ROUTINE(ルーティーン)      back  

ルーティーン



2004年7月




2004年7月31日 (土) 岐阜
 今日は岐阜に出かけた。原口からDMが届き、今日なら会場にいるとの事だったからだ。午後2時に家を出て、電車の中では「空中ブランコ」を読み、3時過ぎにパスワールドに到着。驚く事に原口はいなかった。オーナーの星屋さんと小1時間話をし、せっかく岐阜に来たのだからとギャラリー・キャプションに向かう。途中妻から電話があり、岐阜県立美術館でも原口たちのグループ展は開催されているとの情報を得る。キャプションは大岩オスカール幸男。ドローイングの線が良かった。山口さんに美術館までのアクセスを聞き、バスで向かう事にした。
 岐阜駅前は花火大会の人手で浴衣の娘を連れた若者で溢れかえっている。美術館方面のバス乗り場でバスを待っていると、中年男性が声をかけてきた。しかも英語で。なぜオレに声をかけたのか疑問に思いながら、彼が向かう方面のバス乗り場を案内する。東洋人の顔をしている事で、盲目的に日本人だと思ってしまうこの国の単一感覚は、恥ずかしながらオレの中にもしっかりと存在するのだ。
 美術館に着くとちょうど玄関で原口と佐分利に出会う事ができた。到着があと1分遅れでもしたら、そこでもまた行き会えなかっただろう事を思うと、幸運に感謝である。美術館の作品を見てから佐分利の車で再度パスワールドに戻る。その後、原口と佐分利とで居酒屋に繰り出す。しばらくしてからグループ展の参加者の二村さんも合流。原口の病気の具合を聞き、佐分利の近況を知り、不覚にももらい泣き(ウソ)。とにかく非常に楽しい酒だった。帰りの電車は、原口と神宮前まで一緒だった。早く元気になって幸せになって欲しい。

2004年7月30日 (金) 梱包
 時間ギリギリではあったが、ようやく今回の展示作品を仕上げる事ができた。今回は時間的に余裕があった訳ではないが、思えばずいぶん楽しみながら取り組めた。しばらく制作から遠ざかっていた事が一番の理由であろう。こういったペースを基本的に維持できると、精神衛生上とてもよろしい。そして作品のクライテリアを維持し続ける事だ。つまり下らない作品を作らない事。
 

2004年7月29日 (木) 空中ブランコ
 昨夜の酒は、インターバルを取りながらだったので、すっかり解毒され、すっきりとした目覚めだった。

 今日は訝しく思いながらも楽しみにしていたドンキホーテ新安城店の開店日だ。開店時間早々から出かける節操のなさに対しての躊躇が働き、朝一で行くのをやめてまずはスタジオに向かった。一仕事終え、塗料の乾燥待ちのタイミングで帰宅。晴史郎の昼寝が終わるのを見計らってドンキに出かけた。予想をしてはいたもののそれをはるかに超えるヤンキー趣味丸出しの店内に辟易しながらも、驚くほどの安さに、数点の買物をしてしまう。それにしても朝からずっと1号線はドンキの客による渋滞が続いている。うすら気味悪いほどだ。
 ドンキに行く前に寄った図書館で奥田英朗の「空中ブランコ」を借りた。直木賞の発表があった日の朝に、すでに予約してあったものだ。先日読んだ「邂逅の森」テイストとは打って変わって、痛快な面白さがふんだんに撒き散らされているお気楽文学だ。とはいえ、なかなか深いところをしっかり突いている。まだ1章を読み始めたところだが、小編が重なってひとつのストーリーを作っているタイプなので、ゆっくり楽しみながら読む事ができそうだ。それともう1冊借りたのは谷村志穂の「海猫」(この秋公開される同名映画の原作)。こちらはどっしりとしたページ数から推測するに、読み応えありそう。ふんふん、楽しみ。

2004年7月28日 (水) 太田君来宅
 これまでメインに考えていた作品がどうしても納得いかないので、新たに別の作品に取り組む事にした。材料調達から始めなくてはいけないが、それでも自分が納得できる作品を作るべきだと決意し、迷いを振り払って立ち向かう事にする。セッティングするまでどうなるか分からないが、やれるだけやってみることにした。そうと決めてからの行動は早いたちなので、制約された時間の中で今日やれる事を順調にこなした。
 夕方、太田君が遊びに来た。泣き虫の晴史郎がとても太田君になついていた。妻も驚くほどだ。やはり赤ん坊である晴史郎には、俗の垢にまみれたオレには見えない太田君の背中にある天使の羽根が見えるのだろうね。
 サッカーをTV観戦しながらビールを飲み、手作り餃子を食べた。日本代表 vs イラン戦。選手のコンディションが悪く盛り上がりに欠ける試合である事と、晴史郎のわんぱくぶりに振り回され、応援にはあまり集中できず熱が入らなかった。ともあれ、その後二人でじっくりいろいろな話ができたのは良かった。ゆるやかながら気持ちのいい時間だった。太田君は間近に迫った個展準備の深夜の制作のために、12時頃帰って行った。

