ではないのにだ。とにかく、やっとこういう状態になってくれたので、妻は、ほぼ1年ぶりに美容院に行く事ができ、午後の予約を入れた。

妻を美容院に車で送り、その後ベビーシートを助手席に移動させ、視界がいつもと違う事もあり、晴史郎は予想ほどは愚図らない。軽いひと安心。

車の保険を支払いにいくために窓口へ。手続きをしている間、あちこち歩き回る晴史郎を尻目に、支払いを済ませようとしていた時、受付嬢が「あ〜っ、あぶない〜」との奇声。ふと振り返ると晴史郎が自動ドアに挟まれる寸前。ぎょっと思って抱きかかえ間一髪。危うく六本木ヒルズの二の舞になるところだった。

公園に行き、ほぼ3時間を晴史郎とじっくり過ごす事が出来た。
彼の好奇心と慎重さがよーく見えた一日になった。
いい感じ。

2004年9月2日 (木) 自分の居場所
白石一文の「僕のなかの壊れていない部分」を読破。

型破りでありながらも、細かなこだわりを持って生きている主人公。
彼を取り巻く恋人や友人知人の行為や言葉によって、主人公が変わる訳でもなく、さりとて振り払う訳でもなく、、、リアルな現実とはそんなものだと思える作品だ。所々記述される「愛する」形のあり方。そして何よりも、作者が最後までこだわり続ける「自分の居場所」に対する答えが、思わぬ形で浮上してくる。

些か分裂性気味の展開や、首尾一貫しているようでズレていく意識の流れが、大いに共感できるものであった。

そして一般的に興味を引くのは、彼の驚異的な記憶力の理由についての一説だろう。

とにかく、おいしい一冊だった。

2004年9月1日 (水) ステレオタイプ/ユニーク
あれ以来ずっと今日まで、ひとつのことを考え続けている。

彼はかつてこういうことを言った。
「ものごとの表面ばかり見ていたら、人は絶望ばかりさせられてしまう」
オレには忘れることの出来ない重要な言葉のひとつだ。

ところが先日の彼の言葉は、誤った答えに導かれるべく用意された不幸が溢れているように思えるものだった。まるで何かに怯え、今にも躓いて倒れそうな、切羽詰まった姿にしか見えなかった。オレは彼の「保留」という姿勢が好きだったし、大いに影響を受けたものだ。何が彼をあのような「解答」をはじく人間に変容させたのか。その手の「解答」は、結局は自分の過去を守るためだけに向けられており、未来に対して何も生み出さないことくらい分かっているはずなのに。

しかし、、、そう思えてしまうオレこそが、実は、おかしくなっているということなのかも知れない。欺瞞にすら気づかなくなっているだけなのか?謙虚さをいよいよ無くしてしまっているのだろうか?怯えているのは、実はオレの方なのか?

話は違うが、今日図書館で、南方熊楠を語った本を走り読みした。彼の「自然保護」の具体的立脚点を知った。多くの人が、彼を間違った形で祀り上げているのではないかと思えた。