ROUTINE(ルーティーン)      back  

ルーティーン



2004年12月




2004年12月31日 (金) ユキ
午前9時過ぎに流山を出発して、帰路についた。高速道路をひた走るだけだが、大晦日という事もあり、すぐに大渋滞に捕まってしまう。まずが首都高速。渋谷の手前から用賀の料金所までずっと数珠つなぎだ。事故でもなんでもなく、交通集中による渋滞。やっとの思いで料金所を抜けるとスイスイ走り出した。胸を撫で下ろしている間もなく、すぐに次の渋滞が始まった。何度も完全に車が停止してしまう渋滞の中、雪がちらほら降りだした。天気予報では午後から雪だという事だったが、予想よりも早く降り始めた。どんどん雪が本格的になり、みるみる道が真っ白になっていく。スタッドレスタイヤどころかタイヤチェーンも持ち合わせない車だったので、とても心もとなくなってくる。走行速度は20kmで渋滞は進む。一瞬の油断が事故を招く状態だ。御殿場を越えたあたりで、非常事態というにふさわしい降り方になって来た。
そして裾野インターにさしかかる時、最も恐れていた「この先通行止め、ここで出よ」と、電光掲示板が示していた。裾野などで高速の外に出されても、その先どうしたらいいのか、大雪の中で路頭に迷わされる事は明白だ。最悪、車の中での年越しにもなりかねん。それだけは何としても阻止したい。そのためほとんどの車がそうであるように、オレも電光掲示板の退出命令を無視し、そのまま走行してインターを通過した。交通情報によると「沼津から先は大丈夫」のようだ。なんとか沼津までたどり着けられれば、勝ったも同然。雪の降りが少しでも和らぐ事を願って必死の走行は続く。しかし沼津を越えるとウソの様に雪がなくなっていた。除雪作業が進んだ事もあるのだろう。そこから先は一度の渋滞にハマる事もなく、順調に帰宅できた。あともし5分裾野到着が遅れたら、間違いなくインターで出されていた事だろう。本当にラッキーだった。
いずれにせよ、2004年最後の日は、アンフォーゲッタブルな日になった。

2004年12月30日 (木) モチ
朝6時に目が覚めると、昨夜の雪はおさまっていた。外気は凍てつく様に冷たいものの、餅つき準備で動き始めるとすぐに体は温まってきた。
午前9時頃より本格的に餅つきが始まった。去年より(オレ的には)はるかに何度も自発的にツキ手をつとめた。普段使っていない筋肉を酷使したため、握力がどんどんなくなっていくのが分かる。つきたての餅を食べようとした時、たかが箸が上手く使えなくなっていた事に気づかされた。
陽気な雰囲気で盛り上がっている事に圧倒され、ついつい動き回ったが、片付けが終わった午後3時にはすっかり全身のエネルギーが消失していた。それに比べて、お義父さんはタフである。何度も何度も餅をついていたのに、最後までその元気は消える事がない。驚愕の気力だ。
楽しい時間は過ぎるのも早い。とびきり美味い餅がつけたはずだ。

2004年12月29日 (水) カニ
予定通り午前9時に部屋を出発。高速道路を徹底的に低燃費走行して、午後4時すぎに千葉県流山市に到着。今回の延べ380kmの走行の平均速度はおおむね時速80kmで、その我慢によって平均燃費は23.0kmに至ったのだ。
お義父さん宅での宴会は、蟹シャブでもてなして頂いた。うまかったー。とろーんとした甘さが口にプワッと広がるのねん。うん、超感激。晴史郎の従兄弟にあたる0才の赤ん坊はいい子でおとなしくしており、妻の妹夫婦ともじっくり話ができた。ビール、ワイン、泡盛 etc と飲み続け、床に着いたのは言うまでもなく深夜になる訳で、、、。

2004年12月28日 (火) 大掃除完了
いよいよ大掃除最終日。キッチンとトイレ掃除の日だ。
妻とジョーク合戦しながらの楽しい時間でもある。BGMはなぜか妻のリクエストでジャズ。大掃除にジャズって、以外と合うのですよ。年末って事がいいのかな。

昼過ぎ、洗剤などの買物ついでに吉野家に寄り、カウンターに並んでささっと食べる。妻の頼んだカレー丼は失敗だったね。とろみを片栗粉でつけてあるみたく、悲しいほどコクがないじゃん。

流し台の回りが終わり、冷蔵庫の中を掃除し、食器棚もすべてピカピカに磨いた。床を雑巾がけした後、トイレ掃除に突入。ここに入居してからというもの、ここまでやるかというほど徹底的に(最後は便器を直接手で)磨きに磨いた。どーだ、ピッカピカだろ!ここまでやるとさすがに気分いい。スッキリ。向井さんが昨日言っていた「年末の掃除は厄落としになる」って話。そんな気がして来た。特にトイレの掃除は厄落ちまくりだろ。

すべての掃除が終わった祝杯を、妻が楽しみにとっておいたベルギービール(お義父さんからの贈り物)であげた。汗かいて掃除したため喉がすごく渇いていたので、いわゆるグビグビっと飲みたかったが、トラピスト系のビールってすごく強い(アルコール度10%前後)のですよ。ニブリングしながらまったり飲む感じに合うのだろうな。日本のビールでは考えられないくらいコクがあって美味かった。2本ですでにほろ酔い。

さあ、これで新年を迎える準備はほぼ整った。

明日からは、お義父さんの住む流山(千葉県)へ3日間の遠征だ。帰宅は31日の夕方。

2004年12月27日 (月) 忘年会
今日もまる一日掃除をした。晴史郎を保育園に預けて、すみからすみまで掃除した。
とても疲れた。おせち料理の買物も少しだけどした。

