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ルーティーン



2004年6月




2004年6月30日 (水) 責任と管理についての一例
 今回の授業(A教育大学)は、学内の「場」をつかって作品を制作するというもの。「場」が与えてくれるインスピレーションによって作品を考えるという事と、空間に作品を設置するという特殊性を体験するという2項目から設定された課題である。

 昨年までもこの課題を出してきたのだが、場の管理者の承諾なしにゲリラ的に作品を設置してしまうという事と、プレゼンテーション後の撤去・撤収が徹底していない事から、少なからぬトラブルが起きてきた事実を受けて、今年は場の管理者の「許可証」を取得するように命じた。学生が自分の見つけた「場」を使った作品のアイデアに対し、その場の管理者をリサーチし、そこで交渉(プレゼンテーション)をし、承諾を得るというのも重要な制作の範疇である事を学生には伝えてある。具体的には、大学の事務側に承諾をもらうという事になる。

 事務方は(十分推測できる通り)当然ながら一般論から「許可は出せない」と学生を突っぱねる訳だ。一般論とは、万が一何か事故に派生した場合の責任所在を負担できかねるという視点である。一部の学生は安全対策に対しての処置および撤去撤収の徹底についても説明したという事であるが、事務方は原則論を唱えるのみだという。そして、事務方は学生の交渉に対して「内容」によって許可裁量を下すのではなく、使用許可に対して一律に受け入れないという姿勢を取っているのだ。そのうえ事務方は「授業で行うのであれば担当講師による許可申請がまずあるべきだ」と言っているらしい。オレとしては学生に許可申請を出す事で、それが学生にとって免罪符のように機能して「申請書があるんだから、許可されて当然」という安易な思考に流れる事を避けたかった。そのため事務方にはあえて申請せず、全ての交渉作業を学生に体験させる方法を取った。講師が材料を用意してやって、歩むべき道に絨毯を敷いて先導するような教育には、将来性を鑑みて意味がないと思っているからである。

 不運にも許可を得られなかった学生は、当然ながら困惑する事になる。ある学生はオレに対して、事務方への許可申請をして欲しいと言うし、ある学生は、どうしたらいいのでしょうか?と電話してくる始末だ。しかしだ、この現実社会では、一度ダメだと言われてスゴスゴ引き下がってくる営業マンに対し「こうしたらいいんだよ」と懇切丁寧に教えて道を作ってやるほど呑気ではないし、そんなヘタレ社員を雇い続ける余裕などない訳だ。自分で考え突破するのが、大人のルールというものだ。何とか他にいい方法はないかと作戦を練り行動してきたのが、人間の進化の軌跡なのだ。そしてアートという視点で考えた場合、不運にも許可が出なかったのであれば、逆に「許可が出ないという構造」自体を作品にしてしまうくらいの俯瞰した視点とタフさも実際に学生には必要だと思う。

 しかしこういう状況の中でも、一部の学生はしっかりと許可証を取得し、自分のアイデアを達成しようとしている。ここに至っての差異は、自作に対するモチベーションの差だとみる事が出来るのではないだろうか?愛知教育大学。教員になりたい者が学ぶ場である。ひとつの道を見失ったくらいで簡単に泣きついて答えを求めようとする姿勢に羞恥心すら持たない学生には、絶対に教員になってもらいたくないものである。

 明日が、そのプレゼンテーションの日である。どうなるかが非常に楽しみだ。

2004年6月29日 (火) ネガティブ→ポジティブ
午前、高校の授業は期末試験で休み。

午後、外語大。

ここのところ、オークションでことごとく失敗している。例えば、先日届いたHD。HITACHIの160GBなんだが、接続が悪いのかHDが悪いのか、認識されると何故か127GBの表示だぜお。今回のHDは、バックアップ用に考えていたので、間違いなく動作してくれんと困るので、確実性のあるものに買い替える事にした。しかしだ、「買い→売り」はき間違いなく差額で損するだろうから、つまらんことで無駄金積んでしまったわなぁ。

