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ルーティーン



2004年11月




2004年11月29日 (月) Pin Ball
ミニアチュール展の作品を完成させることが出来た。以前考えていたアイデア(満足度60%のもの)は破棄し、コレクタブルという点で着地した。これは今回の企画に対する結末。収納箱も作成し、体裁は整った。
「新しい展開」この呪縛に囚われすぎて、無理にひねり出されたものは結局納得いかないことが多い。気負わずストレートという方法であってもいいのじゃ。

晴史郎の鼻水が止まらないことを耳鼻科で訴えると、薬を変えることになった。いままで以上に飲みにくい(味)とのことで、妻といろいろ検討する。とにかく早く良くなっておくれよ。近頃の晴史郎の落ち着きのなさを見るにつけ、要らぬ心配も出てくるではないか。

2004年11月28日 (日) NZU
午後から、まず +Gallery(布袋)の「加藤優一展」を見る。いつも繊細な作品を作り出す彼の、より一層デリケートな作品。ダイナミズムやナラティブ(物語性)を排除し、作家の「心象に対し素直に向き合った形態」から発せられる不思議な感覚に触れることが出来た。同時開催のモノスケープ展では、不気味奇妙な動画(近藤サヨコ)と質素なオブジェ(典子)が印象に残った。

その後、名古屋造形芸術大学(NZU)に向かう。学内仮設スペースでのグループショウのセッティングをやっているS氏と、来年の展覧会の打ち合わせをするためだ。概要を聞くと、会場は京都とのこと。ギャラリースペースではない分いろいろな障害はあるものの、新しい出会いがあれば収穫だ。

人手が足りなそうにセッティングをやっていたので、お手伝いをすることに。S氏以外のメンバー2人は在学生で、すこぶる好青年でアートのカンどころのいい竹田くんと、控えめさが現代っぽい榊原さん。おしゃべりしながら陽気なセッティング。すっかり暗くなった8時過ぎ、ほぼメドがついた様子なので、4人で中華料理屋に行った。2時間ほど多岐にわたる話をして解散。

2004年11月27日 (土) ユーストア
近所にスーパーがオープンした。
すごい人混みの中、激安を探してウロウロ。そんな中、店内でよせばいいのになんと縄跳びをしているクソガキ発見。テメコノヤロビームを発するもバカには効き目なし。
いくつかの試食を楽しみ、いくつかの商品をかごに入れたのち、妻が「お刺身安いから、お父さんに買って行ったら喜ぶんじゃない?」との提案。オレひとりでは絶対発想しないだろうな。で、ハマチのお造りを購入。実家に連絡とり、夕方出向く事にした。

夕方、実家へ寄って刺身を渡した後、「オレ、ちょっと、、、」とスタジオで実験作業。実験のつもりがついつい熱が入ってざっと40分ほど集中して制作。新作アイデアをまとめる事ができた。ふむふむ、中庸選択ではあるが、これもありJARO。

2004年11月26日 (金) Bloody Affair
午前8時20分。ほとんど眠れないまま、しかも絶食によってフラフラになりながら松原医院に向かうと、ちょうど若先生が迎え入れてくれた。市から送られて来た健康診断の書類を提出すると、書類不備で、胃透過検査が受けられない事が判明。何のための苦しい絶食だったのか、、、クラクラしてきた。基礎検診だけを今日受ける事にして、胃透過(バリウム)および大腸がん検診等は次回再予約して受ける事になった。また絶食しないといけないべ。(涙)

聴診、尿、心電図、血圧などのあと、採血となった。採血。これを何よりも苦手としているオレは、採血中、出来るだけ意識を違うところに持って行き、もちろん一切注射器を見ないようにし、検査終了後に何を食べるか考えるようにしていた。しかし、捕まってしまった。少しずつだが、意識が薄くなっていく。視界のカラー映像が白黒画面になっていく。あごに力が入らなくなって、口が少しだけ開いてしまう。息が青色になっていく。後で看護婦に聞いたのだが、顔色は真っ青だったそうだ。ようやく採血が終わった時はもう限界で「気分が悪い」と訴え、ベッドで横にさせてもらった。しばらく横になっている間、次回の検診の説明を受けたが、一刻も早くここを立ち去りたいという気持ちでいっぱいだった。一般診療前のためだろうが、他の看護婦がフロアにそうじ機をかける音で一層不快がつのる。

部屋に戻って、とりあえず水分を補給。ビタミンC飲料を飲むも、食欲は全く消え失せており、胃は身体の中に存在しないかのようだ。いよいよ座っている事も困難になり、倒れ込むように布団に。そのまま3時間ほど昏睡した。(その後丸一日不能者になってしまうのだが)

たかだか200ml程度の採血で、なんでこうなっちゃうの?

