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ルーティーン



2004年10月




2004年10月30日 (土) 抗生物質
午前9時30分に、晴史郎が転園する保育園に打ち合わせに行きました。新しく建て替えられたばかりのきれいな保育園です。先生の応対も丁寧です。既に「せいしろう」という棚が用意されてました。

そのあと、妻の運転の練習のため、ちょっと離れた文化広場の駐車場へ。広い駐車場を何周も回りながら、雨のそぼ降る中、車両感覚の習得です。FF車特有のハンドルの戻りにも慣れたようだったので、車庫入れの練習もしました。やはりバックでの操作は、ハンドル感覚が出来上がってからでないと、車体の初動での判断は難しいものです。その後、妻の運転で帰宅。スムーズに運転できました。より慣れてくれば、狭い道の走行や急な障害物回避、車庫入れ、縦列駐車なども徐々に出来るようになって行く事でしょう。なんだかんだ言っても、妻はゴールド免許証ですから。

風邪の調子がどんどん悪化するので、かかりつけのクリニックに行って、薬をもらいました。解熱剤、抗生物質、喉の痛み緩和、咳止め、、、。子供の場合と違って、ずいぶんたくさん薬出してくれたなぁ。

午後、久しぶりに山ちゃんが遊びに来てくれました。一緒にいるとテンションが上がるせいか、熱が上がったようです。彼は「マツダアクセラー!」と叫んでおりました。次回GoLiveバッチリやりましょう。

2004年10月29日 (金) ライフ
本日、午後4時に、ホンダプリモでクルマの受け渡し。
最初のドライブの目的地が、イトーヨーカドーだというのもなんだか、、、。
妻の上司は「僕だったら、納車日は年休取っちゃう」だって。笑える。

2004年10月28日 (木) 生命保険
若い頃(といっても29才の時)、知合いに勧められるままに詳しい説明も聞かずに入った生命保険(終身型)だが、
今日、窓口で簡単な説明を聞くにつけ、その保障内容の薄さ(トリックとでも言うべきか)に戸惑いを隠せなかった。
昨今の「てごろであんしん〜保険」や「3大成人病」専門型、「がん保険」型、、、、etc
そういったいろいろな広告を打っている通販系のいくつかの保険と比して、
掛け金と保障内容のバランスがどーなんだ?と思えてくる。
目的によっては、掛け捨ての方が有利な場合もあるだろう。

いま、すでに支払ったうちの6割である約120万円ドブに捨て(契約破棄)新しいタイプに切り替えるか、
過去からの支払いによる特典を考え、継続するべきか。
現年齢のここらがボーダーエリアだろう。

それにしても、生命保険って、ナーンであんなに分かりにくくしてあるんだろう?
きっと何か裏に巧妙な策略があるに違いない、、、、などと思っているうちはまだまだ健康ということか?

2004年10月27日 (水) 抗ヒスタミン
今夜で晴史郎の薬がなくなってしまうので、夕方、いつものクリニックに連れて行って「抗ヒスタミン剤ください」とお願いすると、以前もらったものにも抗ヒスタミンは入っていたとの事。で、効かなかったとすると、こりゃ本格的に長丁場になるかも知れん。それより、鼻づまりで喉がやられ、それによって風邪を引くという展開が大いにありそう。まだまだ気は緩められません。とにかく、かかりつけのクリニックは「薬は幼児には出来るだけ飲ませない方がいいんだけど」と、もっともなご意見。もうちょっと先生の方針でやってみます。

               ところで、、、、

               今日のフレンドシップは 思う所多々あり
               そんな中、、、、、篤志くん 君はナイス

2004年10月26日 (火) むりむり
KENT 1 が新型になってから、どうにも味が気に入らない。
なんかチクチクと喉にまとわりつくのだ。
かなり我慢ならんお味でござる。
ということで、長らくお付合いしてきましたが、サヨ〜ナラ〜
もう君とは縁を切ります。ブチッ

で、次なる銘柄を探査中。
でも、どれもこれも落第なんだよね。
えっ?たばこヤメレ?