それと今日届いたキーボード。MIDI入力キーボードがメイン目的ではあるが、楽器演奏として遊べるおもちゃにするためには、他にUSB/MIDIの変換インターフェースが必要だし、、、。いろいろ考えて落としたつもりだったが、いま現実的に見てみると、MIDIインターフェース付きの電子キーボード(デモ曲や100音色など付属品いっぱいのおもちゃ)でもじゅうぶん事足りたのではなかろうかという結論。で、結局一度もコンピュータに接続しないまま売りに出す事にした。こちらの差額ゾンは、HDよりもはるかに大きくなる事だろう。  いったい何やってんだかね。

と、そんな事はどうでも良くて、ちょっと頭を抱える厄介な問題が発生。
明日、対決してこなければいけない!いや、対決と言ってしまってはいけない。
自由とは?のテーマにかかわる問題だ。
オレの生き方そのものに関わる問題なのだ。ひっひっひ。
今かなり頭に血がのぼっておるので、一晩寝てクールダウンじゃ。

そして、深夜。
ウインブルドンで今大会すごく頑張っていた杉山さんが準々決勝で負けてしまった。
シャラポワという17歳の美少女(といっても183cmもあるロシアのデカ娘)は、ビジュアル的に美味しいから(杉山さんゴメン)、たとえミスしてもアップをバンバン出すんだよね、BBC。
で、も、ね、試合終わってコートを去るとき、杉山さんがペロリと出した舌に、清々しさと悔しさがいっぱいいっぱい溢れていました。

2004年6月28日 (月) ヒナ
高校は明日から期末考査。
朝食食べなかった分の空腹と、気の遠くなるような暑さで、ときどき仮死状態になりながら授業と1学期分の作品採点をこなす。しかし時間がかかり過ぎ、いつもなら昼過ぎに帰るところを、帰宅が午後3時頃に。むさぼるように昼食を胃に運んでいる時に、今日スーさん宅に行く事をリマインドさせられる。

ヒナちゃんの1歳の誕生日にオヨバレ。

珍しくエアコンにかかったスーさん宅で、
電子ピアノを触らせてもらう。鍵盤楽器はやはり楽しい。
小学校の先生よろしく、Happy Birthday to You 弾く。

毎度うれしい「緑のギネス」を頂く。
まるちゃんは「もうちょっと冷えてれば」と言ったが、
われら的には「ちっと冷えずぎ気味」であり。
飲み返しの香りが薄れるのである。
とはいえ「常温がいい」などとくだらぬイギリスかぶれな発言は致しませぬ。

2004年6月27日 (日) ドバシ
午前中は、深夜のウインブルドンの後遺症でだらだら過ごす。(言い訳)
本当にだらだら過ごす。ごろ寝して本を読み、時々キッチンでたばこ吸い、パソコンいじって、またごろんとして本を読む。

午後、ヤマちゃんがきて、昼ビール。
オレ的には、昼ビールより昼ワインの方が好きなんだけどね。

ヤマちゃんに、タマネギプランがいかに詰まらんか説得される。
と同時に、自作の視点がいかに素晴らしいかを聞く。
しかしその裏のイニングでは、俺が同じ攻撃を仕掛けるのだが。

ヤマちゃんはNHKの新撰組を見終えて帰っていった。
芹沢鴨、なんだかシンパシーで胸揺れるそうな、、、。
でもドラマで、ちょうど死んだんだけどね。詰まらない殺され方で死んだんだけどね。

腰は数日前の再発後、状態に変化なし。
痛みが消えそうもない。

2004年6月26日 (土) EURO 2004
いやぁ、まさかのギリシャがフランスに勝っちゃったよ!
先攻しても守り固めに入らず最後まで攻め続けてたのには、感服致しました。

今年はギリシャが熱い!

ギリシャはいつでも熱い?(だな、ヤマちゃん)

2004年6月25日 (金) 餃子
 新しいビデオのアイデアを練り直さないといけない。今手元にあるアイデアは自分では気に入っているのだが、加藤万也の作品とするためにはもうひとつ何かをかまさないと成立しないのだ。さて、もう一度最初のポイントの戻って考え直す事にしよう。他人の作品ではあれほど明解に輪郭とフォーカスが見えるのに、不思議な事に自作となるとほとんど客観的になれない。実にもどかしい。一瞬である何かを越えていけないときは、経験上だいたい駄作なんだよな。