今から20数年前、友人と新宿駅前で献血して、その直後貧血になり、献血車(バス)の前の簡易ベッドで横になった事がある。新宿駅を通過する人々が不思議なものを見る目でオレを見ていた。あの忌まわしい記憶がよみがえってきた。

2004年11月25日 (木) インソムニア
明日は健康診断。
今夜午後8時より、完全絶食。
水も飲めず、煙草もダメ。これが非常に辛い。
悪循環が始まって全く眠れなくなってしまった。
今夜のこういう事態を予想して、昨夜睡眠不足をため込んだのに、ちっとも眠れやしない。
だんだん苛ついてくるもんだから始末が悪い。
一瞬ウトウトとくるんだが、床に着くと目が冴えてくる。
この調子だと、かなり長い戦いになりそう、、、。
泣けてくる。

2004年11月24日 (水) 大丈夫であれ
夜中の晴史郎に異変が。合計5回ほど激しい嘔吐がある。
一度目は深夜12時頃。その後、寝静まっては、しばらくすると咳き込んで吐く。最後のが午前4時頃。妻はモウロウとしながら汚物を片付け、ほぼ一晩中背中をさすった。
昨夜、驚くほど大喰らいしたせいだろう。あれだけ食べる前に止めるべきだった。
もしくは、ここのところ流行っている胃腸風邪だろうか。
一瞬、頭の片隅に「脳症?」という言葉が浮かぶも、予備対策としての記憶にとどめておく事にした。眠っているのでなんとも言えないが、ボーッとしてたら要注意!と聞いた事がある。
ただ、いつ何が起こるか分からない(容態が急変するかもしれない)子供の身体の事なので、対策だけはできるだけ万全にしておきたい。考えすぎるとどうしてもネガティブになってしまい、妻に「なにそんな不機嫌?」と突つかれる。ちょっとだけ悶着気味になるが、気持ちを入れ替えて笑顔作り。とーちゃんかーちゃんが喧嘩してても、晴史郎には良くないだけだもんな。

朝、妻を送ってから、晴史郎を保育園に連れて行く。機嫌もいいし、大丈夫っぽく見えるんだけど。
夕方、耳鼻科へ行かなくっちゃ。

2004年11月23日 (火) 晩秋の一日
今日は勤労感謝の日で、国民の休日だ。保育園もお休み。
なのに世界のTOYOTA様はTOYOTAカレンダー操業なので、妻は出勤。勤労感謝、、、。
ということで、今日は制作断念し、まるまる一日晴史郎と遊んだ。
(何かに集中しようとしてる時に晴史郎のヤンチャを見てると、無意味にイライラするだけだもんね。)
天気がとても良くって、車のワックスかけている間も、ひなたぼっこヨロシクおとなしかった。その後も外で散歩してもいいくらいだったが、昼寝のタイミングもあり、出かけず部屋にいた。
先日偶然読んだ「SDIS(幼児突然死症候群)」のサイトの記憶が頭の片隅にあり、晴史郎にできるだけひっついてやることにした。以前よく意識していた「晴史郎の身体の中に入って、晴史郎の目で世界を見る」をもう一度心がけて一日過ごした。
晴史郎はとても穏やかで、優しい笑顔を何度も見せてくれた。ソファーに二人でちょこんと座って、顔見合わせている図など、たぶん妻にはちょっと想像しづらいだろうな。なにせ妻がいる時は、常にベッタリはり付いて離れず、ママ以外に世界はないのだ!と主張せんばかりの甘えぶりだから。

夜、スーさん一家が大きなピザを持って遊びに来てくれた。ひなちゃんとのオモチャの奪い合いでは、相変わらず負け泣き。でも半分はウソ泣きだってこと、ちゃんとバレてます。