   明日はいよいよフレンドシップの日。微妙な心境ざます。
   (ほぼ間違いなく一日たばこ吸えんのだろうなぁ)
   この機に、喉の痛みが消えるか?

2004年10月24日 (日) そぞろ
「せいちゃーん!おっはよー!」
早起きの義父の声で目を覚ます。朝7時の事だ。

義父が用意してくれた朝食を(その間、義父のグラスにはビールが注がれているのであるが)、ゆっくり食べる。その後、義父が副院長を務める病院に晴史郎を連れて行き、鼻水の薬をもらうための検診を受ける。たまたま院長先生に看てもらう事が出来た。おっとりした高貴な雰囲気の、典型的ないお医者様を感じさせる紳士であった。

昼過ぎに義父宅を出て、帰路に着く。
退屈な高速走行の果て、部屋に着いたのが午後7時。
義父にもらったうなぎで、妻がうな茶漬けを作ってくれた。
日本シリーズをテレビで見ながら、中日の負けを確認して床に着く。その後深夜に放送された琢磨の今年最後の走り(F1)を見るだけの体力は残っていなかった。

2004年10月23日 (土) あかちゃん
午前11時に安城出発で、相模大野(神奈川)に向かう。妻の妹に授かった赤ちゃんへの挨拶に。夕方着、と思っていたところ、意外にも午後3時に到着。病院の前の駐車場で、石野君(妻の妹の旦那)に会う。ちょうど浜松のご両親をお見送りするところ。簡単な挨拶をして、石野君と一緒に病室へ。肌のスベスベな、キリッとした顔立ちの男の子だ。残念ながらお見舞い中ずっと眠っていて、目の開いた顔を見る事は出来なかったが、写真で見る限り、台風の日に生まれてくるだけのことはあるたくましそうな男の子だ。名前はまだない。

その後、妻の両親(すでに我々が到着する前に見舞いに来ていた)とともに、高速道路で千葉県流山(義父の住まい)へ向かう。土曜の夕刻の大渋滞にハマり、かなりしんどい運転だ。渋滞情報を聞こうとラジオをつけると、新潟で大地震があったとの報道でパニックになっていた。次々流れてくる地震情報で渋滞のイライラは解消された。それにしても、NHKの報道体質はどうなんだ?被災地の市役所に電話して「今どんな状態ですか?」「どんな揺れでしたか?」「周りはどんな様子ですか?」まどと矢継ぎ早に詰問している。丁寧に応える市役所職員の裏では電話がリンリン鳴っている。それに対応する業務を遮って電話の応対をさせるNHK。義父はもとより、沈着な妻までも「いいかげんそんな報道手段はやめるべきだ」と激昂。渋滞運転をしながらそういった発言を聞いていたオレにとっては、イライラがすっかり解消されるわけである。

午後8時過ぎ、義父宅に到着するや否や、義父はさっそくご自慢の料理に取りかかってくれて、その晩は予測通り、楽しい酒宴とあいなったことは言うまでもあるまい。義父の手打ちそば、ニラ玉、里芋、大蒜の芽とチョリソの炒め物、韓国土産のキムチ、茹でた海老、サイコロステーキ、チーズ、、、etc.