夕方、織部亭での忘年会に参加。6時開始と案内されていたが、家を出たのが6時過ぎの上、途中23号や名古屋高速での事故渋滞にハマり、到着したのは8時近くなっていた。すっかり遅くなって、、、と思いきや「皆さん集まった事ですし、そろそろ始めましょうか」と乾杯の音頭が。なーんだちっとも慌てる事なかったじゃん。

幹永くんが司会進行のような事をやっていた。最近はすすんでそういう事するんだね。前と変わらず元気そうだった。今村君は、いつも優しく話しかけてくれる。とりとめのない話をする事が多いが、必ずこちらにやって来て話しかけてくれるんだ。煙草やめてずいぶん太ったんじゃない?染谷さんだったんだね、先日の怪しいメール。ジャンクかと思って読まずに捨ててゴメン。吉本さんはあと半月で大個展(三重県美術館)が始まるという状況下、余裕の表情だった。さすがだね。どんな作品がならんでいるか、とても楽しみ。なかでも「未完でも出す!」と言っていた作品は非常に気になるな。出原くんはあれからまたちょっとやせたんじゃない?みんなの前でも臆面なく煙草を吸う様になった事での効果?とも思えんが。マチノさんの蕎麦や工事でお疲れなのかな。美味しい牡蛎を持って来た大野さんは、芽楽での作品を見そこねた事を悔しがっており、近いうちにまた作品を購入して頂ける事とのこと。多謝。キヨ、エッちゃん、水野くんたちに晴史郎を紹介する事ができた。晴史郎はご機嫌で遊び回っていた。片山君が連れて来たショウタ君は、とても好青年。ちょっとだけ話した印象では、作品に向かう姿勢が堅すぎかな。向井さん有李くんは、いつも元気印だ。有李くんが見せてくれたカード手品はマジ上手だったよ。向井さんセレクトの有機ワイン(シラーツってところがまたいい)はすごく美味しかった。今度注文の仕方教えて。
この他にもまだまだ、懐かしい友人や毎度ながらの友人が忘年会に参加して、楽しい宴は続くのであるが、10時を回ろうとした頃、晴史郎の事もあり退散する事にした。

妻の運転で高速道路で帰る。妻の高速デビューだ。帰路、なぜか発作的にフライドポテトが食べたくなり、高速降りてすぐのマックのドライブスルーに寄ってもらう。ポテト(しかもラージ)だけ注文するなんて、生まれてはじめてだと思う。

2004年12月26日 (日) 処理能力、欠落傾向にあり
今回の歳末大掃除大会は、延べ4日間かけて行うものである。このスケールは、我が家のスケールをご存知の方には大笑いであろうが、とにかく計画を遂行する事に主意義があり、それによる副産物として、予想以上にきれいになる事を目論んでいる。
本日はコンピュータルームの大整理に取り組んだ。他人の掃除など誰も興味ないだろうから詳細は割愛するが、結果かなりスッキリさせる事ができた。こんなに広かったっけこの部屋?というのが今の大袈裟な感想。こういう吹き荒れるほど書類や本が溜まっている部屋の片付けは、日頃の「モノを整理する能力」の有無が顕著に現れる。一番難儀なのがモノのカテゴリー分類だ。そしてそれをさらに細分化して、それをまたさらに細分化してを繰り返し、最終的に所定の位置を決定する。たったこれだけの事だが、先を見通す能力が欠落してくると、一気にぐちゃぐちゃになるのは経験上よーく知っておる。今日の整理で出来上がりではなく、これからの日々の処理能力にかかっているのだ。
さあ、明日は、居間と寝室だ。そして最終日はいよいよキッチンに進出だ。住み飽きたへっぽこアパートだけど、これを機会にもういちど住みよい部屋にしてゆくぞー!
そうそう、明日はアーティスト仲間との忘年会だ。何か手料理持参せねば、、、まだメニューは未定。

2004年12月25日 (土) まずは水回り
いよいよ今日から歳末大掃除の開始である。そのためにはまず、晴史郎を寝かせる事から始めなくてはならない。食事を食べさせ、散歩をし、抱っこする事20分。ようやくオヒルネの眠りに落ちた。
まずは、水回り系から始めるのが大掃除の鉄則。しかもキッチンは新年を迎えるまでまだまだ使う訳なので、今日のタイミングでなら風呂場から始めるのがオレの法則である。しかし今回は洗濯機回りをスタート地点にした。この部屋に入居して一度も掃除していなかった洗濯機回りから始める事で、オレのこの歳末大掃除にかける気合の度合いが妻にも十分伝わった。徹底的なのだ。積もりに積もった埃を雑巾で綺麗に掃除し、まずは気分が引き締まったところで、風呂掃除に入る。天井に染み付いたカビの黒点を拭き取り、次に壁、そして床と上から順に責めていく。目地の汚れもカビキラーで退治。いよいよメインイベントの排水口のヘドロ除去である。特殊な強力クリーナーで浸け置くこと1時間。しっかりヌメリが剥離した頃を見計らってホースの水でドバッと流し落とす。汚れの染み付いた水道管には、コーティングテープを施した。うんうん、完璧である。
晴史郎は胃腸風邪気味な事もあり調子が安定しない。愚図る晴史郎の子守りを妻に任せて、風呂を沸かし、夕食を作る。愚図りがなかなかおさまらず、妻が食事につけたのは、そばが悲しいほどのびきった頃。たぶん明日には良くなる事だろうという希望的観測が当たるかどうか。今夜はかなり夜泣きで愚図るだろうな。
明日、晴史郎の体調が戻っていたら、新しいプリンターを購入する予定である。購入と体調には何の因果関係もないが、買うべきか迷っているオレのカケ判断。神様の示唆として受け入れ従うのだ。