 久しぶりに餃子を作った。1kgの豚挽肉、フードプロセッサで刻んだキャベツ1玉、もどした椎茸2ヶ、大葉、ニンニク、生姜、ネギ、刻んだ筍、塩、胡椒、胡麻油。ステンレスのボールからあふれんばかりの量を、素手でゴッシゴッシとじっくり練り込み、かなりいいタネになった。とりあえず餃子を100個作る。ひとつひとつ閉じていく単純作業だが、形がそろって並んでいくのは楽しいものだ。タネが余ったので、ピーマンの肉詰めに流用。冷蔵庫にあるだけのピーマン全てを半分に切り、片栗粉を振ってから肉詰めにする。それでもまだタネは余り、残りはつくねにして冷凍。とりあえず今夜のおかずには二人で餃子20個ほど食した。残りは冷凍にしていつでも食べられるようになっている。今日のようなシトシト雨の日の夕刻には、餃子作りが本当に良く合う、と思う。

2004年6月24日 (木) 脅威の授業
某国立系A教育大学での授業は、かれこれ10年ほど前から「プレゼンテーション」の形態を取っている。毎週出されるテーマに沿って作品を制作してきて、授業時間にコースメイトの前で発表するというもの。ここ数年は毎年45名ほどの学生が受講するため、ひとり5分のプレゼンタイムに質疑応答を5分ほど加えればしめて10分。つまり休憩なしでも450分かかってしまうのは明白な訳だ。450分、約6時間。それではさすがに学生が若いと言えども最後の方は集中力が切れてグッタリしてくる。見ていて気の毒な状況になる。今回はなんと終了時刻が午後11時だった。3時45分からの授業なので、約7時間だ。常軌を逸している。これは毎年悩むところであるが、、、。
 教師をめざす学生にとって、人前で自分の意見を言うトレーニングは必須だと思っている。今のA教大の多くの学生は「自分の意見を堂々と言う」という面で問題が多々ある。全員とは言わないが「とてもじゃないけど大学生のレベルじゃない」と思ってしまう。一般的に日本人は、人前で自分の意見を言う機会を経験的にあまり持っていないので、自分の意見の肯定を聴者に求めて、奇妙な謙遜が入ったり、笑ってごまかしたりする。しかしそれは甘えの構造であり、逃避の仕組みだ。大人としての意見交換をする場がないのは良くないと思い、プレゼン&質疑応答の方法をとってきた。
 理念はともかく、深夜11時までもかかる授業というのは、指導者(俺)のタイムマネージメントが悪すぎる訳だ。学生にガンガン負荷をかけて、大いに悩み大いに苦しむ事をあえて強いているのは、徹底的な負荷なしに「脳革命/パラダイムシフト」は起き得ないと考えるからである。日本の学生も、週に1度くらいは欧米並みの負荷値の高い授業があってもいいのでは?しかし、終了時刻が深夜11時というのは、どう考えても常軌を逸しているのは確かだ。授業方針に関して、いくつかの実験的措置を具体的に検討しなければいけない時期に来ているのかもしれない。
 それにしても、学生に良かれと思い(あえて悪役を買って出て)、一生懸命授業しているつもりなのに学生にどんどん嫌われていくのは、やっぱチョット悲しいなぁ(泣)。

2004年6月23日 (水) 一年前は
正午過ぎ、3週間に一度のワークショップのたM大学へ。途中、平針の交差点で「中條くん」の車が目の前を横切る。そうか、水曜日なのでM芸大の帰りなのだろう。去年までは俺もこの時間M芸大に向かっていたなぁと考えると、ずいぶん昔のように思えてきた。
授業後、中條くんに電話するも忙しそうで会う事は出来ず。
夜、晴史郎の寝起きに風呂入れたら、凄まじく愚図り狂ったように大泣きされた。久しぶりに晴史郎の大泣きを見た気がする。そうなると真実でなくては晴史郎の愚図り虫はおさまらない。風呂を出てしばらくするといつもの晴史郎に戻っていて安心した。大人の都合で晴史郎の時間を決めずに、様子を見て考えるようにしないとな、と思う。