2004年7月27日 (火) 邂逅の森
 朝起きるとともに、腰の具合がすこぶる悪くなっている事を自覚する。数週間前に味わったあの嫌な腰痛と全く同じ痛みが右腰にまとわりついている。無理な抵抗は、回復をいたずらに遅らせる事になることは経験上十分承知している。よって、今日一日は抗う事なく、養生の日とする事にした。ちょうど折しも図書館から予約本が到着したという通知があったばかりだ。すでに暑くなり始めていた9時半、図書館に本を取りに行く。熊谷達也の「邂逅の森(カイコウノモリ)」だ。先日、直木賞を受賞した作品である。直木賞発表の日に、図書館に予約をした。

 内容はおろか時代も舞台も全く予備知識はなかった。時代は明治から大正昭和初期にかけてのもので、東北が舞台になっている。方言表記には閉口させられもしたが、慣れてくるとそれをも味わえるようになる。読み始めてすぐにそれがマタギの話だと理解する。マタギとは猟師の事である。村上龍がどこかで書いたハンターの思想には心突き動かされるものがあり、その記憶によって、マタギの話か!これは面白いぞと一気に読み進めた。午後3時頃、妻の「お腹すいた」の声によって近所に寿司をつまみに行くまでは一心不乱に読み続けた。

 寿司の帰りに映画を一本借りた。妻の好きな浅田次郎の「壬生義士伝」だ。NHKの新撰組と比して、配役が似ている事もあり妻はたいそう興味を持ったようである。帰ってからしばらくは「邂逅の森」を夢中で読みふけるが、妻の退屈そうな顔を見て「壬生義士伝」を今夜観る事にした。腰痛が疼き出さないように姿勢を確保しながら、また、晴史郎の悪戯に集中力を途切れさせないようにしながら、中井貴一の好演を2時間ほど観た。

 途中の睡眠を挟んで、ほぼ一気に読み終えた。「邂逅の森」に描かれている世界はマタギの世界だけに、今我々が生きるリアリティーとズレる所が多々あるが、かえってそれがいい。現代への警句のようでもある。そして文章の歯切れと転換が絶妙だ。何よりも風景描写が実に上手い。自然を対象にした場面で描写力がないと読み手は非常に疲れさせられるが、そういったストレスがないどころか、雪原に立っているかのような緊張感をも与えてくれる。ストーリーを要約すると、マタギである主人公「富治」が、波瀾万丈の人生を紆余曲折生き抜きながらの体験をとおして、ひとつの到達点に至るという話である。激動の時代による荒波と、貧困と偏見によって背負わされた主人公の世界観とが巧みに織り合わされ、生き抜くとは何か!を教えられる感動巨編である。他の熊谷達也の作品も読んでみたくなった。邂逅の森、いい本と出会えた。

2004年7月26日 (月) あのころ小説
朝起きると、再び腰痛の気配が。養生せねば。
 朝食は抜きで、午前中にスタジオ入り。展示用台座等の制作を進める。数日前にほぼ完成した作品をじっくり見ていて「これじゃぁ全然ダメだ」と思えてきた。意味不明なうえヌルい。どこかで踏み間違えてしまったようだ。仮説として、どこかで他人が作ったこれと同じ作品を見たとしたら、多分オレは何の反応も示さないだろうと思えてくる。何がいけなかったのかをじっくり考えるも、自作となるとなかなか答えが見つからないのが現状。昨年から最近まで、しばらく制作から離れていた事によるカンの鈍さなのだろうか。再検討の余地大いにありだ。
 夜、久しぶりにS氏からファックスあり。織部亭での展示の質問だった。即刻返信ファックスを送る。