2004年12月24日 (金) たくさん食べて元気でいる事
今日はクリスマスイヴだかなんだか知らんが、妻は朝から仕事に出て、晴史郎は保育園。そういう時間を有効に使って、報告書の編集デザインの仕事を8時間ぶっ通す。まともに昼飯食う余裕がなかった事もあり、疲れきった。疲れきったオレを見て、妻はワインとチキンを用意してくれた。妻と談笑しながら美味しい時間を持てた。そして、ちょっと前にひとりの学生に「先生は奥さんのどこを見て結婚を決めたんですか?」と聞かれたことを思い出した。
眠る顔が天使になってしまう人には、悪い人はいないと思っている。眠りは無防備だ。人間以外のほとんどの動物は腹を下にして眠る。それが防備。オレは仰向けで寝られない人だが、妻は仰向けで眠る事に抵抗がない人だ。妻は眠る事が好きだと言うことは少し前に書いたが、彼女の眠る顔を見ていて一緒に暮らしたいと思ったのを覚えている。結婚前に眠った顔を見る、という不謹慎はこの際ともかく、彼女の眠った顔を見てみたく思ったのにはきっかけがある。それは彼女の「美味しそうに食べる姿」を見た事だ。飲みっぷりもなかなかのものだが、それ以前に(何を食べたかは忘れたが)食べるしぐさを見ていて、この人は眠る時にはどんな顔をするのだろう?と思った。食事を美味しく食べる事のできる人、より正確に言えば美味しそうな咀嚼ができる人は、もっと言えば食べた瞬間に美味しいという表情ができる人は、寝顔の中に華がある事は言うに及ばず、オレの中の対人黄金比が完成される。
クリスマスだかなんだか知らんが、便乗的に聖なる夜だから、こんな事を書いてみたくなった。

2004年12月23日 (木) こういうことで気づく事
マルちゃんが前日より風邪で体調を崩していたため、クリスマス会という名のお楽しみ会とはいうもののいつもの食事会とはいえオレ的に飲み会は、残念ながら中止とあいなりガッカリしていると、一晩たってだいぶ調子よくなったから決行しましょうと、スーさんから電話が入ったのがお昼前。友人の体調を心配する妻の進言で、料理類をたっぷり(でもなかったかな?)持参する事にした。出来合いのオードブルセットと、クリスマスだからという事でのローストチキンと、スパークリングワインと麦酒を買いそろえた。レジでもらった歳末の福引き券で、3等と4等をゲット。驚く様な景品ではなかったが、ハズレではない事に少し気を良くし、一緒に行くヤマちゃんが到着するのを晴史郎と二人で待った。ほどなく彼はやって来て、ライフに乗って三人で出かけた。
妻は仕事場から電車で直行し、スーさん宅で合流。
おじゃましまーす!と入っていくと、予想外、マルちゃんのお母さんがいらした。以前より話に聞き、写真も見せてもらっていたので、すぐにその人がマルちゃんのお母さんだと分かったが、しばらく話していくうちに、オレが自分で未承諾のまま勝手にマル母イメージを作り上げていた事に気づかされるくらい、異なる印象だった。オレが何の根拠もなく想像していたマル母像は、チャキチャキして声が大きく、ちょっとピリピリした感じさえする仕切るタイプの女性なのだが、じつに正反対の、おっとりして気品のある冷静明朗なご婦人だった。
会った事のない人を想像する時には、たいていは過去に出会ったその人に似た人から印象を引用しているのだろうが、マルちゃんのお母さんをオレがイメージしていた時、いったい過去のどんな人にそのソースを関与させていたのだろうかと検索興味が湧くものの、自分自身では解明のできない非常に曖昧なところでそれは作り上げられている事に気づかされる。今回の様な少なからぬ誤解(誤想像)は、オレが「自分以外の人全般に対して抱いている世界観」を逆照射していると見ることもができる様に思った。

2004年12月22日 (水) 好転日
午前中、依頼されていた表札(菜の花亭)を一気に完成させることができた。
予想よりもかなり早く進行し、アガリもまずまずだ。
午後から、スタジオの大掃除をした。ほぼ1年分の埃を吹き飛ばし、新年を迎える準備は整った。
その後、フレンドシップのデザインにかかる。
まだまだ試行錯誤の段階だが、少しずつスタイルができてきている。

明日は祝日なので、晴史郎の保育園は休みだ。(妻は仕事)
一日いっしょにのんびり過ごす事になるだろう。
天気がよければ、ふたりで公園のハシゴをしようか?

すでに話題の去った感のある「冬のソナタ」を見ている。(NHK-BSでの再放送)
見ていて思ったのが、BGMの使い方がとても奇妙である事だ。詳しくは奇妙というより、とってつけた様な使い方なのだ。それを気にしだしていると、実は奇妙さはBGMだけにあるのではなく、背景の効果音がほとんど入れられてない事によるものだと分かってきた。登場人物に聞こえる範囲だけの効果音しか聞こえてこない。そのぶん登場人物の台詞ははっきり聞こえるのだが。この設定が戦前のハリウッド映画や昭和40年代の日本のドラマの様に思えるのだろう。どうにも奇妙な事もあり、韓国のドラマのサイトで調べてみた。すると面白い事が出ていた。日本に流れてくる韓国ドラマは、韓国版と違って日本向けに効果音を極端にカットアウトしてあるとの事だ。実際に韓国内で放送された冬のソナタは、池のシーンでは「クエークエー」とうるさいくらい鳥の鳴き声がし、ロマンチックな夜の街のシーンでもゲーゲー吐いているおっさんの声がするという。日本の今のドラマと比べても、これはやり過ぎだろ!と思うくらい効果音がうるさいとの事だった。
効果音をカットする目的はいったいなんなのだろう?政治的云々というつもりはサラサラないが、わざわざ日本向けに音を作り直すという労力は、目的もなしにはやらないだろう。ただ、独特な雰囲気を出しているのは確かだ。少なくとも「冬のソナタ」があれだけヒットした理由は、そこらへんにも関係があるのかも知れない。