2004年10月20日 (水) おめでとう
妻の妹が、今朝、第一子を出産。
晴史郎にいとこができた訳だ。
おめでとう。

それにしても、こんな超大型台風来襲の日に生まれてくるなんて
将来の大モノぶりが期待されるね。

2004年10月19日 (火) ぐやじぃ
まー今日はあかんな、と思いかけとった時、カカーンと満塁になって、ほんでもってドッカーンだがや。谷繁の逆転満塁ホームランは、ほりゃテレビの前でガッツポーズだわ。ほんでも、ほの直後だで。まーあの興奮は何だっただん。あ〜ん?カブレラは化け物かん?ほんでもって、実況が「オレ竜采配が裏目に、オレ竜采配の失敗」って何べんも言いやがるもんで、まぁ気分悪なったわ。ほーんな何べんも言わんでええだらぁが。やーらしぃで、ほりゃあったまくるわ。岡本は悪ないだよ。ほんと。まーくやしい、まーくやしいでかんわ。
明日きっちり仕返ししたらなかん。あの伊東監督の口をへの字にしたらなかん。
ほんでも明日、台風で中止になるかもとか言っとるぞ。西武はドームだがん。なんで台風で中止やの?訳わからんでかんわ。まったく。
ほんでテレビで言っとった西武の伊東監督のコメント「谷繁の満塁弾でも負ける気がしんかった」だとぉお?とーろい事言っとっちゃーかんわ。テレビに映っとったで、満塁弾の後、泣きそうな顔しとったがや。みんなも見たーらぁ?
まー気に入らん。まーあかん。あーぁ、まーた腹立ってきたわ。

2004年10月18日 (月) 慣れた?
今日は午後のオツトメがない日なので、少しでも早い方がいいかなと思い、午後1時過ぎ、保育園へ晴史郎を迎えにいく。
大泣きしてんじゃないか?と思いながらひよこ組を覗くと、みんな仲良くお昼寝中だった。
晴史郎もうつぶせでぐっすり眠っている。
先生に今日の様子を聞きながら、荷物をまとめる。
数回呼びかけても反応がないので、眠ったまま抱き上げ園を出た。
先生の話では、ずいぶん慣れてきた様子だそうだ。少し安心。
そしてこのニュースは、何より妻が喜ぶだろう。

晴史郎はあいかわらず、ハナがいっぱいでかわいそう。
お義父さんからのアドバイスによると、抗ヒスタミン剤か抗アレルギー剤で、とりあえず抑制(対処療法)できるらしい。
薬を極力出さないわたべクリニックはいいところだと思うけど、いちど違う病院に連れて行こうかな?

2004年10月17日 (日) 衣替え
雲ひとつない日本晴れ。
多分一年で最も気候の良い日のうちの一つだろう。
風邪気味でさえなければ、さっさと出かけていることだろうが、、、。

部屋でできる事をという事で、夏物(夏服)と冬物(冬服)の入れ替えをする。
そして、かつて気に入っていたものでも、もう着ないだろうと思える服は、かなりの数処分した。
ふと思った。いままでなかなか処分できないままズルズルと持ち続けていた何着かを、あっさり処分の決断。こういう決断、そして、変化へ/移行への抵抗感の希薄さは、数年前の自分にはなかった心持ちだ。この変化を、オレは非常に快く受け入れている。

2004年10月16日 (土) mistake
午前、バカみたいな勘違いで「豊田スタジアム」の周囲を散歩する事に。
後で考えると、ホント笑うしかない。

でも、天気がよかったし、朝の気持ちの良い時間だった事もあり、清々しい気分になれた。
なにより、巨大な建造物を眺めるのは痛快なものだ!

豊田スタジアムといえば、オレにとっては、数年前ストイコビッチの引退試合を見た場所。
あの時誘ってくれたシンペー君は元気かなぁ?

2004年10月15日 (金) ひたすら
朝、お義父さんを新幹線の駅までお見送りし、マクドナルドでコーヒーをテイクアウトし、妻を会社へ送る。
晴史郎はとてもご機嫌であったが、お義父さんの進言もあり、医者に連れて行く事にした。わたべ先生は「鼻づまりに効く薬はないな」といって、粘膜保護の薬を出してくれた。ひと冬「ハナタレ」かもよ、と脅される。ぎょ!