 深夜の番組に、清水義範が出演していた。数年前、清水を夢中になって読み漁っていた事がある。とにかく視点ズレが面白いのだ。日常のどこにでもある誰でも経験した事のあるモチーフを、ほんのちょっとだけ視点を変えて「こういう解釈もあるか」と納得させられる小説を書く。ある意味オレの作品の視点と重なるところがあり、強く納得し感心してしまう。実にユニークなユーモアやペーソスが溢れる日本には珍しいタイプの小説家だと思う。そしてオレの大学の先輩(ずいぶん先輩)にあたるのだ。 清水との出会いは、イギリスに渡る前の頃、深夜のガソリンスタンドでバイトしていた時の時間つぶしが始まりだったように記憶する。偶然書店で手に取った一冊(タイトル失念)で、すぐにのめり込んだ。外交交渉と通訳をモチーフにした小品は好きなストーリーのひとつだ。
 その頃いくつか夢中になっていたひとつに、岡嶋二人がある。これも偶然手に取った一冊なのだが「クラインの壺」というタイトルでの衝動買い。はじめて読んだ岡嶋は衝撃的だった。驚くほど緻密に組み立てられ、その構造を読みながらジリジリと満喫する事ができる。それまでサイエンスフィクションなど全く手を出さないオレだったが、岡嶋の作品では、息もつかずに一気に読み切り、かなりの動揺が読後もたらされた事は記憶に新鮮なところだ。二人というペンネームの通りコンビで執筆していたのだが、今は残念な事に解散してしまっている。

2004年7月25日 (日) 怠惰休業
本日、二日酔いおよび日曜日であるため、不必要に「休業日」とする。
夕方、アイスクリームを買いに出るまではどこにも出ずにゴロゴロ過ごす。

2004年7月24日 (土) 招待
 懸案であったコルク問題が解決した事と、制作時間を延長してじっくりと取り組んだ事もあり、午後5時に帰宅したときはある種の開放感に包まれ気持ちがとても軽くなっていた。そのまま冷蔵庫を開け、ビールを数本飲みながらリッキーマーティンなどを聞いてみる。少しずつエキサイトしてきて、誰か誘いたくなる。スーさんに電話するも留守。太田君に電話するも留守。出原君を誘うが歯痛で無理との事。ヤマちゃん誘って、スーさんの携帯に電話して強引にセッティング完了。
 人が集まってくれてエキサイティングな夜になる。ビュンビュンとはじけた。そしていつもの事ながら、翌日の二日酔いを覚悟するほど飲んでしまう事になるのだ。

2004年7月23日 (金) ジュラ紀
ここ数日、結構強烈な不眠症に襲われている。夏休みだからいいのだけどとは言っていられない。睡眠時間が減ってくるとイライラしだすし、発想が貧困になるし、集中力がなくなるし、いい事なしだ。

先日直木賞を取った「空中ブランコ」(奥田英朗著)とともに今すぐ読みたいのは谷村志穂の「海猫」である。今日はそれを借りようと中央図書館に出向いた。ネットで借りられる事をチェックしてあったのだ。そしたら驚く事に、金曜日であるにもかかわらず休館だったぞよ。月一回の整理日だそうだ。夏休みだぞ。高校生は勉強せねばならぬし、幼児は走り回らねばならぬし、失業者は時間潰さねばならぬし、主婦は涼まねばならぬし、老人は趣味の幅を広げねばならぬ大事な場所だというのに。

ところで家の近所の某大型書店は、今回の直木賞の2冊ばかりか芥川賞も平積みしていないぞ。平積みどころか在庫がないと来ている。前回の受賞者の「蹴りたい…」とか「蛇に…」なんかは今でも山積みだのに。無文化アホ本屋は雑誌売ってしのいでろ。

デジカメで取りためた晴史郎の写真を写真屋で80枚ほどプリントした。ちっちゃい頃から比べると、ずいぶん大きくなったのは当たり前だが、顔がどんどん変わって行くのがよく分かる。妻曰く、今の顔は第4期だそうだ。ふとデボン紀とか白亜紀とかいう名称を思い出してしまう。

2004年7月22日 (木) iPod
午前中にスタジオ入り。
今日は東海地方が最も暑くなるとラジオが言っていたが、こうなるとどこが暑かろうが関係ない。暑い事に変わりはないし、逃げられる訳でもない。

ゆっくりながら順調にかつ慎重に制作は進む。時間的余裕がある訳ではないが、精神的余裕を持って制作できるのは気持ちのいい事だ。硬化待ち接着待ちが仕事の区切りとなっている。

午後2時半過ぎ、大島さんにセッティングの確認の電話を入れると、奇妙な電話がたった今あったところだと言う。なんでも「万也展はいつから始まるのか?オープニングはあるのか?セッティングはいつなのか?」ということを名前も名乗らず聞いてきたそうだ。その直後にオレが電話したのだから奇妙に思うのも無理はない。電話の用件であるセッティングに関しては、寛容に受け入れて頂けた。