2004年12月21日 (火) エリアとアリーナ
イギリス人は初対面の人に対し警戒心が強いが、アメリカ人はすぐに打ち解けようとする。
イギリス人は何と言ったか聞き返すと二回目はゆっくり話すが、アメリカ人は何度でも同じスピードで話す。
イギリス人は罵倒するとき人差し指と中指を少し曲げて立てるが、アメリカ人は中指一本を天に突き立てる。
アメリカ人はイギリス人の事を「身体の不自由な老人」といい、イギリス人はアメリカ人の事を「腕っ節だけが取り柄のタリナイ少年」と形容する。
アメリカ人は酒を飲んで道を汚すが、イギリス人は酒を飲んで器物破損する。

特に何かが言いたい訳ではない。オレの経験上の偏見である。

2004年12月20日 (月) 眠り妻
世の中には、十分な睡眠を取らなくても平気なタイプと、8時間以上眠らないと翌日不能者に変貌するタイプがあるが、8時間とは言わないまでも、明らかに妻は後者だ。
そう、妻は、眠る事がなにより好きである。好きというより、眠るために生まれたという冗談を笑えないくらい、眠る事を大切にする人である。
かつて彼女の寝顔を見て、水分をいっぱいに含んだ果実のようだと思った事がある。そして十分な睡眠を取らないと、気持ちがカサついている事が目に見えて分かる。
そんな彼女が、深夜、オレの仕事のアドバイスのため睡眠を中断し、小1時間付合ってくれた。もちろんはじめは愉快そうではなかったが、最後には問題の解決手段を導き出し、そしてオレの満足げな顔を確認して再び眠りに落ちていった。
そう、彼女に優しさが戻って来たのではなく、彼女の優しさをオレが見失っていただけだったのだ。
たくさん眠って下さい。

2004年12月19日 (日) いいチョリソは、◯◯◯◯の香り(臭い)がするものなのだ
出原くんが帰国し、ワインとチョリソを持って昨夜から遊びに来た。まえ会ったのは暑い暑い最中だったから、ずいぶん久しぶりのはずだが、そういう風に思えないところが不思議なところだ。スーさんも誘い、昨夜は楽しい宴会になった。マルちゃん持参の堅焼きパンがうまかった。そして何と言ってもチョリソはやはり本場モンじゃ、格別なカオリでワインがすすむ。ついつい調子こいて、飲み過ぎてもーた。出原くんにはうちに泊まってもらうことにした。

午前中、バルセロナやニューヨークの話を聞かせてもらった。その後、仏像はなかなか難しそうだから、次は表札だという話も出た。これもどこか現実味のないところがまたいい。ダラダラと過ごす時間は、やはり彼独特の間合いでオレ的には心地よいのだ。気がつけば、晴史郎もすっかりなついておる。お昼を過ぎた頃、出原くんと家族で買物に岡崎の家具屋に出かけた。帰路、オレのお気に入りのラーメン屋に寄って帰宅。その後一宮に帰ろうとする彼を引き止め、コーヒーをすすりながら、とりとめもない話をとりとめなく続けるのだった。いよいよマッタリが極まった頃、眠そうな目をこすりながら彼は帰っていった。

何がどうだというのではないが、彼のおかげで先週からのわが家の空気が入れ替わった。妻に優しさが戻って来た。

2004年12月18日 (土) 電波時計
世の中には「電波時計」なるネーミングの時計がある。それは言葉通り、何処ぞかから送られてくる電波を自動でキャッチして、時間を常に修正するという優れたシロモノだ。
正直ちょっと驚いた。
ということで、どこから標準時電波が送られてくるのか調べてみた。日本には2カ所送信所があって、ひとつは東日本をカバーする福島県にある送信所。そしてもうひとつが西日本をカバーする送信所で、佐賀県にある。福島&佐賀。なんとも微妙なところにあるものだ。まあそれはいい。送信所を立てる土地が安いとか近くに邪魔になる高い建物がないとか、妥当な回答はありそうだ。それよりも何よりも、電波を使ってまで時刻の正確さが必要な用件は、一般家庭にはそうそうないであろう。たいていはテレビの時報で事足りるし、どうしても正確にという人には電話サービス(117)もある。一般家庭の壁掛け時計に、どうして電波を受信するシステムをぶち込む必要があるのだろうか?まったく大したもんだわ、日本人。時は金なりかも知れんが、そりゃアンタ、時刻が狂わない代わりに、時間に対する観念が狂っちゃってるんじゃないの?
正直ちょっと驚いた。

