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ルーティーン



2003年10月〜2004年5月




2004年5月

2004年5月27日 (木) いよいよ始動?
予定をほぼ終了させ、これからどこへ行こう?というところに、
予期せず、妻がアクションの提案を。
また、新しい旅が始まる予感だ。

晴史郎がポリオ(小児麻痺)の予防接種を受ける。
最近では、注射ではないのだね。
細菌感染など、昔では気にしないような事まで見えるようになってきた事による弊害、警告、演繹、過剰反応、、、。
あらゆるものを同時に見る事はできないのだけど、
あらゆるものを解析して見えるようにする行為とは、
実は、我々の住む世界をどんどん狭くしている事?
悲劇のニュースが飛び交い、
哀れなニュースを噂する。
自分の身だけは、、、と防御姿勢、
腰がどんどん曲がっていないか?

新しい旅に出る時期が迫っている。



2004年4月

2004年4月5日 (月) 遠征
先週から今週(正確には先々週から先週)
たくさん車で走った。
東京、そして金沢。
どこも気候がよく、すばらしい時間を「多くの人」と共有できた。
人の中で、人と共に、、、
ついつい忘れてしまう大事なことがらを、思い出させてくれる旅になった。

季節は、桜が満開になる時期になった。
散り始めの桜を見に、また出かけよう。
数年前にかの渓谷で見た「狂わんばかりに散り乱れる」光景は超えられないのだろうか。



2004年3月

2004年3月29日 (月) いろいろなアーティストが、
いろいろなアーティストが、いろいろな手法で、いろいろな表現をしているという展覧会を都会で見て思った事がある。いまの時代のアートは「楽しい」と言うのが結構重要なファクターになっているのではないかという事。底抜けに楽しいものもあれば、ちいさくクスッと笑わせるものもあるなか、超まじめでやたらシリアスな作品は、思考や知識の深さはあるのかもしれないけど、艶がなく見えてしまうのは僕だけだろうか?バカ丸出しとまでは言わないけれど、深い思考の果てにある幻想のようなものより、快楽の中にいる事自体のほうが、この時代特有の、この時代の反作用として、時代自体を映し出しリアリティーがあるように思える。

2004年3月26日 (金) 勇気を持ってはじめよう
パラダイムシフトのための方法を見つけたり!

で、何から始めるかではなく、いつから始めるかだ。

いろいろな事が、急につながってきた。

いままで気づいていなかった事や
自分でも分からずに進めてきた事が
ほとんどここにたどり着くための身支度だったわけだ。

そう、いまから始めよう。
勇気が手の中にあるうちに、
みんながチャイムで起きる前に。

俺は勝手に行かせてもらうけんね。

2004年3月25日 (木) Adobe GoLive 6.0
先日、義母のHPをGoLiveを使ってリフォームした。
やはり簡単だ、ソフト使って作るのは。
でもHTMLの知識があるのとないのでは、たとえソフト使って作っても確認の段で違いが出ると思う。
何事も経験ですな。

どっかで見た事あるレイアウト、気づいたか?
http://www.geocities.jp/mariko_a_z/
作品の感想など、画家に送ってあげて下さい。

2004年3月17日 (水) すでに慣らされてしまっている
アメリカのイラク侵攻から1年。
ブッシュの演説も、ブッシュ批判も、
パターン化した報道で、リアリティーが希薄。
こうしてジワジワと、なにかに浸食されているのか。
真剣なふりをした大人が、実は危険なのかも。

できるなら、子供たちといっしょに歌をうたおう。
真剣に、歌をうたおう。




2003年

2003年11月9日(日) 膝を打ってからというもの
朝、どういうことか膝を柱に強烈にぶつけてからというもの、というか、それも含めて、奇妙なことが起こり続けた。
新安城の駅では小銭を落とし、人の足の間に手を伸ばして拾わなくてはいけなくなるし。
楽しみにしていたボートメッセ名古屋での「2003名古屋プラスティック工業展」は、(企業向けのプレゼンで)素人には全く理解不能な工作機械の展示場でがっかりだし。
築地口の「豫園」では、おばちゃんに会えないし。
しかしと言っては何だが、アートポートにひょっこり顔出したら、林繭子さんがいて「アレ久しぶり」。そしてアーパラの上本さんにも会え、大好きなトーキングヘッズのリメイン・イン・ライトを聞くことに。でも何故かチケット渡された。売れないって言うのに、、、。