夜、イサキを食す。港町では珍しい事ではないだろうが、ここらのスーパーではあまり見かけない魚種だ。期待通り非常に美味かった。魚を食べると育ちが出るね、と妻と話す。

今日、多くの報道番組でAppleのiPodについて触れていた。Appleの代表は驚く事に「iPodの周辺機器としてMacintoshを位置づける」と話していたが、それはiPodをWindows対応にした時の発想だそうだ。また、アメリカのDUKE大学では新入生全員にiPodを無料配布するらしい。音楽再生装置としてだけでなく、画像・音声・文章などの各種データのモバイル保存もできる訳だから、HD系の端末はこれからの時代をリードして行く事になるだろう。オレ的にはminiよりも白い方がカッコいいと思うし、差額を考慮しても拡張性とHD容量そしてバッテリーパワーから見てベターだと思う。でも10,000曲も持ち歩く必要はオレにはなく、20GBでも持て余すほど。それでも欲しいなぁ。

2004年7月21日 (水) 土曜丑
早朝、流山の義父より電話あり。
朝食は摂らず、たまらないほどの暑さになる前、出来るだけ早い時間にスタジオ入り。
順調。
午後2時まで休憩なしで制作。
帰宅してビギナーの最終回を見て、その後キッズランドでジオラマ用のパウダー購入。
夜、金沢の義母より電話あり。

2004年7月20日 (火) 多謝
ふと気がつくと、マルちゃんのカバンが昨夜からの忘れ物。
「夕方持ってくよ」と妻が連絡。
オレはギリギリ午前中にスタジオ入りして制作に入る。プラモデルの枝を使った作品。一点一点接着して行くのだが、これが結構根気のいる作業で、気持ちの方がまだ前傾姿勢になってない。でも実際に作業を重ねる事で前足に体重が乗りはじめればシフトアップが速い事は経験上知っている。

帰宅してビギナー再放送を見て、素材購入のため「トイザらス」へ向かう。マルちゃんに連絡して「トイザらス」で待ち合わせに。この日、東京が39度(ギョ!)千葉では40度越(キャー!)などとラジオが言っていたが、名古屋も暑く(とはいえ35度くらい)そのせいなのか経費節減なのか(まちがいなく後者)トイザらスの冷房はほぼ効いていない状態だった。トイザらスと言えば、その昔(10年ほど前)はワクワクして店内見て廻ったものなのだが、最近は面白くない品揃えだぞと思うのはオレだけだろうか?

予想(期待)をしていなかった訳ではないが、スーさんの「じつわー、夕食の手配がしてあるんスよー」の言葉にあっさりとスー家に誘拐される。昨日の今日だのに、ホント仲よし。で、お食事はと言うとヌアント「ひつまぶし」だった。今朝の新聞折り込み広告見て「オイオイ土曜丑ダゼオ」と意気揚々だったオレを見透かしたかのような素敵な攻撃だ。泣けるほどうまいウナギ+マルちゃん手製のシジミ汁でもてなしてもらう。パーフェクト土曜丑に涙。

晴史郎とヒナちゃんはすっかり仲良し?

食事をしていると、千果から電話が入った。夏休みに遊びに来たいとの事。ガッツポーズが出るほど嬉しいサ。泣ける事に、妻も歓迎してくれている。オレには出来過ぎの妻にあらためて感謝。ありがとね。

2004年7月19日 (月) 卵焼き
新しい作品に着手する。(織部亭向け?に、EAT系の作品です)
かつて作品にまで至らなかった素材でのリトライ。

夕方、西京漬(粕漬け)の魚類を持参したスーさん一家が来宅。
ビールも大量に運び込まれ、ちょっとした宅配業者(笑)のよう。いつもながら、スー家にはいっぱいご馳走してもらってるなぁ、マッコト恐縮でごじゃる。オレはこの日どことなく気分が軽く、浮かれてワイワイ騒いでしまった。旨いもん喰いながらの酒宴は人生のご褒美だ。訪ねてくれてありがとう、楽しい話で盛り上がり至福の時が持てたと思う。ただそれだけ楽しいという事は、自動的に翌日の午前中は二日酔いに泣く事になるのだけどね。

2004年7月18日 (日) 始動まで
出原くん、やっぱりいい奴だなぁ。

    ルールに対して真面目な人は、人生に対して不真面目であり、
    人生に対して真面目な人は、ルールに対して不真面目に見える。

オレの大切な友だち。
お互いがんばろうな!

午後、作品材料調達と作品素材撮影。

突き抜けたい!