2004年12月17日 (金) ドン・キホーテ連続放火事件、云々
新聞記者には、ふた種類のタイプがいる。ひとつはペンを拳銃と化す体育会系社会派タイプ。もうひとつはペンを花束と化す文化系生活派タイプ。オレの友人にひとり新聞記者がいるが、彼は明らかに後者であるので、この話の外だ。
前置きはともかく、ドン・キホーテの社員が、例の連続放火による消防局の記者会見場に、身分を隠して潜伏して出席、という奇妙なスクープが流れた。それは「なにやってんだ、ドンキ!」というニュースなどでは実はなく、その背後にある新聞記者をはじめとしたこの国のメディアの談合性を逆に暴く結果となった一件と見ることができる。つまり、この国の最悪の談合組織、いわゆる「記者クラブ」が、いかに自己中心的であるかという事だ。事件の始終内容は以下のようである。
消防局幹部が記者会見の前に「この中に記者以外の方はいませんね?」と質問し(この質問がそもそも怪しい)、ドンキ社員は黙秘していた。たしかに身分を隠して潜入するのは問題だ。オレはその点を擁護するつもりはない。記者会見の終了後、数人の記者が見慣れない人物を発見。出所を問いただすと、そそくさと逃走しようとしたため、ひとりの記者(A新聞)が突き飛ばし、羽交い締めにし(たかどうかは見た訳ではないが)、押さえつけ、オラオラ〜と身元を言わせたら「ドンキの社員」だったという転末である。当然各テレビ局も記者会見の取材に入っていたため、そのハプニングの一部始終をカメラに収めることになる。
 問題はその後である。
A新聞の幹部が「取り押さえている時の映像は、どうかメディアに流さないで下さい」と各局にお願いして回ったようなのである。そのことで、いかに乱暴に対応したかがうかがえる。当然そのような要請を受けた各メディア談合集団は、お約束のギブ&テイクで「ハイ、了解」となるわけで、結果どの局も、そのハプニングの映像は流しはしなかった。庶民に真実を報道する、というご立派な立場を常々主張するマスコミ連中の、「でも、内悪は隠しときましょね」という体裁保身体質が見て取れる。こんなの、ほんの一握りに違いない。NHKの横領事件でも、会長が画面に出てきて謝るってのはどうなんだ。その謝罪映像を作っているのは受信料だろ。
かつて田中康夫知事が「脱・記者クラブ」宣言をしても、世間で「なにそれ?」くらいにしか捉えられなかったのは、そういう醜い談合の実態が世間にほとんど知らされていない事によるもなのだろう。

2004年12月16日 (木) 金太郎飴
教育大フレンドシップ事業の報告書の編集デザインを任される事となり、さっそく時間の合間を縫って会議検討用サンプルの作成を始める。しかし何ぶん全体が全く見えていないこの状況で作業を立ち上げるのは暗中模索五里霧中なわけで、見切り発車をかける以外どうにも前に進めそうにない。そもそも前回の編集会議において、大学側の要望する報告書の主旨が不明瞭なままだった事が原因だ。それにしても会議というのは、コーディネーターが常に全体のベクトルを理解掌握できていない事には、ただの意見交換になってしまい、トータリティーのある舵取りがなされず不毛に終わるものだ。そしてただでさえ時間がないところを、プライオリティーの優先順位がぐちゃぐちゃなのは、編集するオレからすると頭が痛くなるんだけど。
今日の映画は「白い犬とワルツを」を選んだ。TAの河合君が勧めてくれたものだ。泣ける映画ではなかっただけに、河合君がこの映画をいいと言った視点が謎に思えた。もしかして河合君は、オレの見立てと全く違って、ものすごくいいヒトなのかも知れないな。どーもなまじイケメンだと、ついつい穿った見方をしてしまうオレに問題があるという事に気づかされる結果に。今度、原作読んでみよ。

2004年12月15日 (水) たいしたもんだぜ
年の離れた友人から突然電話があった。渋谷で酔っぱらってるとの事。好きにやってろ!
彼は地方エリート大出身で、1年休学して世界中をひとりで回ってたりした男。オレがイギリスにいるときもやって来た事がある。彼には大いなる野望があり、卒業後、東京の会社に就職しながら、合格率10%未満という超難関試験をイッパツで突破。試験後の資格取得のための経験値を積むためにいまの会社を辞めずにいる。そして、近いうちにアメリカの大学院に留学すると言う。そして、時々スチューワーデス(今こういう言い方しないんだな)と付合ったりしてる。
その彼と「勝ち組」「負け組」の話(それは尺度の問題であって、本当は勝ちも負けもないんだけどね)をした。彼は「オレは勝ちでも負けでもない普通組だな」というが、勝ち組とは、その先に可能性がある事が大前提だとオレは思う。負け組はそこに鎮座していればいいのだが、勝ち組は常に勝ち続けないといけないのだ。そういうタフさを持ち合わせているかが、人生を謳歌できるか後悔するかの分岐点だ。彼のタフさは、少年の頃のひとつのエピソードが物語っている。小学校6年生の夏休み、ひとりで飛行機に乗ってベルギーに住む叔父のところに旅したそうだ。オレ6年生の時ってなにしてたんだっけ??? ををっ、記憶すらないぞー。

2004年12月14日 (火) 刻だかなんだか知らんが、、、
教育大の学生+OB展を見に行く。何と言ってもハルのビデオ「オフサイド」が超傑作だった。ちょっとやり過ぎ(大袈裟)な感もあるが、いやぁ彼のセンスは相変わらず素晴らしいね。思わず吹き出してしまったよ。それと、アイコのインスタレーションも視点のリアリティーと思考の深さがバッチリ合っていて痛快だった。しかし展示方法がイマイチで非常に残念だ。その辺は経験が必要なのだろうね。それにしても「何か造形すればそれは作品」と大きな勘違いをしている手慰み学生に対する不快はマッコト極まりない。そんな中、ハルとアイコの作品によって救われた気がしたナリ。