外は雲ひとつないまさに日本晴れで、マルちゃんから散歩のお誘いを受けるが、今日は部屋で療養させる事にする。

12時に薬を飲ますと、薬が効いたのか、すやすや眠りについた。じっくり寝て2時過ぎ、一度目を覚ますも、抱っこしてやるとまた眠ってしまう。しかし、抱っこをおろそうとすると途端に泣き出し、結局2時間、ひたすら抱っことなってしまった。

何はともあれ、早く晴史郎のハナタレがおさまる事を祈る。
妻は早くも能力が認められ、ビッグサイズのプロジェクトメンバーに抜擢されたようである。

どうやら、オレも妻も(もちろん晴史郎も)風邪にやられたみたいだ、、、。この週末は療養だ。

2004年10月14日 (木) どどどー
妻の早出勤のため会社まで送ったあとに、晴史郎を保育園に連れて行く。約1週間ぶりという事もあり、はじめちょっと愚図った。

その後、郵便局でオークションの商品を発送し、銀行へ行き、市役所で住民票を取り、不動産屋へ駐車場の事を聞きに行くが閉まっており、部屋に戻ってJAに電話して任意保険の継続について交渉し、本日の大学の講義の準備をし、ホンダに行って住民票提出+書類捺印等を済ませ、いそいで愛教大へ行き宇納教授と学外の喫茶店で話をし、コーナンで時間調整をしてから名城大へ向かい、印刷物を作り、ひとつめの授業を済ませ、空き時間にルイ・マルの「さよなら子供たち」を見、ふたつめの授業を済ませ、あわてて帰宅する。

部屋に着くと、大阪での学会を終えたお義父さんはすでに到着後であった。すぐに乾杯し、大笑いをしながらいろいろな話しで盛り上がった。麻酔科の話、小説の話、コンピュータの話、クルマの話、、、etc。オレとしてはもっともっと話したかったが、翌日お義父さんの予定に「オペ」があるそうなので、夜更かしそこそこに、12時すぎには床に着いた。

2004年10月13日 (水) 微熱デイズ
今日はオレが晴史郎を見る日だ。晴史郎の微熱は、おさまったかと思うとジリジリ上がり、ヤバイと思うとまたふっと下がる。しかし、食欲があり元気にしているので、医者には行っていない。この頃の子供の熱には対策なしというのが通例だ。

午前中に一度ホンダに行くも、担当の杉浦さんは不在で、夕方出直す事にする。

午後、マルちゃんから電話があり、公園で「子連れ」する事にした。安城の運動公園(とんがり広場)の芝生で、滑り台で、そしてジャングルジムで遊ぶ。4時頃にはすっかり風が冷えて来て、風邪気味の晴史郎にはよくなかった、、、。

妻を駅に迎えにいったその足で、ホンダプリモに行き、試乗。ヨシ!予想通り軽快に走るクルマ!だ。支払いの詳細を聞き、最終決定、契約書にサインした。納車は来月初旬になる予定。

2004年10月12日 (火) 朝から
晴史郎の微熱がおさまらないので、保育園は休ませ、実家の母に頼むことにした。朝8時に実家に着くやすぐ出勤。妻は15分後に自転車で三河上郷駅へ向かい出勤。
晴史郎はおばあちゃんに一日はり付いて離れなかったそうで、さぞ疲れただろう。
オレの帰宅時間がちょうど夕食時だった事もあり、晩ご飯は実家ですます。
ライフの話しをすると、問題なし!とのことで、即決。

2004年10月11日 (月) 微熱
晴史郎は微熱が今日も続き(これで水曜から6日目)、機嫌が良くない。少々蒸し暑い事もあったかも知れない。なにより鼻づまりで息苦しいのと、それによっての、眠りが浅い事による睡眠不足が愚図りの原因なのだろうと思う。吸っても吸っても、気の毒なくらい鼻水まるけだ。