2004年11月22日 (月) 始動するも
午前の仕事を終え、午後からスタジオ入り。
大理石を全身真っ白ケになりながら削る。
うまく形が出てこない。というより、もともと定まった形のない「あるもの」を作ろうとしているのだから仕方ない。どうしても他の何かに見える、もしくは抽象彫刻になってしまいそうで、試行錯誤の繰り返し。今回の選択は果たして正道か?という迷いが出始めた頃、晴史郎を迎えに行く時間になってしまった。再検討の余地あり、これが現時点での位置。

2004年11月21日 (日) 追いつめられているんじゃないの?
午前中は二日酔い、というより昨夜の煙草の吸い過ぎで、ウェ、キモチワリィ。
ざっと一晩で50本ほど吸った計算だもんだから、そりゃ身体も悲鳴をあげるわ。

なかなか作品のアイデアがまとまらず、あれこれ思考を巡らすも、どうもビシッとしない。
のこり10日ほどで何とかまとめ上げなくてはならない追いつめられた状況だっちゅーに。
時間切れの保険として別プランもあるのだが、それは自分の満足度からは60%ほどなのだな。
突き抜けるための第1歩を、今回つかみたいのだが、、、なかなか降りてこんね、ビシッが。

妻に、知合いから英訳の仕事が舞い込んで来た。彼女はとてもやる気満々。

2004年11月20日 (土) やはり
あまりに長引く晴史郎のハナミズ。
夜など、見るからに苦しそうなので、意を決した。

     そうだ、耳鼻科へ行こう

朝9時に近所の耳鼻科へ行くと、土曜日という事もありすでに一杯。長い待ち時間の果て、診察してもらうと「中耳炎だねぇ」と。。。  もっと早く連れて来れば良かった。しかし、まだ症状から見て辛い痛みはないだろうけど、耳の聞こえは悪くなっているそうだ。今回のは早期発見のうちだ。この選択は間違っていなかった。で、耳よりもまず鼻から治しましょうとの事。はいはい、それは望むところです。ということで、抗生物質をもらった。

オレも幼い頃、耳が悪くて、しょっちゅう中耳炎やってた。耳垂れ出てたように記憶している。母親に連れられて、遠くの耳鼻科に通ったものだ。

オレの息子だもの、耳の弱いのは仕方ないな。ごめんよ、早く良くなっておくれ!

2004年11月19日 (金) キリキリマイマイ
晴史郎を保育園に送り、妻を会社に送り、S氏に渡す作品資料を郵便局で発送し、ホンダのディーラーへ1ヶ月点検のために行き、代車借りて市役所へ行って晴史郎の他県での医療費の還付申請の書類をもらい、M医院へ健康診断の予約と注意事項を聞きに行き、いったん部屋に戻って来月のグループ展の案内状にはる住所シールをコンピュータで作成し、それを案内状にはり、郵便局へ行って発送し、暖房器具の価格リサーチのため近所のホームセンターと家電量販店へチェックしに行き、再度市役所へ行って申請用紙を提出し、姪が画塾で使うデッサン用の鉛筆を画材店で買い、2日前の広告にあった家電量販店でファンヒーターを購入し、再び部屋に戻りファンヒーターを開梱して外箱を車に積み、晴史郎を迎えに保育園へ行き、実家に寄ってファンヒーターの外箱を納屋にしまい、灯油用のポリタンクを出して車に積み、妻を迎えに晴史郎と会社に行き、三人で帰宅した。ふぅー。

2004年11月18日 (木) 解禁
本郷のギャラリーでやっているテラオさんの個展を見に行った。彼女の素朴な世界に満ちた、心地よい作品たち。おとなしそうに見えるが内実行動的で、ひとりでノッツまでやって来た事もある彼女。ここ数年はパフォーマンスにも領界を広げ「絵を描くという内に向かう部分と、パフォーマンスの外に向かう部分のバランスが合っている」と言うように、自分の立ち位置がはっきりして来ているのだろう。ずっとマイペースでやっているんだな。
作品の話もそこそこに、金沢の話で盛り上がった。笠舞って怖いところだったんだぁ。

M城大での恒例の映画鑑賞は「北京ヴァイオリン」
素直に感動。父を演じていた役者、田口トモロヲによく似ていたなぁ。

帰宅後、昼間に買っておいたボジョレー・ヌーヴォー(解禁日なのだ)を妻と開けた。今年のものは去年の驚くほどの美味さではないにしても、しかし十分ひけを取らない味だ。ちょっとだけ高かったけど、ジョルジュ・デュブッフを選んだのも正解だったろう。合わせた牛タンも美味かった。