フェア・トレード(公正貿易)を解説するTV番組を見た。システムとして発展途上国へのダイレクトな理想的雇用サポートなのだが、やはりあくまで先進国の市場論理が押し付けられる実態は払拭できないようだ。番組ではセルフリッジ(英)での例があげられていたが、日本で展開を進めているイオンでも、同様の事態は免れないだろう。グローバル・ヴィレッジおよびサフィア・ミニー氏の努力がビジネス面で報われるばかりでなく、人々の意識に浸透する事が最も理想的なのだと思う。できる事をできる範囲で、それはヒトの大原則ナリ。何処かをデカクし過ぎだかも知れんね、資本主義の一部の思考は。

2004年12月13日 (月) 鼓膜ぶち抜き
晴史郎を耳鼻科に連れて行くと、案の定すごい混雑。風邪が流行っている時期だから仕方ないとはいえ、予約時間を大幅に遅れ診察室へ。中耳炎の状況は悪化しているとの事。「ウミ出しときましょう、今日!」と突然の宣告。絶叫して嫌がる晴史郎の鼓膜に穴をあけ、ウミを吸い出した。いくら麻酔があったとせよ、さぞ辛かっただろうね。なにせ大人3人にアタマ押さえつけられての治療だから、恐怖心も倍増しただろうし。もうちょっとで良くなるから、すまないけどあとちょっとだけ辛抱しておくれ。またクスリ変えてもらったから(メイアクト+ペリアクチン)、今度こそ効くといいね。年末、ジイジのところでのお餅つきの時には、すっかり完治できているといいね。

2004年12月12日 (日) クリンナップ
年末に向けてという訳ではなく、換気扇の汚れが目立ってきたので、解体して掃除する事にした。ゴキブリホイホイのノリみたくベドベドになったファンをシュルシュル洗い、カバーもシャカシャカ洗ってやると、だんだん気持ちが清々しくなってきて、勢いでスニーカー洗ってみたり、シンクの排水口を洗ってみたり、晴史郎のハナミズ吸い取ってみたりと、身の周りを少しだけピカピカにする作戦を敢行してやったわい。
晴史郎のハナミズ吸い取りと言えば、近所の薬局で以前から目をつけていた小道具をついに購入した。耳鼻科でハナミズ吸い取る様な吸引チューブなんだけど(もちろんポンプなどなく吸引源はトーチャンの肺活力なのだが)、これが気持ちいい程よく取れる。当然ながら晴史郎はとても嫌がるも、トーチャンの快感原則に従ってアワレ晴史郎のハナミズはひとたまりもなく吸い取られるのであった。鼻がすっきり通った後の晴史郎は、まんざらでもない顔をしているのでヨシヨシなのだ。でも、もういい加減おさまってくれよ、ハナミズ。トーチャンの快感にもてあそばれてちゃいかんよな。

夜、スーさん宅にお邪魔し、チゲ鍋をご馳走になった。そこで出た話。スーさんが家を建てるという話。わが家では考えられない話だけど、スー家では十分あり得る話。子供の頃から感じてた様に、大人の仕事じゃん、家建てるって。大人の男がやる一大事業じゃん。ワンスインナライフタイムじゃん。素晴らしー!!!かっこいー!!!他人の家ながらも、デザイナーの家なんだもん、どんな家になるのかすっごく楽しみ。
うちの妻が「あたしゃハズレくじ引いちまったよ」と言い出したらどーしよー。。。ただただ、ひれ伏すのみ。。。
(妻はそういう事言わない人なんだけどね)←か、どうか、、、

2004年12月11日 (土) Chrissie Hyndeをヘッドフォンで聞きながら
アニエスの絡みで、エジンバラ(スコットランド)の展覧会の話が決まった。
これはオレをハッピーにさせてくれる話。

100円ショップのレジカウンターに3品置き、財布の中身を見て一瞬支払いに狼狽。
これはオレを悲しい未来に連れていく話。

エジンバラは毎年夏に大規模なフェスティバルを開催しており(特に「エジンバラ演劇祭」は有名で、かつてマモルさんの芝居も招かれた事がある)2005年のアートイベントに関る事になった。夏のUKといえば、ロンドンのBBCプロムスとエジンバラのフリンジフェスティバルと相場が決まっている。
エジンバラ、、、、。2年間のノッティンガム滞在時もさすがに遠くて(および機会を持てなくて)スコットランドまで足を伸ばした事がない。オレの中の等身大の世界が少しだけ広がる感じだ。

夕方から、本当に久しぶりに妻と自宅居酒屋をした。美味いアテをお互いに作りあい、それぞれがチビチビと酒を呑みながらとめどない話をする。おおいいに笑い、おおいいに議論すると言うオレたちの大切な時間の過ごし方だ。かつて頻繁に「部屋で居酒屋」をしたオレたちだが、こと子供が生まれてからというものそういう精神的・時間的余裕がなくなっていた。
たまたま出かけたスーパーで妻が「この刺身ご購入デス!」と息巻いたところから始まり、オレの好きな黄金イカやら枝豆を仕入れ、そそくさと部屋に戻るや否や宴会開始。晴史郎はテーブル周辺に好きなオモチャを持ち込んで彼なりの参加だ。途中、晴史郎のごはんや風呂に入れたりの中断(それもまた楽し)はあったものの、お互いおおいに嬉しい酒を楽しめた。こういう夜もいいものだ。
今夜は土曜日だもの。

2004年12月10日 (金) バリウム
検査着に着替えて、バリウムをたらふく飲んだ。サンダーバードの様な機械ベッドの上で何度も回転させられた。思ったほどは不快ではなかったが、決して気持ちのいいものではない。早朝の、朝飯前(昨夜から絶食してますから)の出来事と思えば、単調な日々の中でちょっぴり刺激的とも言えなくもなくはなくない。(どっち?)
検査終わって車に乗り込みまっ先に煙草をくわえるも、さすがに医院の駐車場を出る前に火をつけるのも不謹慎(?)と思い、少々ためらう自分が滑稽だった。

今夜はS氏と来年の展覧会について名古屋で打ち合わせ。

今年のターナー賞は、ジェレミー・デラー(Jeremy Deller)に決定とのニュースで、アートの世界もどんどん複雑になっていくのか、それとも、一気にパラダイムシフトしていくのか、と考えた。それともそれとも、デラーが特異なのか?