2004年6月22日 (火) イトーヨーカドーの店員
火曜日は、午前+午後と仕事の日だ。
午後の外語大で、一昨年の教え子が「就職決まったよ」と報告に来た。おめでとう。やりたい事に着実に向かっているね。自信の持てる自分を作っていくのだよ。
仕事帰りに実家に寄り、父の日のプレゼントを受け取り(サイズが合わなかったので交換するため)、購入したイトーヨーカドーへ向かう。サービスカウンターで交換の旨を話すと、非常に応対が悪くむかつく。もちろん返品・交換はサービス業務で義務ではない。とはいうものの、あまりに不親切な対応に不愉快だった。全国展開とはいえ、所詮スーパーマーケットであり、パートタイムに毛の生えたようなオバハンという事だ。間違いない。

2004年6月21日 (月) 台風襲来
台風が迫りつつあるというニュースを聞きながら、朝、眠い目をこすり出勤。
雲は勢いよく流れているが、雨は降り出していなかった。2時間目の途中から急に雨風が暴れだし、生徒たちは「暴風雨警報出る?」と何度も携帯でチェックしている。「こりゃ出てもおかしくないなぁ」と話していると、校内放送が入り帰宅命令が下る。俺と同じ非常勤の音楽の先生を駅まで送り、傘もさせない暴風の中、びしょ濡れの教え子たちを尻目に帰宅する。
昨日の深夜F1で寝不足だったが、おかげでしっかりと昼寝をすることができた。
夕方から、宇納先生と立松さんと会食。宇納さんが立松さんに用事があって、なぜかそこに俺がいたという状態だった。それにしても、立松の情報収集力は大したものだ。経験こそ最大の武器だと感じる。2件目で宇納さんが突如「マンちゃんは、今何がやりたいんだ?」と聞く。特にこれがやりたいという返事が出来なかった自分に対し、帰路、奇妙な不安と焦燥感が押し寄せてきた。待っているだけなのか?どこに行こうとしているのか?
一日大騒ぎだった台風も、夜には日本海側まで抜けていた。

2004年6月20日 (日) 三鷹
6月19日(土)
正午に家を出て、電車と地下鉄を乗り継いで名城大学へ。塩釜口駅を降りると、偶然にも担当している学生が。授業はいつも通りで、学生は黙々と制作に励んでいる。全員にいくつかのアドバイスをしながら、午後3時に(一部の学生の罵倒を浴びながら)予定通り早退する。そしてそのまま、名古屋駅に向かう。
名古屋駅で妻と息子に合流。午後4時すぎの新幹線で東京へ向かう。車内では最初緊張していた息子も次第に慣れて来て、ゴソゴソ騒ぐようになったためちょっとだけ手を焼く。
午後6時過ぎに東京駅到着後、妻は「銀の鈴」近くの授乳室へ。俺はその間、ワインの試飲をし、ギネス(黒缶ではなく緑缶)を購入し、駅構内を散策し時間をつぶす。授乳を早々に終えた妻とともに、中央線で三鷹に向かう。
三鷹にある妻の妹宅に到着したのは、7時半を少し回ったあたり。妻の妹の真樹ちゃんはとても晴史郎をあやすのがうまい。そんな光景を見ながら、その晩思いがけず飲み過ぎてしまった事に気づくのは、翌日の軽い二日酔いによってだった。

6月20日(日)
午前11時半の法事(義祖父の7回忌)に合わせて、妹宅を3人+晴史郎で出発。会場である法専寺には時間ちょうどに到着。先月の仙台旅行の面々、親族一同の集合である。横浜の従兄弟たちのノリで、徐々に勢いが加速していく中、しめやかに法要は執り行なわれた。その後、近くのオークラ系中華で会食会。ここで横浜は淡々とギアチェンジし、瞬時にトップギア。ビール瓶がゴロゴロしだした頃、秀樹おじさん宅へ移動。もうそこでは完全に爆発状態で、どれだけエアコンかけても全く効かないくらいの熱気だった。ま、なんと豪快な一族だろうか。そういえば、カノちゃんが来春結婚するそうだ。ご主人はとても愉快な人らしいので、楽しみなところである。
妹宅に4時頃戻り、着替えして荷造りをすませ、石野くんに三鷹駅まで送ってもらって帰路に着く。帰りの新幹線では晴史郎はずいぶんリラックスしてくれたおかげでかなり手を焼いたが、名古屋まで2時間弱ののぞみでなら負担は比較的少ない。
とは言え、アパートについた頃には二人ともすっかり疲れが出てきて、ひとり元気な晴史郎をなだめるのに精一杯。興奮冷めやらぬ状態だ。俺は晴史郎にシャワーを浴びせ、いったん眠る。深夜2時に目を覚まし、テレビでF1観戦。佐藤琢磨がついに3位表彰台の瞬間を見る事が出来た。豪快なレースだっただけに非常に興奮してしまい、再び眠りにつけたのは、午前4時半頃。外は次第に風が強くなり、大型台風が迫りつつある。