2004年11月17日 (水) 九死に一生を得たり
昨夜はびっくりこいたどぉ。
この日記の過去の分が、すべて消えてしまったのだ。正確に言うと「routine 1」がサーバから消えてしまったのだ。ぎゃー、ほぼ1年前の日記のアーカイブが消えちまったぁ。サーバから消えたという事は、この世から消えたという事で、、、。バックアップ取ってなかったし。何でそうなったかの詳細は割愛するが(少なくともオレの操作ミスでねぇぞ)、突然消えてしまいもうメチャクチャ凹んだ。もうどこのサーバをまさぐっても出て来んがや。うっそー!やっちゃったー!ええ?まじかよ?うそだろ?(←現実を受け入れられないオレ)ひえー、くやしー!、、、、、、じとーっと脂汗が出てきた。ちょろりと涙も。

そんな引きつったオレの表情を冷たい視線で眺めていた妻がポツリと「Googleのキャッシュ機能で引っぱり出せんの?」と涼しげ。んなコトできるかい!と一蹴するも、モノは試しと検索にかかりそうな言葉(routine manya...etc)をぶち込んでみる。
そしてクリック!、、、(待つこと数秒)  すっ、すると、どっ、どーだ。どーだどーだどーだ!奇跡だ!まさに奇跡だ!おどろく事に、オレの過去の日記がヒットして出てきたのだぁ。Googleのキャッシュ機能は、すでにそのサイトがウェブ上から消滅したものでも引っぱってくる事は知っていた。んでもここでそれが役に立つとは!!!!
感激じゃ!!!カミサマホトケサママミサマ〜〜〜!!!(ん〜、生きていてよかった)

ここまでが九死に一生を得たお話。

さて、ここからまた新たな悲劇が始まるのだった。
もう今後このような事のないように、日記のバックアップを取って自分で管理する事にせねば。という事で、ホームページのリンクを修正するために、GoLiveを立ち上げ、アーカイブを整理しなおす作業に取りかかる。で、GoLiveの環境設定をよく見てみると日本語のエンコードに不備がある。「Shift jis」が入っていないではないか!これではいつ文字化けが起きるか分かったものではない。ということで、GoLiveを再インストールする事にした。これがまさに悪魔の悪戯とは知らずに、、、、。
(これ以上書き続けるのはワタクシの精神衛生上および健康管理上望ましくありませんので、以後の事象につきましてはみなさまのご想像にお任せします、合掌。チ〜ン)

2004年11月16日 (火) ミムラ
月曜日に「海猫」を観に行った理由には、長い経路がある。
1年ほど前にさかのぼるが、フジテレビ系で「ビギナー」という番組をやっていた(オレが見たのは半年ほど後の再放送なのだが)。ヒロインは、全国オーディション10,000人から選ばれた新人。そのドラマ、企画が斬新で、脚本がとてもよく出来ており、そのうえ脇をかためるキャストが良かった事もあり、いっぺんでハマった。というより、その個性的な新人女優にハマった。その女優をネットで検索してみると「映画出演」とあり、その原作を読んでみる事にした。非常に深く、のめり込むように一気に読み切り、強烈な印象が残った。それが「海猫」。そしてその新人女優、名前を「ミムラ」という。

いま、彼女主演のドラマ「めだか」をほぼ欠かさず(先週見逃し悔しい思いをした)見ている。定時制高校の教師を演じているのだが、素朴な役柄がうまく合っている。また、脚本もていねいで、毎回3つくらいのサイドストーリーが絡みながら話が進む。スピッツが歌う主題歌もドラマにフィットしている。

さて、芸名のミムラというのは、ムーミンの「ミムラ姉さん(ミィの姉さん)」からとったそうで、本名は「他にやりたいことがあるのでとってある」と本人は語っているらしい。