2004年7月17日 (土) 蝕・喰
 どうも根本的に体が蝕まれている気がする。慢性的にダルいため習慣化して気づきにくいが、若い頃のように「ファイト一発!」な気分になれない。とくに朝、やけに体がだるい。夜中も背中が痛くて目が覚める。こりゃ相当やられとるかな。夏バテで食欲がないだけならいいんだけど。
 夕方、スーさん家と中華料理に行く。地の底に突き落とされるほど無愛想なおババの接客に、ある意味で幻想の中国情緒を味わう。黄金ピータンは明らかに名前負けである。でも牛トロトロ煮と担々麺(なんでも陳系の料理人らしい)は美味かった。間接的に、港の「豫園(ヨエン)←中華」が懐かしくなる。あのピータン喰いてぇ。あの辛いコブクロ喰いてぇ。またみんなで行きたいな。おばちゃん元気かなぁ。

2004年7月16日 (金) わりと多忙な日
朝7時に起きて、晴史郎の皮膚科の予約に向かう。11時半からの診療予約が取れた。帰って朝食。もらい物の「白桃」があるから取りにこいと数日前に実家から連絡があったので、晴史郎連れて行く。相変わらずジイちゃんの顔を見ると泣き出してしまう。親父もすっかり逃げており気の毒に思える。

予約時間に皮膚科に行くも、凄まじい混みようで、結局診療してもらえたのは12時を回った頃。先生は「とっても順調だね」と言うが、もうちょっとタマゴ制限して慎重に様子を見ようとの事。もうどこから見てもアトピーという症状ではない。もう一踏ん張りだな。

昼ははなまるうどん。かけ小2杯を妻と二人で食べる。かつお節と天かすたっぷりでも、しめて¥210ナリ。日本の景気が上向いてこようが、オレは徹底的にデフレ主義なのだ。

食材関係の買物をいくつかして部屋に戻り、テレビで再放送の「ビギナー」を見る。ここのところすっかりこのドラマにハマってしまっている。なにより脚本がいいし、役者もそれぞれいい味出してる。そんでもってけっこう泣けるんだよ。人生の・・・って。でも浪花節的な泣かしじゃないんだな。視点の展開のテンポが良く小気味いい。いつのまにかミムラ(女優)のファンかも、、、。

午後4時に家を出て、名古屋芸大のギャラリーに向かう。去年教えた留学生のゲオルグの作品を見る事と、妻が江坂さんに会う事が目的。国1そして名古屋高速の大渋滞で2時間かかってしまった。午後6時にギャラリーに着くと、もう人が溢れそうな状態だった。ゲオルグと少し話して、教員の数人と軽く挨拶して、早々に退散する事にした。

出原くんに電話して、織部亭で待ち合わせる事にした。今月展示の石松くんの作品はいつもながらオシャレにまとまっていた。見せ方、素材、構造、、、いいセンスだ。

かなりの空腹だったので、気合い一発「松花堂弁当」をたのんだ。織部亭の人気メニューである松花堂弁当は本当に美味しいのだ。少々高い(デフレのオレには尻込みするほど高い)が、あれだけの満足度があれば全くOKだ。¥1,600は全然気にならない。炊き込みご飯、おかわりできるし。オーダーによっては五穀米も食べられる。こちらも超オススメだ。

しばらくすると仕事を終えた江坂さんが合流。妻は彼女とのガーリートークに夢中没入。晴史郎をあやしながら出原くんから「血液型占いが如何に怪しいか」についてのレクチャーを受けていると、今度は仕事を終えた幹永くんが登場(さすがに昨夜の帰りは眠かったそうだ)。ボーイズチーム3人でとりとめもない話をしながら、10時近くまで。晴史郎は椅子の上でぐっすり眠ってしまったままだった。

2004年7月15日 (木) 決断
夜、太田くんから「三八(焼肉屋)」のお誘いを受ける。吉本さん、幹永くん、中條くんも一緒だ。いつものテニスメンバー。へこんでいるであろうオレを元気つけるために声をかけてくれた。

昨日の今日という事もあり、アルコールは必要なかった。それでも十分楽しい時間だった。幹永くんに対するおせっかいな人生話や、幕末人間群像のメタファーごっこ、ジェンキンスはどうなのさ話で盛り上がる。なかでも驚いたのが「アニメンタリー決断」が炸裂した事だ。アニメンタリーって言葉もかなり奇妙じゃ。吉本さんが主題歌のさび部分を唄っていたが、オレは全編唄えるもんね。
  知恵をめぐらせ 頭を使え 
  悩み抜け抜け 男なら 
  泣くも笑うも決断一つ 
  勝って奢るな 敗れて泣くな 
  男涙は見せぬもの