2004年12月9日 (木) ミスティック・リバー
晴史郎を保育園へ送ってから、そのままスタジオへ直行。
15年も前に購入しずっと納屋に保管してあった真鍮のバーを切断し研磨する作業。しかしさすが15年ものの酸化膜は堅牢無比で、なかなか簡単には剥離できない。磨粉や酸洗浄も歯が立たず、結局サンドペーパーで順番に番数を上げながら(#120〜#800)の研磨+研磨粉での艶出しとなり、かなり骨が折れる作業となってしまった。既製品の様な安っぽい艶を回避するため、一度ピカピカにしてから、再度サンドペーパーの番数を落として仕上げる。

午後は、M大の事務に来年度の授業コマ数の確認のため通常より1時間早く出向く。事務方確認取るとやはりカリキュラム変更が来年度からあるようで、シビアな回答を頂く事となった。

恒例の授業間映画鑑賞は、昨年話題になった「ミスティック・リバー」を観た。アカデミー賞受賞作品という事、そしてショーシャンクのティム・ロビンス出演という事もあり、期待していたのだが、、、、。主演ショーン・ペンの大袈裟な芝居が鼻につく(ティム・ロビンスはいい味出してた)。映画全体で言うと、原作のあの深みに比べて、たった2時間の映画におさめる都合どうしてもダイジェスト感が否めない。個々の登場人物が抱えている人生の背景から来る悲哀の描写が淡白すぎる様に思う。イーストウッドの映像は確かに美しいし胸に迫るものはあるが、ストーリー解説に傾きすぎてやしないか。

明日は健康診断再診。今夜はまた絶食だぁ。

2004年12月8日 (水) 耳垢
昨日電話予約した耳鼻科に晴史郎を連れて行く。4時50分。
少しの待ちで診てもらえた。予約の効果おおいにあり。
晴史郎の耳あかは、オレの予想をはるかに超えて、驚くほど巨大かつ大量であった。あれだけのものが詰まっていたら、さぞ聞こえが悪かっただろう。
それだけの耳あかを作り出す身体にもある意味驚愕。
晴史郎の耳あかも、何か目的があってあれだけため込んでいたとしたら(ありえん by耳鼻科)、もしかして、悲しい事態を誘導してしまったのかしらん。(ないない by耳鼻科)

昨夜見たTV番組で最新医療現場の「再生細胞」を取り上げていて、その驚異的な復活力(再生力)に感嘆したのだが、有用性の陰に隠れた「生」の尊厳とその制御(コントロール)について考えさせられた。自分の細胞(例えば口内粘膜とか骨髄とか)から再生細胞を取り出し、その蘇生力・自己治癒力・複製力によって他の組織(臓器や骨、皮膚など)を作り出すため、拒絶反応は全くといっていいほど無い訳だ。しかしその治療技術の果てはいわゆる「クローン人間」に至る。ここで考えたいのが、ニュースなどで言われている「生の倫理」があまりにも抽象的すぎる事だ。実態として等身大の倫理をつかむために、何者かによる作為や誘導を慎重に剥ぎ取り、それぞれの人が自分の生きて来たリアルなレベルで「生の倫理」を捉え直すべきなんじゃない?
倫理とは、答えが多様なのであって、答えが無い訳ぢゃあない。

2004年12月6日 (月) 風邪ひいた
風邪ひいたようだ。午後からいやな寒気が。
晴史郎を保育園に迎えに行く前に、岡崎の番くんのオフィス(グリーンクラフト)に発注しておいたカッティング文字を受け取りに行く。おまけでもうワンセット付けてくれた。今週は忙しいけど、週末に時間を作って一気に完成させようと思う。

それと、ハイドカラーで以前作成したパワープリント(抗退色特殊印刷)の「Marble Rose Kit」を、幹永くんに送る手配を始める。一宮での忘年会の時に持参する予定。それに端を発し、作品のデータベース(ファイルメーカー)を整理する。作品管理の怠惰のツケがたまらないうちに、こまめに管理すべし、である。

さて、そろそろ出原くんが帰国する頃かな。

2004年12月5日 (日) 小夏日和
関東地方では、早朝に台風なみの突風が吹き荒れた後、温度がどんどん上昇し、夏日(25℃以上)になったとか。こちらはそれほどではないにしろ、けっこう暖っかかった。洗濯物がよく乾いた。

携帯に不思議な着信(留守電)が。再生すると、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」が電子音で流れているのみ。
んー、誰なんだ?