2004年11月15日 (月) 海猫
谷村志穂の小説「海猫」が映画化され、先週の土曜日から公開された。ようやく時間が出来たので今日見て来た。
2時間におよぶ映画だが、あまりにも淡白に思えたのは、原作の濃厚さを知っているからだろうか?主役の伊東美咲は、青いコンタクトレンズをつけるべきだったろうし、仲村トオルの役柄も性格をじっくり浮き上がらせるべきだろ。原作の中で特に気に入っていた北海道大学(札幌)のキャンパス場面がなくなり、東京の話にすり替えられていた。そして、ミムラはフィアンセにふられ失語症になるという奇異な設定になっているし。それよりなにより、森田芳光の映像センスってどうなのよ。

     一言:おおいに期待はずれであった。(原作のいい映画ってどうしても厳しいんだよね)

2004年11月13日 (土) 金沢21世紀美術館
北陸の小京都、金沢のまちに先月開館した話題の美術館「金沢21世紀美術館」を見て来た。
午前10時半、まちの中心部に位置する事もあり、すでに多くの人でごった返している。ある報道によると、開館以来予定入場者数をキープしているとの事。なかなかの盛況ぶりである。しかも、現代美術を見るのが初めてだとおぼしき主婦群や家族連れが、眉を顰めるのではなく、はしゃいで鑑賞している光景は意外ではあるものの文化定着という意味では心地よいものだ。

さて、今回見たのは開館記念展の前期展示(展示入れ替え)にあたる。細かく仕切られた各アーティストのブースを個展のように展示する、昨今の見飽きた感のある集合的展覧会(○○トリエンナーレ等)のまんまで、これにはがっかり。現代美術ではそういう展示が世界のスタンダードなのかもしれないけれど、それでは有名どころを集めて来ただけというのがあからさまで、展示や企画の方向・テーマが見えて来ない。オープニング展だから仕方ないのか。いや、オープニング展だからこそ、新しい括りや手法を見てみたかった。

迷路の様な展示ブース割りの中で、方向感覚を失いそうになりながら巡回。今回の開館記念展で最も印象的だったのが「ジュン・グエン=ハツシバ」の映像作品だった。水の中で「竜の舞(中国などで旧正月に行われる祭事)」を操るビデオ。いろいろなメタファーを見いだす事が出来るばかりでなく、色彩も綺麗だし、カメラワークも優れている。ヴェトナム3部作のうちの2作目だそうだ。ちなみに1作目は、水中で人力車を引く映像で、ハマトレでの強い印象はいまも鮮明だ。
また、意外だったのが、マシュー・バーニーの作品(アクリルのインスタレーション)が全くもってきれいでなかった事。

同時開催の「モダン・マスターズ」では、ジャスパーのグレイ星条旗がやはり圧巻。それは単なる個人的好みか?
小谷元彦の人毛衣裳も強烈だが、それ以下でも以上でもない。また、リヒターは巨大なインスタレーションを見せていたが、何も届かずただつまらなく見えた。
一方、ダミアン・ハーストのハート蝶(バースデーカード)は、実物でしか味わう事の出来ない艶かしさがあったし、カールステン・へラーの自動ドアのインスタレーションは、子供に大受けだった。別件だが、イセ文化基金はすごいセザンヌを持ってるんだなと驚愕。

         総括:開館記念展(前半期)、、、おおいに期待はずれである。

それはさておき、この美術館は、今後リピーターを多く持つ美術館になりうるのか?市民に愛される美術館になりうるのか?現代美術の発信基地になりうるのか?非常に難しいのではという悲観的な推測を胸に、美術館をあとにした。

2004年11月12日 (金) 今日の映画
来月の展覧会の件で、ギャラリー我楽に行く。偶然にも大野さんがおり、しばらく話をした。エネルギッシュな人で、自信を与えてくれた。

M大学での空き時間映画鑑賞は『BIG DADDY』。笑顔がなんとも素敵なAdam Sandlerの最もヒットした映画だ。ストーリーはともかく、Sandler演じる父親(代理父)が子に接する姿勢/態度が見どころ。また、劇中でやたら出てくる「HOOTRES」というレストランのチェーン店は「おねえちゃんのおっぱい」という俗語として成立しているそうだ。それが転じて、「サセ子」という意味として映画では使われていた。それはともかく、幼い少年と父親のあり方を考え、この映画を観ている間ずっと「セイシロウ!カモン!」って気分だった。早く大きくなれよ。