子供の頃、母におねだりして毎月一枚ずつ買ってもらって聞き倒したEP版「ドラマ・決断」
今でもいくつかはっきり覚えているんだよ。
「真珠湾奇襲」白い零戦のイラストが印象的だった。
「ミッドウェイ海戦/前編(すてられた5分間)」手に汗握って悔しがった、大好きな一話。
「ミッドウェイ海戦/後編(空母飛竜の最期)」本当に悲しい話だ。海ゆかばが流れるんだよな、ラスト。
「マレー突進作戦」シンゴラ、パタニ、コタバル。いまでも忘れられない奇妙な地名だ。
「シンガポール攻略」英軍降伏の会議の絵が印象的だった。あんなボロテーブルって事はなかろう。
「バターン・コレヒドール攻略」いわゆる死の行進。いかほどの距離なのか当時のオレには見当もつかなかった。
「潜水艦伊168号」飯だよメシメシ!という艦長の台詞は今でもはっきり覚えている。
「キスカ島撤退」コレも悲惨なんだよな。アリューシャン列島を地球儀でよく見たものだ。
「加藤隼戦闘隊」エンジンの音ゴーゴーと・・・ハヤブサの歌よく唄ったもんだ。キモイガキだね。
「ラバウル航空隊」当然こちらも。軍歌うたう奇怪な子供が生息できた時代だ、昭和は。
なに?年齢?
オレは昭和37年生まれじゃ!
オレたちのおじいさんが戦争体験している世代なんじゃ!

子供ながら不思議だったのが、最終回に川上哲治氏(当時読売巨人軍監督)のインタビューが放送された事だった。戦争(太平洋戦争)を扱った番組だと思い込んでいた訳だから、野球(しかも巨人軍だぞ)と何がどう結びつくのか理解不能だったんだよな。

2004年7月14日 (水) 青春貴族って、あまりのも昭和なネーミング?
午後、M大のワークショップの最終日。過去4回の授業の中で、いちばん盛り上がったようにも思う。授業後、畔柳先生にご足労して頂いて、諸事情の最終処理及び成績表提出の手助けしてもらう。それにしても、いつもながら畔柳先生の許容性には感服させられる。偶然とはいえ、いい人と出会えたと思う。

建築意匠の授業でTAをやってくれていた河合くんと合流し、図書館のAVブースへ。後期の「授業と授業の合間の時間つぶし」に見るための映画のリストアップをする。彼は「ロード」という映画を薦めてくれたが、どうやら図書館は所蔵していないようだ。オレは河合くんに「ペイ・フォーワード」を薦める。

6時、河合くんのゼミでの馴染みの店に連れて行ってもらう。沖縄ベースのパブだ。昼飯抜いた事もあって、極度の空腹状態だ。このままアルコールを入れたらどういう結末を迎えるか想像に易いので、とりあえずゴーヤチャンプルー(定番筆頭)とラフテー(コレも定番ね)をオーダー。どちらも抜群に美味かった。ウエイトレスの女の子、どっかで見た事あるなと思っていたら、実は前々回のワークショップでの学生だったのさ。

脱水飢餓によって増幅された爆発的に美味いビールをさっさと飲み干して、焼酎にチェンジ。その頃、河合くんのゼミの後輩でマンヤのファンだという学生が参入。何故か男子学生だと思い込んでいたのだが、麗しき女性二人だった。だんだんくだらない話になりながら、加速度的に酔っていくのが分かる。自分でも「しっかしまぁよくしゃべるなぁ」思うくらい、オレ一人でしゃべりまくっていた。絶好調の頃、もう一人女学生が合流する。オレはその娘をインドと名付けた。本人曰くインド人ではないらしいが、そんな事はどうでもいい。見事なほどインド人女性の造作なのだ。先の二人が日本的美人なだけに、対照的で大いに楽しませてもらった。(意味不明)

いわゆるグデングデンになるまでにおそらく数時間。11時を過ぎた頃、学生たちに別れを告げ帰路に着く。オレの許容量を超えたアルコールは悪意をもって体の中で暴れ始め、地下鉄を途中下車せざるを得なくなっていた。延べ3回の乗換えの末、何とか終電をつかまえる事ができたのだが、不覚にも終着まで寝過ごしてしまい(マヌケ)、結局は深夜のタクシー運転手の大して面白くもない自民党批判を聞かされる羽目に。どうなってんだ?ここのところのオレは、、、とほほ。

2004年7月13日 (火) 正義と正統
それにしても、こう毎日暑いと何かを呪いたくなってくる。(意味不明)

午前中の仕事を終え、図書館に行く。
ユダヤ人の歴史を書いた本を借りる。授業でもパレスチナの歴史についてよく話すが、詳細検証のつもりで勉強し直そうと思ったからだ。ただ、このような解説本は基本的にバイアスがかかっているものだが、この本に関しては完全にユダヤ人正当史観に覆い尽くされており、パレスチナ問題における自分の視点とは真逆ではあるが、あえて今回はそこのところから逆照射の意味も込めてトライしてみようと思う。正義と正統。どこの視点に立つかだけで、クライテリアは180度ひっくり返る。う〜ん、じっくり見極めてやろうではないか。アラブのひとつの問題としてでなく、一民族の歴史としてでもなく、カゲに隠され続けた企てを、そしてそれが誰に何をもたらしたのかを。