2004年12月4日 (土) 発表会と展覧会
せいしろう、少し熱あったけど、保育園の生活発表会に出席する事に。すでに遊戯室(ホール)前の廊下は、カメラやビデオを手にした保護者による長蛇の列。もちろんオレもビデオの電源入れてスタンバってます。さぁ、いよいよ晴史郎のひよこ組の出番。みんなで「むすんでひらいて」をやるところなんだけど、舞台前の観客の数と熱気にびっくりして、どの子もキョトンとしてるだけ。むなしく伴奏だけが流れていきます。その光景に思わず会場から笑いが。どの子もボーッとしているだけの、なんとも0歳児らしいお遊戯発表でした。晴史郎は歌の途中から早々と両手を上げてましたが「その手を〜」の時には下ろしてしまったので、タイミングが、、、。ま、それ以前の問題なのですが。発表会の模様は「せいしろう」サイトにアップしました。

午後からは、実家の母に頼まれた仕事(データベース入力)を妻がこなすため、晴史郎と妻と3人で豊田の実家に。妻が作業している間、オレは晴史郎と遊んで過ごし、昼寝もスムーズにさせる事ができました。

夕方は芽楽のオープニングです。鳴海までヤマちゃんが迎えに来てくれて、激しい雨の中ギャラリーに車で連れて行ってもらいました。予想してなかった人までも来てくれて、嬉しかったです。もちろんグループ展だからオレだけに会いに来てくれた訳ではないだろうけど、でも会えて嬉しい人がいっぱいでした。オーナーの池田さんともじっくり話す事ができ、楽しすぎる時間はあっという間に過ぎて行くのでした。料理も一杯でいい気分。イノシシの肉のフライ、とっても美味しかったです。ワインもたらふく頂きました。その後、吉本さんたちが待つ焼き鳥屋に、幹永くんらと合流しました。その頃にはオレはすっかり醜い酔っぱらいで、もう何が何だか、、、。酔って気の大きくなったオレは「みんなの分おごりまーす」と言い出す始末ですから。またみんなに面倒かけちまったなぁ。

2004年12月3日 (金) ひねもすせいしろう
今日は仕事がない日なので、早朝出勤の妻を車で送って、その後晴史郎の熱の様子をみるが、登園時間の9時になっても37.4℃を下回る事がないので休ませる事にした。まる一日、晴史郎と遊ぶ事ができる。微熱はあるものの、元気でニコニコしており食欲も旺盛で、特に不調を訴える事はなかった。元気がよすぎて、昼寝の時間(保育園で昼寝する時間)になってもちっとも寝ず、どうにも眠くなって寝たのはいつも保育園で昼寝から目を覚ます午後2時。ようやく寝付いたものの、電話のベルや来訪の呼び鈴(宅配便)でそのつど眠りが中断され、起きる時は不機嫌の極み。
とっぷり陽が沈んだ午後5時、晴史郎とともに、妻を会社に迎えに行く。彼女は今日、通常の倍の時間労働した。

晴史郎。とうさん今日一日何もできなかったけど、いっぱい笑顔を見ることができて嬉しかったよ。明日の保育園の発表会、熱が下がって行けるといいね。

2004年12月2日 (木) ついにやっちゃいましたね
今週は、妻は毎日早朝出勤。プロジェクトがピークのようで、残業も重ねている。疲れがそろそろたまって来ていると思う。結婚と同時に、決して楽ではない生活に付合わされ、それでも愚痴一つ言わない妻に、心から感謝。いつか、まだ果たせない「新婚旅行」に行こうな。

今週末から始まるグループ展(芽楽)の作品搬入。池田さんはお忙しいところを、コーヒーとお話に付合って下さった。気取らない、まろやかな雰囲気を持つ人だ。

今日のM大の授業の合間の映画は「死ぬまでにしたい10のこと(原題:my life without me)」を見た。タイトル通り、死を宣告(余命2ヶ月)された主人公が死ぬまでにしたい事を10個リストアップし、それを一つずつ成し遂げて行くというもの。えてして死などという背景があると、感傷的にさせたり同情をあおる様な手法になりそうなものだが、この映画の主人公を演じるサラ・ポーリーの自然な芝居がとても印象的で、押し付けがましさはなく、少しも厭味がない。(驚くべきは、陰湿な老婦をブロンディーのデボラ・ハリーが演じていること。)
ある意味リアリティーがある映画で、死んだ後の世界を自分で眺めることについて、少しだけど考えた。

映画の後、妻に電話すると、熱だした晴史郎を保育園からの緊急連絡で迎えに行った事と、駐車場でバンパーをコスってしまいしょげている事を聞く。

2004年12月1日 (水) 師走でゴワス
早いもので、本当に12月になってしまった。子供の頃は1年はすごく長いものだと感じてたし、実際そうだったのに、なんであっという間に時が過ぎる様になってしまったんだろう?意識の領域?加齢の結果? いや、地球の自転と公転が速くなったことにしておこう。うん、そうに違いない。

流山に設置を依頼されている表札作りを始めることに。コンピュータでデザインを決め、スタジオに向かう。スタジオで制作方法や素材についてずっとアイデアを巡らせ、いろいろ試してみるも、なかなか決まらない。鉄で文字を作るのはサイズ的に厳しい。プラスティックも考えたが強度面から考えて妥当ではない。根本的にアイデア変更するか、、、。いろいろ思案しながら同時に、制作が途中まででストップしている未完成の作品(小品)の仕上げなどをする。

夕方、晴史郎を保育園に迎えに行くと、笑顔で飛んで来た。先生に「家で手を焼いてんですよ」というと「え〜?信じられない。園ではすごくいい子ですよ」と言われる。ちょっと嬉しくなるも、なんで家ではあんなに甘えてんだ!と思えてくる。保育園の帰り道「柿田公園」の滑り台でいっぱい遊んだ。久しぶりに見せてくれた晴史郎の満面の笑み。声出して大はしゃぎ。
その後帰ってからも、夜眠るまでずっと上機嫌だった。(はしゃぎすぎて、とーさんに叱られるんだけどね)