帰ってから、総選挙に。

2003年11月8日 (土) 祖母の葬儀
今日は、3日前に97才で亡くなった祖母の葬儀だった。
久しぶりの親戚に会えて、少しだけど話ができ、懐かしくもあり、自分が年をとった事も感じる。

レントゲンの池内氏から電話があったが、葬儀の最中で出る事が出来ず。
その後、夜自宅の電話にかかって来て連絡が取れた。
ニューヨークに出品する作品の価格についてだった。その場で思い出せず$200ということにしたが、実は勘違いであった。$300だった。
こういうトラブルの時はたいてい売れないものだが、、、。

2003年10月31日 (金) ともちゃんありがと
一昨日は、誘ってくれてありがと。
とっても楽しい酒でした。
ともちゃんの人柄で、いろいろな人が集まったね。
東京に行っても、ずっと元気で、愉快なともちゃんでいてください。

それにしても、タバコ吸いすぎで、翌日辛かった。

2003年10月28日 (火) 風邪ひいた
熱っぽくて、、、、
咽痛いよぉ。
久しぶりだな、こういう体調不良。
しばらく風邪どころじゃなかったもんね。
気が抜けてる証拠かな。
あとちょっとで今年も終ってしまうと言うのに、
今年何やッたっけ?だもんな。
やばい、、、気がする。

2003年10月27日 (月) 州原公園
愛教大の講議修了後、山本と待ち合わせて、UZO2回戦野外バージョンやる。
昨日の夜どうやら風邪ひろったみたいで、昼過ぎに電話で断ろうとも思ったんだけど、、、。
公園で寝っころがって、昼下がりの酔っぱらい。
こういう事ができる日本も捨てたもんじゃない。
こういうオヤジがいっぱいになったら、住みやすくなるとマジで思う?
時々だからいいんじゃないの?

とにかく風邪が悪化したようですぞい。

2003年10月20日 (月) ミュージアム
東京で大騒ぎの中、新しい美術館がオープンした。
美術の動向があやふやな昨今だからこそ、その美術館の指針が注目されるところなのだろうが、どのような巨大な力でさえスタンダードになりえない芸術の世界では、マーケットリサーチのように単純ではないだろう。
かくいう言葉さえも、実は外の世界でがんすね。

バカは死ななきゃ治らない?

2003年10月18日 (土) 久々に、、、
久々にギャラリー廻りをし、幾人かの友人と出会う。
お祝いの言葉を下さった方々、ありがとうございました。
そう、多くの人に「おめでとう」を頂いた。

出産に関しておめでとうと言われるに相応しいのは
現に痛みをこらえて出産してくれた「妻」である。

彼女は刻々、真剣に人間の「生」と格闘している。

2003年10月15日 (水) 快晴
秋本番の快晴。
空気も澄んで、光りは尖りつつあり。

晴れ男の晴史郎。
今日は君の日だ。

2003年10月11日 (土) 退院
晴史郎の退院&帰宅。
これから少しずつ、新生活が始まる。
ゆるやかにすすめてゆこうと思う。

2003年10月7日 (火) 生まれた
30数時間以上に及ぶ長い陣痛との闘いの果てに、
青白い皮に包まれた赤ん坊との出会いがあった。
午前5時17分、3376g、51.6cm、男子。
「晴史郎」と名付ける。

2003年10月4日 (土) 誘発剤
昨日・今日と陣痛誘発剤を点滴で投与されるも気配なし。
友人・知人・親族からの「どお?」のメール・電話多数。
人それぞれ、いろいろなパターンがある訳で、、、。

2003年10月2日 (木) いまだうまれず…
予定日5日過ぎて、気配なし。
明日、陣痛促進剤投与予定。
入院は午前9時。

2003年10月1日 (水) 開店
秋が来た。風は爽やか。陽はすぐ沈む。