アラファトが昨日亡くなった。
中東の要の問題が、NHKの昨夜の10時ニュースでは5番目だという事におどろかされた。
アラファトが死んだ事で直接的に何かが始動する訳ではないだろうが、それをタイミングのきっかけにして、ここからまた何かが動き始めるに違いない。何がどう動くのかは、世界の隔離病棟である日本では報道される事はなかろうが、少なくとも、イスラエルとは?パレスチナとは?アラファトのノーベル平和賞の是非、中東に於けるパレスチナの意味、、、etc そういった事を報道する機会とするべきだと強く思う。

今日の夕方から、金沢に行く。この秋開館した金沢21世紀美術館がメイン。時間が取れたら津幡の義祖父母宅にも挨拶に行こうと思う。

2004年11月11日 (木) 守備的領域
国籍不明の潜水艦が日本領海にやって来たって。
当然のように「国籍」って言葉使ってるけど、地球人以外のしわざって発想はないのでしょうかね?あるわけないけど。(ワタクシSFマニアでもUFO信者でもないですよ)
無意識前提になっている「ボーダー(国境)思考」は、将来いつどういう形で払拭されるんだろうかね?

ところで、アメリカでは、カフェインフリー(ノンカフェイン)のコーヒーの事を「unleaded」と言うらしい。unleadedとは、一般的には無鉛ガソリンの事をさす。つまり「鉛」成分がない「無公害」系のガソリンの事である。てゆうことは、カフェインを公害とは言わないまでも、健康に良くないという認識がしっかりできているという事なんだろうか。

そんでも、アメリカ人、、、カロリーフリーのコカコーラ(Diet Coke)を飲んでて「健康系だべ!」って言うけども、そもそも甘味飲料自体が良くないじゃん!という議論に発展しないないところが本末転倒では?それはまるで1mgタールのタバコで「健康を気づかって」と言っている誰かさんと同じじゃねーか(って、オレだよ)。

2004年11月10日 (水) 後期ワークショップ
M大学での後期のワークショップの日である。新ネタである。
前期の「石」で、かなり盛り上がった分(と思っているだけかも?)、後期もがっちりしたネタで責めたいとずっと考え続けていたものをついに披露じゃ。

表題だけではありきたりっぽいけど、、、「正多面体演習」なのだ。(ま、建築学科だしね←理由になっとらん)
練習で数種の正多面体を作り(オイラーの定理の説明は割愛しちゃったけど)、その後、目的であるところの「水戸芸術館のアートタワーミト(通称:ミトタワー)」の模型をペーパークラフトで作る、というもの。見本モデルと写真だけから、展開図を考えだし、重心が決まるように底面を切り合わせるというもの。実はこの底面作りが最も難しいのだ。スパイラルだもんだから、重心の位置を見つけにくいのだな。2Dから3Dへの思考というメインテーマはここで帰着するのだ。

でもよかったわい。授業としては、けっこう盛り上がったのではないかと思う。(←「と思いたい」に変更すべきか?)

2004年11月9日 (火) フェルメール
今村君から電話があった。とっても久しぶりの気がするなぁ、とくに電話で話すの。
で、用件は「明後日から、何人かで東京にツアーるんだけど一緒しない?」とのお誘い。
せっかくですが、明後日は仕事なんだよなぁ。非常に残念ですが、お断りです。
かつてアムステルダムから彼に出したフェルメールの絵はがきの話には、懐かしさがこみ上げて来たよ。

ツアーの様子、また報告してね。

2004年11月7日 (日) ひさしぶりに
夕方ケータイ電話が鳴る。すーさんかな?と思って画面を見るとビンゴ。2週間ぶりくらいにお食事会でーす。ヒナちゃんはスタスタ歩くようになっており、わが家で「歩くヒナちゃん」を見てると不思議な気が。もちろん恒例でお約束の、晴史郎とのオモチャ取り合いバトルも披露してくれました。今回の生命保険から派生した人生設計談義はとーても勉強になった。そして、考える事しきり。
久しぶりのアルコールという事もあり、すっかりいい気分になっている頃、多分7時頃、ヤマちゃんから電話があり合流する事に。小1時間でやって来た。
ヤマちゃんは先週の来宅で、我々からすっかり風邪をうつされ気の毒のな状況。
でも、久しぶりにじっくり話し込み、超エキサイト・トーク。
(う〜ん、スーさんたちちょっと早く帰り過ぎ!あれから盛り上がったのにぃ!)