2004年6月18日 (金) 大学生のレポート = 盗作 + メッキ仕上げ < こどもの作文
ほぼ一日、学生のレポート採点に時間を費やす事になってしまった。
全てのレポートのソースを、ネットで確認しながらの作業だったからだ。

インターネットの日常化により、レポートが引用と盗用の嵐になってしまっている。
引用や盗用だけで書いてあるレポートは、論旨の非一貫性が生じ、一目瞭然である。
ひどい者は「です」を「である」に替えるだけで、99%はそのままの文章をツギハギして載せている。
かくいう自分も似たようなもので当時卒業している訳だから、そう言えた立場ではないが、
体裁だけレポートのような表面を作り上げる事には、ホント何の意味もないのにね、、、。
かつて熱心に調べたレポート(高層建築工法)は、今でもちゃんと記憶の中に残っておるぞ。

ジレンマ以前の状態だ。

2004年6月17日 (木) 無題
午前中、納税証明書を取りに市役所へ。その後イトーヨーカドーで買い物。車の中のラジオの人生相談で、娘の彼氏が気に入らない親の話をやっていた。自分勝手な親の理屈に、聞いていて涙が出るほどむかついた。妻はそれを見て笑い飛ばした。
午後、教育大学の授業。今日はプレゼンテーションなしで一気に評定したので、約1時間半くらいで終える事が出来た。その後、曽根と村上のビデオを1時間半ほど見せて午後7時半くらいに終了。
仕事を終えた山本が大学にやって来て、軽く(ウソ)飲む。彼は翌日仕事なので、早々に帰宅。その後は捕獲された学生を相手にクダを巻く。

2004年6月16日 (水) 腰痛は続くよどこまでも?
朝、はやりまだ腰は疼いている。いったいいつまで続くんだ?かれこれ2週間とは、過去の中で最長記録だろう。

午前中、銀行と郵便局へ。そのまま図書館に向かい、またまた中場利一をどさっと借りてきた。これはネットで予約してあったものだ。今日は借りる本が決まっていたので図書館での長居はなかった。帰り際にBTをちらりと見る。しばらく見ないうちに知らない名前ばかりが並んでいるようになっていた。帰路、アイスクリームとケーキを買い、近所のスーパーで野菜を購入。

帰って昼食(トマトソースとチーズのパスタ)。食後、腰痛回復のため寝転がって中場を読む。いつの間にか中場の文体に慣れてしまったのか、かつてほどドップリはまる感覚がなくなっている。面白いものとそうでないものの差がはっきりしている作家なのかも知れない。

夜、山本から電話があり、明日の授業後に会う約束をする。彼は来週からアテネで展覧会だ。会場は、エレナのホームグラウンド。何か火が着くといいけどね。彼に「日本を離れてギリシャに行け」と進言したら、ちょっと驚かれた。アーティストとしての成功と人としての幸せ云々は、誰にも分かるものではないのだから。

2004年6月15日 (火) マネー・ロンダリング
今日も午前中は高校の授業。今どきの高校生の先入観を壊してくれる生徒と話す。見た目では分からないものだね。みんなハッピーになれよ。

午後の外語大は休講。先週頑張って2週分こなしたからね。
そいえば昨日、外語大の事務から電話があり「マンサク先生いらっしゃいますか?」と。「万也ですが」と訂正したら、強烈に恐縮していた。しかしどこで万作になったのだろう。笑い話か?イタズラか?電話の双方で笑い合ってしまった。