梅雨が明けたの明けないのと報道しているようだが、それで何かが始まるワケ?(毎年思う)

2004年7月12日 (月) S5000
盗難事件から一週間を経て、数多くのリサーチの結果、ようやくデジカメを購入。
Yahoo!オークションにて¥32,000ナリ。
底値ではないけど、妥当なところと判断。
届くのは水曜日。

2004年7月11日 (日) 選挙
参議院選挙 微妙な結果だと報道している。
勝った負けたかよりも、投票率の低い事こそ問題だ。

ちなみにオレは、選挙権を持ってからただの一度も選挙に行かなかった事はない。
コレは自分での自慢だ。

かつて数年前、投票が6時までで終了していた頃、
最終時刻に慌てて飛んで行って投票した事がある。
終了時刻になると、カランカランと鐘を鳴らすという事をその時はじめて知った。

今でもそうしているんだろうか?

2004年7月10日 (土) マハトマ
調べものをしていたら、「もし世界中の人が日本人と同じ生活をしたら、地球の資源は3ヶ月しかもたない」という言葉に出会った。驚愕のトピックではあるが、この場合3ヶ月というところにポイントがあるのではない。「3ヶ月しか」という言い方。つまり「3ヶ月」はダメでも「3000年」ならいいのか?という所。この視点、地球の資源はニンゲンだけの為のものか!と突っ込みたくなる。

ガンジーが大好きだったと言われるタゴールの詩の一節

 「汝が声を誰も聞かずば、一人歩め」

当たり前のことであるが、何時のまにやら当たり前でなくなっている。
人生かくありたいものである。

とはいえ、エアコンの効いた部屋の中で「地球温暖化」に危機感を感じるオレって根本的にダメじゃん。

2004年7月9日 (金) 消失点
とびきりのアイデアが降りてきた。
レイヤーをもう一層カマせる。
ここのキレが重要。
ニヒヒ。

衛さんから久しぶりにメールが来る。
DTPのことで、明日にでも国際電話かけてくるとの事。

4個目のHD(120GB)を組む。
システムインストールしながら、iBookの解体修理。

曽我ひとみさんとジェンキンスさんがインドネシアで再会の報道。
じっくり見ていて、考える事しきり。
曽我さん家族が日本で住む事に、日本のマスコミは盲目的に固執してやいまいか。

2004年7月8日 (木) ウォラトンパーク
正午、今日の万也賞の賞品「ARTFORUM」を取りにスタジオへ行く。スタジオの中の凄まじい暑さに閉口。近いうち本格的に再開だぜ。待ってろ。

クソ暑い中のクソ授業を済ませ、洲原公園でビール。メニューは「バスペールエール」と「銀河高原白ビール」それにチーカマ。夕方の公園散歩の人々に奇異な目で見られるも、構うことは何もない。驚く事に、昼間のクソ暑さに体が慣れたせいか、夕方の風が心地よくすら思えた。空気は十分膨張したままなのに。そしてまっ暗になる頃(暗くてよく見えなかったが)イスラム系だろうひとりの男性が少し離れた所に座して、静かにお祈りを始めた。一瞬、洲原公園がウォラトンパークになったようだった。いろいろな人がいろいろな所でいろいろな事をしていろいろに生きているのだ。当たり前の事だが、どこかで分かっていた気になってしまっている。

帰宅途中、洋平から連絡あり。速攻合流。ハルナも一緒で楽しかった。彼らの奇妙な共通点は、子供の頃からいろいろな外圧をはねのけてきた事だろう。はじめて出会った頃の透き通っていながらも深さのある印象は、今も変わっていなかった。

2004年7月7日 (水) BCG
晴史郎の予防接種で保健センターへ。
ブラジル人らしき若い夫婦も来ており、言葉の障害と文化的常識の壁でまごついていた。
イギリスにいた頃を思い出した。

その国での習慣的常識。今日の場合、予防接種に対する無抵抗的従順性は、じつは勉強不足の表れであり、慣習の中に埋没する事への懐疑心を放棄しているものだと気づかされた。

彼らは本当に大変なんだろう。

数日前、妻は、最近読んだ本の内容を引用して、終戦直後の満州からの引き上げの様子を語ってくれた。大変という言葉が白々しく思えるほど、いまの自分が一般の中に埋没している事への警句となった。