晴史郎の気分転換に、実家のアトリエに連れて行く。トーチャンのいろいろな道具に興味津々な様子。元気はほぼ普段の状態にもどっているようだ。

夕方、再び熱が上がる。37.5度くらい。かなり愚図るも、しばらくすると上機嫌だ。
明日の保育園は休む事にして、実家の母に見てもらう事にした。

2004年10月10日 (日) 鈴鹿 F1 決勝
佐藤琢磨、惜しくも4位。
惜しくもなのか、凄いぞ4位、なのか、、、う〜ん、微妙。
ホンダの関係者が言うように、スタート時にジェイソン・バトンに先を取られなければ、ラルフ・シューマッハをもっと追い込めたかも。そうなれば、追われるラルフとの駆け引きで、状況はグッと変わったかも知れない。なにせスタート時は、2ピットストップ作戦のバトンやラルフよりもはるかに軽い状態だったはずだから。

では、バトンと同様に、2ピットストップ作戦を琢磨がしていたらどうだっただろうか。車重が重いばかりか、ダウンフォースが刻々と変化する状況を乗り切るには、かなりのテクニックが必要になってくる。バトン以上の成績で表彰台を得た可能性より、逆に4位に入る事もできなかった可能性のが濃厚な気がする。

というのは、先週、琢磨のBAR留任が決まったが、実は、琢磨には他のチームからのオファーはなかった。一方バトンは、いくつかのチームからのオファーに対して交渉中であるため、まだシートが決まらない訳だ。その点から見ても、実はバトンと琢磨の力量には少なからぬ差があるのではなかろうか。

しかし、徐々に熟成しつつあるHONDAとBARのバランスからみて、テストドライバー期からの付き合いの琢磨にとって、BAR留任は来期に向け良い結果に結びつくと期待したい。来期どえらい事してくれるのが楽しみだ。そして、来期からかなり力かけてくるTOYOTAも楽しみの要素である。

ところで、BAR HONDA の「BAR」とは、「British American Racing」の略なんだけど、ほんとはBritish American Tabaco(ラッキーストライクなんかがそう)というタバコ屋さんの事で、でもヨーロッパの一部の国でタバコの広告が禁止されている事情もあり、タバコ→レーシングと変えてあると言うことなんだな。ご苦労さまです。

2004年10月9日 (土) 豊橋
台風接近中、大雨の中、国道1号線で豊橋の横地家に向かう。
3連休と台風という事で、思ったより道は空いていた。
ただ、対向車の跳ね上げる水しぶきで、瞬間前が見えなくなったり。ヒヤヒヤ。
豊橋は台風上陸地の範囲らしく、外出を控えるような勧告が出ていたそうな。
そんな時にお邪魔するかね、普通。

さて、横地家のベビーは、晴史郎と1ヶ月違いの11ヶ月の女の子。
名前はハルナちゃん。とっても活発な、利発そうなベビーじゃ。
そして、晴史郎は珍しいオモチャに釘づけ。
そのうち少しずつ慣れてきたようで、ハルナちゃんと触れ合えるようになる。
笑えたのが、ハルナちゃんのミルクタイムに哺乳瓶を支えてあげて得意顔。
なんだかお兄さんぶってんじゃないの?

2004年10月8日 (金) しとしと
妻を会社に送ってから、市役所に保育園の書類を提出にいく。
しとしとと雨。
晴史郎に微熱がある事もあり、部屋の中で遊んで過ごす。
食欲はあるし、様子は普段と変わらない。
お医者に連れて行くまでもないだろう。

2004年10月7日 (木) 呼び出し
朝、晴史郎を保育園に送った後、妻を会社に送り、スタジオへ。
季節は一番よい時だ。腰が少し痛くなったが、時間ギリギリまで作業をする。

午後3時からの授業が始まってすぐ、携帯が鳴った。
出るに出られず番号だけ見てみると、安城の市外局番。
もしかして、いや、多分、保育園からだ。
晴史郎に何かあったのだろうか?
今朝も少し微熱あったから、熱が出たに違いない。
しかし名古屋市内の大学なので、飛んで行っても1時間はかかる。
妻にも連絡が入っているだろうから、たのんだぞ!の一念で授業を続ける。