夜NHKで、元暴力団幹部と元バンカーによる巨額マネー・ロンダリング事件の検証番組を放送していた。食いついて見てみるのだが、今ひとつスッキリしない部分がある。番組終了後、ネットでいろいろその辺りの事を調べてみる。調べ続けるうちに、トピックが少しずつズレていき、それによって何が不明瞭だったかが見えてきた。悪のはびこる社会構造自体に納得できないのではない。ヘッジファンドを始めとするマネーゲームの構造を番組内に見ようとした前提が間違っていたのだ。これは妻の指摘でもある。彼女はそういう事にもなぜか詳しい。

HPを少しだけ更新。今までスティールだけだったビデオ作品のページに動画を追加した。あくまでサンプルとしての約10秒ほどの抜粋版だ。もう少し長めにできるだけのスペースの余裕があればいいのだけど、、、。

晴史郎の新しい動画も、早いうちに編集してアップさせねば。待ってくれている人がいるのだから。

腰は小康状態が続いている。

2004年6月14日 (月)  
午前中は高校の仕事。今日は暑いなりにも湿度が低く、比較的過ごしやすかった。退屈な仕事は午後1時頃まで。

夕べのF1によって睡眠不足になり、帰宅後強烈な睡魔に教われる。かなり抵抗したが、もっていかれてしまった。それにしても、カナダGPの佐藤琢磨はいいとこなしだった。車をぶっ壊さないのもドライバーのテクニックなのでは???次回インディアナポリスこそ期待したい。

夕方から、先週借りたDVD、山ちゃんお薦めである「トゥルーマン・ショー」を観る。なかなか面白かったけど、ラストに「向こう(こちら)に行って(来て)しまう」のはどうなんだ?もうひとつ外側にまたスタジオがあって、際限なく、、、そしてこの現実とそのままダイレクトにリンクしたらいいのにと思ったのは俺だけではなかろう。あれでは単に楽しいフィクションで、舞台がメタフォジカルなマトリックスしていない訳だ。

腰は相変わらず愚図り続けている。
そして、相変わらず食欲はあまりない。

2004年6月13日 (日) マツモト ミキエイ
朝から事務処理(レポートの採点)を済ませ、ゴロゴロしながら腰痛の様子をみる。そんなに愚図っていなさそうだ。

午後から、父の日のプレゼントを買いに出かける。妻と意見一致でいいものを選ぶ事が出来た。

夕方、友人の松本幹永のスタジオ展に出かける。いつものみんながいる。BBQだ。
少々の酒で、いい気分になる。腰をみな気遣ってくれるが、まだ完調とは言えないのが悲しい。

作品は、彼の誠実な人柄と、醜い野心のない実に素直な表現だった。
その作品を前にして、洗心の作品解説及びいつものくだらない話で盛り上がりつつある頃、子供の時間も考え、渋々帰る事にした。後ろ髪が目一杯引かれた。(引いていたのは自分だけど)

今から妻と、後半戦の一杯で鎮火させようと思う。

2004年6月12日 (土) からだ
苦しめられた腰痛閻魔も、ようやく俺の腰に飽きてきたようで、ちょっとずつ引っ越しを始めたようだ。

ここのところ、食事をするとすぐに腹一杯になってしまうし、そもそも腹がへらない。今日も朝飯も昼飯も抜いて、いまもうすぐ午後3時なのだけど、べつにぃーってとこだし。

ここ1年くらいで急に太った事の反動か?本能的ダイエットか?

それとも、どっか悪いのかしらん?

まだまだくたばれんので、負のイメージを持つのよそう。
父親として子供に、自転車乗れるようにしたらなあかんし、けんか相手の子の家に謝りに行かなあかんし、ヤツが連れてくる彼女を見ないかんし、なにより一緒にうまい酒飲まなかんし。
まだまだ20年はヘタレとれんのです。むんぐっ!

2004年6月11日(金) っひさしぶりに
長らく書いていなかったが、久しぶりに書いてみる。
ここの所読んでいた本。
ちょっと前まで、オグ・マンディーノのブームがあった。
そして、今は中場利一が嵐のようにブームになっている。

今週ちょうど一週間、腰痛に苦しめられているので(今もじゃ)
ずっと中場の本ばかり読んでいた。
ピカレスクは笑えすぎて、腰痛治療用ではないけどね。

それにしてもだ、
ダイの大人が40すぎて、ひねもす本を読んでいられる幸せ。
これ本当に幸せなのか、、、恐怖心すら沸き起こる。