2004年7月6日 (火) ラ・ビリンス
今日こそは死ぬのではないかと思うほど暑かった。
午前中の仕事を終え午後の仕事への移動中、逃げ場がなく困った。
途中のマーケットも避暑にはならず。

外語大。前期最後の授業。
授業後に少し話した学生たちが、自分が何者か見えずに迷っているのだと言っていた。
そんな事をオレに言われても、オレもいまだ迷っているようなものだ。
迷いがある事は、実は自慢でもあるのだが、そんな事は誰にも言えない。

2004年7月5日 (月) そして
夕方、スーさん宅にお呼ばれ。
先日のA教育大学の一件の転末が聞きたかったようだが、それよりエキサイティングな事件勃発のため、、、、とはいえ、そっちの話は盛り上がる訳にもいかず、それなりに。

それにしても、暑い一日だった。8月はどうなる事やら。

いつの間に、気温32度が標準になってしまったのか。
子供の頃は、夏休み、縁側で、扇風機の風もなしに昼寝ができただよ。

2004年7月4日 (日) ア・レンジ
警察に電話して確認するも、拾得物の照合はされず。

明日、いくつかの事務的な処理をしなければならないのが憂鬱。
とはいえ、久石譲の「進研ゼミ」の曲を、キーボードを使って打ち込みする事に夢中になって一日過ぎてしまった。やはりアレンジングは面白い。自作の曲にアレンジング、本格的に作ってみる気になった。

2004年7月3日 (土) 災難
M大学には電車で向かった。今日は建築意匠の最終日。授業後ヤマちゃんとセラーのオープニングに向かう。途中八事、C−スクエアに寄る。驚く事に、ヤマちゃんはオランダの展覧会で一緒だったそうだ。セラーのパーティーのあと、吉本さんたちと飲みにいく。ずいぶん酔ってしまった。

 車に戻ると、ヤマちゃんの車の助手席の窓が破られ、ガラスが粉々に砕けているではないか!そして助手席に置いてあったオレのリュックが跡形もなくなっている。車上狙いにまんまとやられてしまった。まるでイギリスだろうよ。警察に喰ってかかるが彼らに何が出来るでもなし。投げ捨てられない怒りのやり場のなさが少しずつ冷めてくると同時に酔いが抜けてきて、現実に戻る。本当の「怒りと落胆」が交互にやってくるのは、翌日目が覚めてから、盗まれたことによる面倒の推測が鮮明になってからの事なのだ。これまで大事にしてきたものと、無くなっては困るものが、本当に自分の前から無くなってしまったのだ。

2004年7月2日 (金) 極まってくの
 太田くんとともに、午後から犬山のキワマリ荘に出向く。名前は前から知っていたが、はじめて出行った。名前の通り、かなり極まっていたぞ。でも懐かしいような、緩やかな空気に包まれた世界があった。

 キワマリ荘は、松本幹永展。変な作品というか頭を傾げたくなる展開だったが、かえってそういう事をいまでもやっている彼に、逆に清々しさを感じた。彼はいつまでたっても松本幹永のままだ。ずっと同じところから発信しているんだな。目先に囚われているようにも見える事があるが、作品の意義というか動機は、地に足がついているのだろうな。

 太田くんと幹永くんと、キワマリ荘の近所の中華料理屋で飲む。いい酒宴だった。

・・・と思っている。

2004年7月1日 (木) 7月になってしまった
今日から7月だ。
当たり前だけど、もう一年の半分過ぎてしまった訳だ。
恐ろしい速さ。ついていってないぜよ。

午前中、図書館&買物。午後、非常勤講師。

気がつくまでもなく、「中場利一」ブームは完全に終了しました。
いくつか読み漁ったけどこの1冊!と聞かれれば「ノー・サラリーマン、ノー・クライ」でしょうね。はじめて読んだ中場ということもあるけど、登場人物の構成や各人の視点など、実にいい味出てます。もちろん「岸和田愚連隊シリーズ」系もハマればハマるんでしょうけど、ちょっとワンパターンが過ぎますね。

ここ数ヶ月のブームを見てみると、
「山岸俊男」→「オグ・マンディーノ」→「中場利一」、、、、なんか全然脈絡ないなぁ、オレのブーム。
1冊だけ読んでみようという方へのお薦めは、下記の通り。
山岸俊男:『心でっかちな日本人:集団主義という幻想』日本経済新聞社
オグ・マンディーノ(坂本貢一 訳):『12番目の天使』求龍堂
中場利一:『ノー・サラリーマン、ノー・クライ』幻冬舎
(とーてもベタかもね いいもんいいもん)
読んだ事ない人、どぞ。