授業後、妻に連絡すると、仕事を途中で切り上げ、急いで保育園に向かってくれていた。
晴史郎の様子は、熱は出たようだが、とくに大きな異常ではないようで、ひと安心。

仕事帰りに、誕生日のケーキを買って帰る。
家に帰ると(午後9時)、おいしく炊かれた赤飯が用意されていて、ケーキと一緒に晴史郎の初めての誕生日を3人で祝った。一年前の事がまるでついこのあいだの事のように思い出される。三日に及ぶ陣痛に耐え続ける妻の姿、晴史郎が出て来た瞬間にみた光、寝不足で出かけた仕事、、、etc。あれから一年なんだなぁ。

2004年10月6日 (水) せいしろう
きょうは、保育園に行かない日だったので、ひなちゃんちにあそびにいきました。
すーおじちゃんがピアノを弾いてくれました。

それから、おとうさんとポリオの予防接種にいきました。
いっぱいいっぱい赤ちゃんがいました。
大きな声で泣いている子もいましたが、ぼくはちょっとしか泣きませんでした。

そのあと、おとうさんといっしょに、公園であそびました。
おとうさんのひざに乗って、大きなすべり台をなんどもすべりました。

夕方ママの会社の近くの駅まで、おとうさんといっしょにママを迎えにいきました。
ママはちょっと疲れているみたいだったけど、ニコニコしていました。

あしたはぼくの1才の誕生日です。
ママは赤飯を炊くのだあーといっています。  

せいしろう

2004年10月5日 (火)
一日中、結構な雨。
仕事は一日中、あっち行ったりこっち行ったり。

2004年10月4日 (月) 保育園初日
朝6時に妻は起き、晴史郎の保育園の準備と朝食のしたく。今まで、トコトンゆっくりできたのにね。7時50分に家を出て、保育園に。ちょっと緊張気味の晴史郎。先生によろしくと伝え、我々はそれぞれ別の方向に出勤。

午前の仕事を終え、午後、大学に到着すると、びっくりするニュースが、、、。

その後、晴史郎を迎えに保育園へ。ビービーに泣いておりました。
初めてだもんね仕方ないよね、今日は初日、よく頑張りました。
抱っこされてればイイコだって。

夕方、妻を迎えに会社付近の駅まで。疲れた顔を見せないのが、彼女の凄いところである。感謝。

2004年10月3日 (日) あたたかいね
晴史郎は、いよいよ明日から保育園デビュー。
妻は、明日から本格的な仕事デビュー。
そしてオレは、明日からまた新しい講義が始まる。
それぞれが抱えた前傾姿勢に、それぞれが息詰まり気味になるかと思えた頃、
スーさん一家が見透かしたかのように、遊びに来てくれた。
少なくともオレにとっては、ナイスバランスのガス抜きになった。

マルちゃんは、昨夜出かけたミュージシャンのコンサートの熱気冷めやらぬ興奮そのままエキサイティングだったし、スーさんはドラゴンズ優勝記念号の脱稿でリラックスだったし、良い波動が我々のところに届いたのは間違いない。

明日の風は明日知る。
それでいいではないか。

なにもムチ打って遠くまで飛ばなくとも、ここに何よりよい景色がある事を、、、。

2004年10月2日 (土) 4 - 2
マコッチ!ウエブ見ました。新作なかなか切れ味いいですね。
ところで、wash-outってどういう意味で?


姜さん!送ってもらった作品は、ナイスでした。
コンセプトの柔軟さにはグッと来ます。作りは甘いが逸品です。

2004年10月1日 (金) 初日
雲ひとつない快晴。

今日は妻の初出勤日。
オレは仕事のない日なので、送迎担当。
そして晴史郎と一日のんびりと過ごす。
晴史郎&オレ親子は、ここのところ、すっかりイイ感じだもんね。
イヒヒ