でも、たばこ吸い過ぎなので○○○○でした。

2004年11月6日 (土) 紅葉ドライブ
朝早起きして、茶臼山高原まで紅葉ドライブに出かけました。ピーク間際の香嵐渓(紅葉の名所)を抜けて、一気に県境まで。
高原道路から見える赤や黄に色づく景色は、晩秋のやわらかい日差しと相まって驚くほどきれいでした。そして意外や、頂上周辺の木々のいくつかはすでに落葉してましたよ。
冬場はスキー場になる芝場で、お弁当食べ、散歩したり、乗り物にのったり、、。
標高1,400mまでの山道をガンガン走り抜けたにもかかわらず、ライフはリッター17kmをマーク。素晴らしい。

今回のドライブの模様は、晴史郎サイトにアップしよっと。

2004年11月3日 (水) 大統領選
オレはかねがねアメリカ大統領選について、世界の見方とアメリカ国内の意識差がなぜあれほどあるのかが疑問で(つまり、世界中に非難されているブッシュ政権がアメリカ国内でなぜ受け入れられているのか?という疑問)、数ヶ月前まで人々が口を揃えていた「ブッシュの再選はありえない」という見方についてのコメントを控えていた。要するに、楽天とライブドアの話のごとく、いくら世間に人気を得ていても(もしくはその逆)、内側にいるものにしか決定権がないという事がまぎれもない事実である以上、アメリカの大統領を決めるのはアメリカ国民なのだ。たとえ、それが世界中にどのような波及を及ぼそうともだ。
あらゆる選挙がそうであるように、勝つための作戦は短期表面的なものでも、一度手に入れた権力は、その後の推移を選挙時に見通す事は困難だ。2000年のゴアとブッシュの選挙の時、ブッシュが「近いうちに戦争を始める」と宣言していたら、ブッシュを敗北させる程度の良心はアメリカ人も持ち合わせていたであろう。しかし今回は違う。この戦争を継続させるという前提に立っている男に信認を与える事を意味する選挙でもあるのだ。アメリカ国民は、今後の成り行きによっては、巻き添えの国(および民衆)を生み出しかねないという未来を背負っている訳なのだが、、、。

民主党が現職の共和党候補者に勝つのであれば、もっとハンサムで健康的な笑顔の候補者を立てるべきだった、というのはタブロイド紙の言葉。白痴的だが、当たらずも遠からずか???(笑)

2004年11月2日 (火) 長引き
微熱があるものの、お医者が大丈夫と言った言葉により、晴史郎は保育園転園後初日を迎える。やはり、前の保育園のときと同じように、別れ際は大泣きだ。妻は毎回心を痛めている。
午前中の仕事を終えた頃、妻から電話があり「保育園から連絡があった」とのこと。晴史郎が38℃以上の熱を出した様子。昼寝の最中らしいが迎えに行く事に。目を覚ましてからも、晴史郎はボーッとしており、ウイルスが本格的に彼に襲いかかっている感じだ。小さな体が、一生懸命「熱」を出して風邪ウイルスに抵抗しているのだろう。帰宅後しばらくはゴソゴソ遊んでいたが、寝かしつけるとウソのように眠ってしまった。薬が効いたのかな。とにかく、たくさん寝るのが何よりの治療だ。ぐっすりぐっすり眠るのだよ、ボーヤ。

2004年11月1日 (月) 今日から、、、
世間では今日から「新紙幣」発行だそうだが、まだお目にかかってねえ。

晴史郎は今日から「新保育園」のはずだったが、風邪で初日からお休みだべ。

ということもあり、今日は一日子守りの日となったさ。
午前中、晴史郎をお医者に連れて行くと「そんなに気にするほどの事もないよ」とのこと。ひと安心。お昼ご飯(カレーライス)もしっかり食べるし、よく笑い、元気もいっぱいある。明日は保育園に行けるだろう。

鷲見麿さんの記事のとなりにあった、井上さんの書いた「新美術館(金沢21世紀美術館のこと)」の文章を読んだ。一般読者向けに書かれたものであろうサラリとした内容から、彼の本心は違うところにあるな、という気がした。ぜひ聞いてみたいものだ。その前に自分でも見ておかねば。雪が降る前に出かけるとすべか。